1. ホーム
  2. 収蔵資料
  3. 芸術

芸術

長谷川義起

プロフィール

長谷川義起(はせがわよしおき)(本名・勝之(かつゆき))

1891~1974

現在の射水市中野に生まれました。富山県立工芸学校(現 高岡工芸高等学校)金属工芸科から東京美術学校(現 東京藝術大学)彫刻科に進み、高村光雲、沼田一雅(かずまさ)に学びました。同校を首席卒業し、のちに東京を制作活動の拠点に定め、一貫して官展・日展を舞台に活躍しました。日展で審査員を2度務め、1972年(昭和47)参与に就任しました。
戦前以来、日本の彫刻界で多くの作家が女性美を追求する中、スポーツ選手の極限状態にある身体の動きを徹底的に観察・研究し、それを表現することに真骨頂を発揮しました。大相撲関係で特に優れ、1934年(昭和9)帝展出品作が靖國神社に建立・奉納され、同11年国際オリンピック大会芸術競技で入賞するなどの業績により「日本一の相撲彫刻家」と称されました。
わが国にスポーツ芸術を生み出さねばならぬとの信念を抱き、自分が正しいと信じる努力の道をひた走って、真似のできない作品世界を築き上げた義起は82歳で亡くなりました。

大伴二三彌

プロフィール

大伴二三彌(おおともふみや)

1921~2006

現在の射水市八幡町に生まれました。富山県立射水中学校(現 新湊高等学校)、大阪機械技術専門学校を卒業後、安井曾太郎らに油彩画を学び、早稲田大学工芸美術研究所で工芸彫刻を、通産省工芸指導所で産業デザインを研究しました。
日本のステンドグラス作家の草分けとして活躍し、福沢一郎や難波田龍起(なんばたたつおき)ら洋画家との共同制作から、次第に自身の発想による抽象性の強い様式を打ち出す方向に進みました。JR東京駅の「天地創造」、池袋サンシャインシティの「群像・人と獣」、射水市新湊中央文化会館の「陽光」をはじめ、全国各地の公共施設、大学、教会などに魅力的な作品を数多く残しました。
西洋生まれのステンドグラスを多くの人々に受け入れてもらうにはどう日本化すればいいか、また、ステンドグラスの内と外の、人々が集い離れる関係と千変万化(せんぺんばんか)する光などに日々想いをめぐらした作家は84歳で逝去しました。

森弘之

プロフィール

森弘之(もりひろゆき)

1929~1996

現在の射水市朴木に生まれました。太平洋戦争末期、香川県小豆島の陸軍若潮部隊に特攻隊員として配属され、死の淵(ふち)を何度ものぞく体験をしました。復員後、高岡工業専門学校(現 富山大学工学部)を卒業し、地元にある大手鉄鋼会社で機械設備の設計などに従事する一方、寸暇(すんか)を惜しんで水彩画の制作に取り組みました。
新湊の内川や漁港などの身近な風景を詩情味豊かに描き、水彩連盟展に継続的に発表、会員に推挙されました。また、シュルレアリスム調の連作では、自己の心象世界を渋く洗練された色調、刻み込んだような絵肌、精緻(せいち)な描線で表現しました。新制作展で協友に推挙され、美術界の「芥川賞」と称される安井賞展で連続入選するなど高い評価を受けました。
自分が太古から続く大自然の営みの一つであることを意識し、雑念を捨て去って、時間と空間を超えた「真の美」を探求、表現する作家と称(たた)えられた弘之は66歳で永眠しました。

野上衹麿

プロフィール

野上衹麿(のがみただまろ)

1930~2017

現在の射水市加茂中部で下村加茂神社の宮司の家に生まれました。自分が真にやりたいことを探そうと19歳で大阪に移り住み、会社員となりますが、画業を志して29歳で古里・富山に戻りました。
若い頃の一時期を除き、会派には属さず、独自の画道を切り拓きました。幼少の頃より心に刻んだ「稚児舞(ちごまい)」などの祭礼や儀式にかかわる記憶を主な題材に、簡潔で洗練された構成と鮮明な色彩による抽象画を数多くの個展や招待展などに発表し、国内外で高い評価を受けました。
また、旧富山県立近代美術館運営委員や県洋画連盟委員長などを歴任し、後進の育成に努めるなど、県内の美術界で長年にわたり指導的役割を果たしました。穏和な人柄、柔らかで品位ある笑顔で人々の心を捉え、多くの支持者や弟子に恵まれました。
県内における抽象画の黎明(れいめい)期を駆け抜け、以降の美術界に大きな足跡を残した衹麿は87歳で他界しました。

高越甚

プロフィール

高越甚(たかごしじん)(本名・甚作)

1931~

現在の射水市本田(ほんでん)に生まれました。金沢美術工芸大学日本画科で野田九浦(きゅうほ)、下村正一(まさかず)に学び、卒業後は富山県内の中学校で教鞭を執るかたわら制作活動に励みました。日展で入選を重ねたほか、京都画壇の大家・堂本印象の画塾「東丘社」に入門、絵画の奥義(おうぎ)の習得に努めました。
1970年(昭和45)活動の拠点を京都に移し、以後、日展で特選2回をはじめ、日春展や「西の日展」と称される京展、全関西美術展などで数々の受賞を重ね、審査員を務めるなど画壇で確固たる地位を築き、2012年(平成24)日展参与に就任しました。
早くから雪景色を得意とし、師匠の印象に「彼ほどよくスケッチし研究している者はいない」と言わしめました。のちに、沖縄の離島やアメリカ、中国に題材を求めました。その作風は、雄大深遠な自然を、自己の心境やあり様に重ね合わせ、堅固な構成と格調高い「心の色」で表現することにあります。

収蔵資料 一覧へ
射水市新湊博物館ロゴマーク