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足利将軍がやってきた(2)

足利義材は、京都市の名所である銀閣(慈照寺観音殿)を立てた8代将軍足利義政(よしまさ)の甥(おい)です。義政の子である9代将軍義尚が若くして亡くなったため、義尚の従兄弟(いとこ)である義材が将軍となりました。

しかし義材の将軍就任は多くの課題がありました。義材が誕生した翌年に起きた応仁の乱で、義材の父である足利義視(よしみ)と対立した細川氏や伊勢氏といった大名や有力武士は、義材の就任に反対していました。

義材は京都で11年間続いた応仁の乱をきっかけに衰えた幕府の力を取り戻そうとしました。反対勢力の抑え込みを目指して、幕府の命令を聞かない大名がいる近江(滋賀県)、そして河内(大阪府)へ出陣しました。この義材の留守を狙って、細川政元(ほそかわ まさもと)や伊勢貞宗(いせ さだむね)は京都で反乱を起こし、義材の従兄弟にあたる年若い足利義澄(よしずみ)を新たに将軍にしようとしました。時は明応2年(1493)4月22日申の刻(午後4時)。これが明応の政変と呼ばれる事件の始まりです。(次回につづく)

(学芸員 松山充宏)

写真:細川政元像(国史大図鑑編輯所編『国史大図鑑』第3巻、吉川弘文館、1932年、国立国会図書館デジタルコレクション)

 

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