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絵図(広域地図) 福井県・滋賀県

日記 糧道筋 一

慶応三丁卯年正月    
     糧道筋
日記  測量中
     第壹
測量方
 
1 正月十日 雪降   
一、御改作所ゟ御用之旨ニ而、番代ゟ飛脚、則藤右衛門、半兵衛
両人別而御指急之由ニ付、即刻用意いたし、夜通ニ今
   石動五器屋へ罷越申候処、夜明申候、
一、柿谷村与兵衛、藤右衛門宅へ罷越候事、
 
    十一日 雪降
一、駕篭ニ而今石動ゟ津幡江昼頃着いたし、金沢江七ツ半
頃着仕候事、
一、入夜北野、南番代へ見舞、荒木氏江も罷越候事、
 
    十二日 寒甚
一、朝飯後、佐久間様江罷越、着案内仕候処、押付役所江
   罷出候旨取次口上ニ而戻り候事、
2 一、御役所江罷出候処、糧道方役所不時相立候事、    
 一、篠嶋左平様江荒木、折橋、山田、北本罷出名札上候
   事、
 一、木村様へ罷出候処、御留守也、
 
    十三日 天気 寒甚
一、井上忠左衛門殿、坂井良輔殿、米山専蔵殿、桜井
   秀蔵、大坪岩次郎相尋候事、
一、山崎久米之助様へ名札上候事、
一、糧道方役所へ罷出、御長持寸尺誂方等仕候事、
一、明日、明後日、御役所無之旨御談之事、
一、北本半兵衛、暫時帰村之事治定仕候事、
 
十四日 雨天    
一、青嶋村伝四郎、柳瀬村助八旅宿来リ候事、
一、木村様ニ而荒木、折橋、山田、北本五人共打合候事、
一、杉本様ニ而測量器拝見仕候事、
一、長徳寺村甚之助出府いたし候事、
 
   十五日 雪降寒甚
一、荒木、折橋相尋候事、
一、北本氏帰村之事、
 
   十六日 晴
一、御役所ゟ御用ニ付罷出候処、江州御領分絵図、会津様之
  分御渡、書入方之儀御談ニ而覚書等御渡之事、
一、測量望遠鏡壮猶館之分御渡請取書御改作所ゟ
3  佐久間様、木村様名前ニ而上ル、藤右衛門江御渡可被成    
  旨井上も口聞、御次之品故大切ニ取仕抹いたし候様
  御両様ゟ御談之事、
一、絵図為手伝、平助手代孫一来リ居候事、
 
   十七日 寒天
一、絵図為手伝、荒木氏手代孫一来リ居候事、
 
   十八日 朝之内雪降後晴
一、絵図為手伝、荒木氏手代孫一来リ居候事、
 
   十九日 天気
一、徳用村順二郎来リ、
一、絵図為手伝、荒木氏手代孫一来リ居候事、    
 
   廿日 天気
一、御役所ニ而人々出立者、三手合ニ而三日ニ相極リ申候、
一、頼成村弥兵衛御呼立之事ニ治定御座候事、
 
   廿一日 天気
一、夫々用意方取懸リ居候事
 
   廿二日 天気
一、糧道方役所ニ而、夫々決着相済申候、
一、高岡町御奉行所ゟ長崎屋吉右衛門之儀、御返事
                 到来之事、
 
4   廿三日 晴    
一、荒木氏ニ而寄合有之候事、
一、明廿四日ゟ追々出立、井上、米山、坂井上下六人、桜井、大坪、
   能町村権兵衛、柳瀬村八助、都合拾人出立ニ相極侯事、
一、明後廿五日ハ、木村九左衛門殿等出立之事ニ相成申候、
一、廿六日、佐久間久佐殿等出立事ニ相成申候、
   御主附御出立、
    佐久間久佐様  井上忠左衛門殿 桜井秀蔵
    木村九左衛門様 米山専蔵殿 大坪岩次郎
            坂井良輔殿
一、大工高岡町長崎屋吉右衛門今日出府、
 
   正月廿四日 晴天    
一、井上忠左衛門殿、米山専蔵殿、坂井良輔殿上下六人、桜井秀蔵、大坪
岩次郎、外ニ能町村権兵衛、柳瀬村八助都合拾人朝五時金沢発足、
小松津幡屋孫兵衛方泊
 
   廿五日 晴天
一、木村九左衛門様御上下四人、折橋甚左衛門上下三人、山田六右衛門上下弐人、頼成村
   弥兵衛、南高木村長三郎、泉野村小右衛門、赤倉村嘉兵衛、大門新町庄助、
   宝達村弥右衛門、市助、高岡長崎屋吉右衛門、都合拾七人朝五時金沢発足、
   小松伊勢屋九兵衛方泊、
5 一、井上忠左衛門殿等拾人、金津紙屋次郎右衛門泊、    
 
   廿六日 晴天
一、佐久間久佐様御上下四人、荒木平助上下三人、石黒藤右衛門、北本半兵衛上下
   四人、殿村津幡江村喜兵衛、徳用村順二郎、柿谷村与兵衛、上伏間江村甚右衛門、
   長徳寺村甚之助、殿村津幡江村弥三兵衛、高木村和右衛門、青嶋村五郎兵衛、
   五右衛門、伝四郎忰重太郎〆弐拾壱人朝五時金沢発足、小松伊勢屋
   九兵衛泊、
一、木村九左衛門様等拾七人、金津灰屋太郎兵衛方泊、
一、井上忠左衛門殿等拾人、府中水野太左衛門泊、    
 
    廿七日 晴天
 一、佐久間久佐様等弐拾壱人、金津灰屋太郎兵衛泊、
 一、木村九左衛門様等拾七人、浅水梅屋新兵衛泊、
 一、井上忠左衛門殿等拾人、葉原沢崎左近泊、
 
    廿八日 朝雨後快晴
 一、佐久間久佐様等弐拾壱人、浅水梅屋新兵衛泊、
6 一、木村九左衛門様等拾七人、今庄大野屋五右衛門泊、    
 一、井上忠左衛門殿等拾人昼四半頃敦賀着、浜嶋寺町網屋庄蔵方止宿、
    
    廿九日 晴天
 一、佐久間久佐様等弐拾壱人、今庄長浜屋九右衛門泊、
 一、木村九左衛門様等拾七人、夕七時敦賀着、網屋庄蔵方止宿、但六人
 一、折橋甚左衛門等拾壱人、唐仁橋町米屋七郎右衛門止宿、外ニ権兵衛、八助両人
   今夕ゟ同宿、 
 
   二月朔日 朝雪後快晴    
 一、佐久間久佐様等弐拾壱人、昼八半頃敦賀着、内四人、網屋庄蔵方止宿、
 一、荒木平助等拾七人、米屋七郎右衛門方止宿、
 
    二日 晴天
 一、五郎兵衛、重太郎、五右衛門、弥右衛門、市助、八助、六蔵、庄助〆八人、
   昼立ニ而海津辺迄地模様為見ニ遣、
 
    三日 晴天
7 一、荒木、折橋、石黒、山田、北本并喜兵衛、順二郎、弥兵衛、与兵衛、甚右衛門、    
   長三郎、甚之助、権兵衛、弥三兵衛、小右衛門、権右衛門、右上下等ニ而廿三人外ニ
   小宮山伝右衛門、木綿屋鹿七忰等三人、都合弐拾六人朝五時宿出立、
   長僧村、道口村御番所を通、鳩原村ニ而休、小河口村、市橋村疋田ニ而
   弁当、追分村ゟ深坂村江罷出、問屋小林金三郎ニ而休、夫ゟ近道通り
   新道野江出、新道村、麻生口村、曽々木村通り疋田江出、道口村迄立戻、
   夫ゟ坂下村、吉河村、井川村ゟ木之実川縁ゟ敦賀湊口江出、浜手通
   庄ノ川縁ゟ帰宿、 
 
     四日 晴天    
 一、泉野村小右衛門図方ニ相成、赤倉村嘉平竿取人ニ相成、中勘銀御渡、
一、五郎兵衛、弥右衛門塩津、海津弐泊ニ而夕方帰宿、
一、和田皆介様七ツ時頃今津ゟ御越、網屋庄蔵方ニ御止宿、
 
    五日 晴天
一、当二日図方八人、地理見請方ニ遣候内、昨四日弐人罷帰候、残六人之者
  二日塩津泊、三日海津泊、四日重太郎、八助、庄助義新道村泊、五日朝カナ
  クソ谷之様子見受八つ頃帰宿、五右衛門、市助、六蔵義、四日疋田泊り、
8   五日朝クロコ川縁山村迄之様子見受、七つ頃帰宿、    
 一、昼後、地理見分手配方之義ニ付、佐久間様等木綿屋鹿七方へ
   御出張、但平助、甚左衛門、藤右衛門、六右衛門、半兵衛、外ニ喜兵衛并
   五郎兵衛等八人罷出候、
 
    同六日 七つ頃ゟ雨
 一、朝五ツ時頃敦賀出立、地理御見分、          
   佐久間様等御三方御上下拾人、井上殿等上下四人、
   桜井等弐人、        荒木等上下拾弐人、
   喜兵衛、弥兵衛、与兵衛、長三郎、五郎兵衛、八助、庄助、権右衛門、    
   弥右衛門、権兵衛、弥三兵衛、小右衛門、嘉平、福田村幸吉、日中村
   三郎左衛門〆四拾三人、外ニ小宮山伝右衛門、木綿屋鹿七、家来
   壱人、合四拾六人、疋田ゟ新道村通新道野ニ而弁当、但、宿
   西村孫兵衛方、夫ゟ沓懸村、余村、中村通塩津泊、
 一、佐久間様等御上下拾人、外ニ小右衛門、嘉平〆拾弐人、宿林忠左衛門、
 一、井上殿等御上下四人、桜井、大坪外ニ権右衛門〆七人、宿中原助左衛門、
 一、荒木等上下拾弐人、外ニ権兵衛〆拾三人、宿湊屋弥右衛門、
 一、喜兵衛以下拾壱人、宿木屋又右衛門、
 
9 一、右之外、順二郎、甚右衛門、甚之助、重太郎、五右衛門、市助、六蔵、   
   和右衛門〆八人、朝敦賀出立、疋田迄同道、夫ゟ分レ駄口通、地
   理見受海津江出ル、
 一、塩津ゟ大津迄湖上、弐拾壱里程
   塩津ニ而米壱石 拾壱両計
       白米壱升 九六 壱貫文
       金相場  九六 七貫六百文
 
    同七日 朝雪後快晴    
一、塩津ニ而昼四ツ半頃昼喰之上、岩熊村通岩熊峠江
   登、但此峠ゟ拾壱丁計南之方、小高キ山江登り、湖等
   之地理見分、又候右峠江立戻、
   八田部村通、大浦泊り、
 一、昨日之人数之外、深坂問屋小林金三郎手代嘉七并塩津
   問屋中村左右衛門、林忠左衛門、両儀孫十郎、中原助左衛門、
10  高谷平助家来壱人、大浦江同道、同所ニ止宿、    
 一、御奉行所御上下拾弐人等御宿、中須助左衛門、
 一、井上殿等上下四人、桜井等弐人、外ニ権右衛門〆七人
   宿木屋勘大夫、
 一、荒木等上下拾弐人、外ニ権兵衛〆十三人、宿
増屋庄次郎、
 一、喜兵衛等拾壱人、宿木屋勘左衛門、
 一、大浦村ハ膳所様御領也、
    此村ゟ大津迄湖上拾八里、
       塩津江同五里、海津江同弐里、    
       竹生嶋江同弐里、船ハ弐百五拾石計之分迄
                         通行、
 一、大浦ニ而  米壱石 拾壱両、 白米壱升 九六 壱貫文
         金相場 九六 七貫弐百文
 
    八日 八半時頃ゟ雨
 一、朝五時頃大浦出立、稲田大浦村、殿村庄村、山門村通り、新川筋船溜与申所
              ノ内    ノ内
   迄見分、夫ゟ金クソ谷通深坂江出、同所小林金三郎方ニ而弁当、夫ゟ
   峠越、佐久間様等御上下拾人、井上殿等上下四人、桜井、大坪外ニ小右衛門、
   権右衛門、嘉平〆拾九人疋田泊、宿近江屋次郎兵衛、
11一、荒木等弐拾四人、疋田問屋ニ而夕飯支度之上、暮方敦賀江帰着、    
   且、小宮山伝右衛門等茂追々ニ罷帰候事、
     但、右廿四人之内幸吉、三郎左衛門ハ松村屋六右衛門止宿、
 一、塩津問屋中村佐右衛門等、今朝大浦ゟ戻ル、
 一、大浦問屋中州助左衛門等六、七人計深坂迄押受、同所ゟ戻ル、 
 
    九日 天気
 一、佐久間久佐、木村九左衛門、和田皆介上下拾人、井上忠左衛門、米山専蔵、
   坂井良輔上下四人、桜井秀蔵、大坪岩次郎外小右衛門、権右衛門、嘉平    
   〆拾九人朝疋田出立、四ツ時頃敦賀帰宿、
 一、八助義、当六日海津等江差遣候、順二郎等八人之者、敦賀帰宿之義申遣ス、
 
    十日 晴天
 一、順二郎、甚右衛門、甚之助、重太郎、五右衛門、和右衛門、六蔵、市助〆八人、
   六日海津泊、七日白谷泊、八日同村泊、九日山村泊ニ而白谷越等之様子見
   請、十日昼四半時頃敦賀帰宿、
12一、八助義、昨九日海津迄罷越、同日白谷村泊ニ而夕及暮帰宿、    
 一、日本輿地路程全図、山城国、大和国、摂津国、丹後国〆五通り、
   石黒藤右衛門ゟ縄張人弥兵衛江渡ス、
 
    十一日 天気
 一、朝、弥右衛門、市助、五郎兵衛、重太郎、五右衛門、庄助、八助〆七人、敦賀出立申
   付、所々地理見受方ニ指遣ス、
 一、朝五ツ半時頃ゟ坂井良輔、桜井秀蔵、大坪岩次郎、石黒藤右衛門、
   北本半兵衛并喜兵衛以下縄張人等手伝七人、外ニ権右衛門、六蔵、嘉平、    
   和右衛門、弥三兵衛罷出、敦賀浜手庄ノ川尻手始水矯取懸、木之実
   川土橋迄相しらへ、夕方敦賀江帰宿、但弁当も旅宿々々江戻ル、
     但、佐久間、木村、和田、井上、米山昼前水矯方付居、且平助、
     甚左衛門、六右衛門義昼前罷出居候、
 一、水矯方等役割申渡候覚
    水矯  弥兵衛  同野帳 順二郎   同相帳 与兵衛
    支分矯 喜兵衛  同手帳 甚右衛門  同   甚之助
13   的板高低方 長三郎    画像  翻刻トップ  画面トップ
 一、昼後、水矯所江小宮山伝右衛門茂罷出居候、
 一、権兵衛義、塩津川尻ニ而今日之水嵩定杭打ニ遣ス、
 一、朝五時箱館健順丸出帆、
 一、白谷村等ニ而図方之者等、道案内等ニ雇候人足賃之義ニ付、白谷村白蓮寺禅
                                     宗
   平助等旅宿江罷出候事、
 
    同十二日 昼九時頃ゟ雨
 一、坂井良輔上下、桜井秀蔵、大坪岩次郎、石黒藤右衛門上下、北本半兵衛上下    
   并喜兵衛等七人、弥三兵衛、和右衛門、嘉平、権右衛門、六蔵、吉右衛門〆弐拾壱人朝
   五時敦賀旅宿出立、昨日水矯之口木之実川土橋之上ゟ水矯取懸、長沢村
   之下モ方迄相進、同所ニ而弁当、昼後大雨ニ相成、水矯出来不申ニ付、八つ頃
   敦賀江帰ル、
 一、権兵衛、昨日塩津ニ而水杭打入、同所泊、今八ツ頃敦賀江帰ル、
 一、朝五ツ時頃、大浦問屋助七、船年寄九郎次郎、舟持惣代長左衛門、同
   世話方喜平太〆四人、平助等旅宿へ挨拶ニ罷出候、且四時頃塩津
14  問屋中村佐右衛門、林忠左衛門〆弐人、右同断罷出候事、   
 
    十三日 晴天
 一、一昨日ゟ水橋方ニ取懸居候、坂井良輔等弐拾壱人、外ニ権兵衛、〆廿弐人
   朝五半時頃敦賀出立、昨日之口より道口村之上舟曳川取入堰之辺迄
   打懸、夕七半時頃敦賀江帰、
    但、道口村弁当、且道口番所之前測量之砌、弥兵衛を以届方
    いたし相調理候事、    画像  翻刻トップ  画面トップ
 一、今日迄之しらへ七拾四番迄、惣間数弐千五百九間三分、且七拾三番
   之西取懸、川水面ハ海面ゟ七丈四尺壱寸七歩高、
 一、道口村ニ而坂井等昼頃、御算用者小頭並高橋惣兵衛長崎行ニ逢、
    但、長崎ゟ香港行与承ル、
 
    十四日 晴天風有
 一、坂井上下、桜井、大坪并石黒、北本上下四人、喜兵衛、順二郎、弥兵衛、甚右衛門、
13  長三郎、吉右衛門、権兵衛、和右衛門、弥三兵衛、嘉平、小右衛門、六蔵〆弐拾人、水矯方    
   朔日之口ゟ取懸、鳩原村ニ而弁当、夕方小河口村之上地蔵之前迄相
   進、疋田泊、宿近江屋治郎兵衛、且右之外、井上忠左衛門并権右衛門、
   夕方疋田江罷越同宿、
 一、与兵衛、甚之助、朝敦賀出立、道口村迄同道、夫ゟ疋田旅宿江罷出、
   見取絵図調ル、
    疋田泊人数、〆弐拾四人、
 一、朝、測量方長持弐指、敦賀ゟ疋田江送ル、
 一、当十一日、所々地理見立方ニ遣候、五郎兵衛等七人夕方敦賀江帰ル、    
    但、桜井等疋田之下モニ而出逢、
 一、松平稠松様、京都御警衛之旨ニ而荷物追々通行、且右藩中
   酒井臣左衛門等三拾人余、疋田駅ニ止宿、
 
    十五日 大雨風
 一、大雨風ニ而水矯等出来不申ニ付、井上等弐拾四人疋田ニ而逗留、且喜兵衛等ハ
   絵図面等ニ取懸居候事、
 
16   十六日 晴天    
 一、疋田逗留弐拾四人之内井上并嘉平之外、坂井等弐拾弐人朝五半時頃
   疋田止宿所出立、一昨十四日之口ゟ水矯等取懸、疋田旅宿近江屋次郎兵衛
   前迄相進弁当、昼後疋田ゟ新道通江入曽々木村之下モ迄相進、
   夕方疋田江帰、右次郎兵衛方止宿、
 一、白谷越等見取絵図、佐久間等控并平助等控共弐通、朝嘉平ニ為持、
   敦賀ニ而平助方江遣ス、但嘉平義夕方疋田江戻ル、
 一、北本等ゟ自宅等江之紙面等、今日三度戻江伝封太田屋五左衛門江遣ス、    
    疋田ニ而米直段等聞合
 一、古米壱石    拾両三歩余
 一、白米壱升    九六 壱貫文
 一、酒壱升     同  壱貫五百文
 一、醤油壱升    同  八百文
 一、油壱升     同  壱貫七百五拾文
 一、金壱両     九六 八貫文
 
17   十七日 晴天    
 一、疋田ニ止宿弐拾四人之内、井上之外坂井等弐拾三人、朝五時頃出立、昨日水橋之口ゟ
   取懸、麻生口村庄屋次左衛門方ニ而弁当、昼後奥麻生川出口之下モまて
   相懸、夕七半時頃疋田江帰、右次郎兵衛方止宿、
 一、図方下役之者七人、朝聞合旁京都江罷越候旨ニ而、朝五時頃疋田ニ而
   井上等止宿江立寄、
 一、測器入長持之とう相損申ニ付、井上等ゟ敦賀江買ニ遣、
 一、疋田旅宿次郎兵衛亭主、夜五時頃伊勢ゟ戻ル、
 
    十八日 風雨    
 一、朝ゟ風雨ニ付、井上等弐拾四人昼前疋田ニ逗留、昼後水矯可致図ニ而
   疋田出立、麻生口村迄罷越候処、又候大風雨ニ相成申ニ付、七ツ時頃新道野へ
   罷越、西村孫兵衛万止宿、
 一、測器入長持等疋田江持参之品々、昼後不残新道野江送、
 
18   十九日 昼頃ゟ雨八半頃ゟ雪荒    画像  翻刻トップ  画面トップ
 一、朝五ツ時頃新道野出立、一昨十七日水矯之口ゟ取懸、新道村家建際迄
   相懸候処、風雨ニ相成申ニ付、新道野江罷越昼喰、
   昼後、雪荒等ニ而水矯出来不申ニ付、新道野ニ而逗留、
 一、夕、宿ゟ酒肴出ス、
 
    廿日 雪荒
 一、朝雪三寸計降居、且大荒ニ付、井上等弐拾四人之内嘉平之外、廿三人    
   新道野ニ逗留、但喜兵衛等七人ハ絵図等仕出居候事、
 一、嘉平義敦賀江罷越度旨申聞候ニ付、昨日迄之高低等覚書ニいたし
   石黒、北本ゟ佐久間等三人江達ス、
     但、嘉平義敦賀ニ泊ル、
 
    廿一日 曇 新道野辺ニハ雪弐寸計在ル、
 一、新道野止宿井上等弐拾三人之内、坂井等廿弐人朝五時頃止宿所出立、
   一昨十九日水矯之口ゟ取懸、越前、近江境松之南坂ノ下タ迄相懸、昼喰、
19  新道野へ立戻、昼後金クソ谷道出口迄相進、暮方新道野江戻、    
   右孫兵衛方止宿、
 一、嘉平義八半頃敦賀ゟ戻り、水矯方江取懸ル、
 一、新道野西村孫兵衛代人与して、集福寺村恒右衛門与申者、今一日
   押受いたし候、
 一、石黒、北本等方江宅々等ゟ紙面至来、但嘉平義、敦賀ゟ持参、
 一、井上、米山、坂井為御登米方御用蒙候由沙汰有之侯、
 
     廿二日 雪降大荒
  一、大荒ニ付井上等弐拾四人新道野ニ逗留、    
      但、順二郎、甚之助、長三郎直圭仕出、与兵衛、甚右衛門絵図
      調、弥兵衛ハ高低根帳仕出、
 
     廿三日 雪降大荒
  一、右弐拾四人之内嘉平、弥三兵衛之外廿弐人、新道野ニ逗留、
  一、嘉平義暇ヲ乞、朝五半時頃新道野出立、京都江行、
  一、弥三兵衛義朝五半頃出立申付、敦賀江測器品々取ニ遣、且敦賀ニ泊ル、
  一、一昨廿一日迄之高低等覚書ニいたし、石黒、北本ゟ佐久間等三人江達ス、
20   且、弥三兵衛ニ為持遣ス、    
 
     廿四日 晴天
一、昨夜新道野止宿弐拾弐人之内、井上并助次郎坂井、甚之助之外
                        家来  
    坂井等拾九人朝五時前止宿所出立、当廿一日水矯之口ゟ取懸、
    沓懸村迄相進、同所法顕寺一向東派ニ而弁当、昼後中村領
                飛椽
    喜兵衛与申者之家前迄相進、塩津泊、
      但、井上新道野ニ而昼喰之上出立、昼後水矯取付居
      塩津泊、且甚之助義、測器長持指添曁塩津宿方之
      義ニ付、早朝新道野出立、塩津泊、
  一、今日測量筋村之押受之役人左之通、    
      新道野、西村孫兵衛、
      沓懸村庄屋伝内、同宗三郎、外ニ相役両三人、
    集福寺村庄屋彦左衛門、
      余村相役、七左衛門、同仁右衛門、
      中村庄屋左門
      〆右ハ領切押受
      新道野西村雇人恒右衛門与申者、為押受等一日同道、
      塩津ニ泊ル、
      塩津村問屋中村左右衛門せかれ駒蔵、中原助左衛門、
      葛谷平助夕七つ時頃中村領迄出迎、
21 一、測器入長持等不残新道野ゟ雇人足を以塩津江送、    
  一、塩津泊宿之義
      井上、坂井上下     桜井
      石黒上下、北本上下   大坪    林忠左衛門方
      小右衛門、吉右衛門、権右衛門、六蔵
       〆拾三人            
      喜兵衛等七人、権兵衛、弥三兵衛
      和右衛門〆拾人         湊屋弥右衛門方
 
     廿五日 八半時頃ゟ雨    
  一、塩津止宿弐拾弐人之内井上在宿、石黒直圭根帳清書、順二郎、
    甚之助同仕出、弥兵衛高低帳仕出、其余坂井等拾七人朝五半頃
    止宿々々出立時水矯之口ゟ取懸、湖水端迄取付、九ツ半頃昼喰、
    昼後雨降ニ付、宿々ニおゐて高低間数等しらへ方、
  一、海湖高低之差、弐拾八丈七尺四分、
  一、惣間数、壱万弐千七百廿六間七分、
  一、番留り、五百十三、
 
     廿六日 雨
  一、右弐拾弐人之内井上、小右衛門、権右衛門〆三人、四半時頃昼喰之上、
22   塩津出立、敦賀江行、    
  一、右三人之外坂井等拾九人塩津ニ逗留、
      但、喜兵衛野帳算入等、順二郎、長三郎直圭仕出、弥兵衛高低帳
      仕出、甚右衛門、甚之助見取絵図清書、与平測量方日記調筆、
  一、海湖高低等覚書ニいたし、石黒、北本ゟ佐久間等三人へ一通、
    井上等三人へ一通達ス并荒木等へ一通送ル、且見取図清書
    弐枚石黒より佐久間等三人へ達ス、
  一、大浦問屋等、塩津旅宿江伺ニ出ル、
  一、測量筋ニ而、村々等可尋ケ條并ニ絵図凡例覚書共、石黒等
    ヨリ弥兵衛江渡シ、廻達之義談スル、
 
     廿七日 晴天    
  一、塩津止宿二十二人之内坂井上下、北本上下、大坪、喜兵衛、
    与兵衛、甚右衛門、甚之助、吉右衛門、権兵衛、〆拾壱人朝五時頃
    塩津出立、船ニ而大浦江行、且測器長持一棹乗船江
    積込、坂井手合江持参、
  一、石黒上下、桜井、順次郎、弥兵衛、長三郎、和右衛門、六蔵〆八人
    朝五ツ時湖水端五百十三番之ケ所ヨリ手始メ測量取懸ル、
    林忠左衛門横マテ相調理、八人共林忠左衛門方ニ而昼食、
    昼後京津橋ヨリ取懸り岩熊村通同峠マテ測量、夕方
    塩津江立帰り、右忠左衛門方止宿之事也、
23     外ニ    
      米山、小右衛門、権右衛門〆三人、朝敦賀
      出立、疋田弁当ニテ夕方塩津江着、右忠左衛門方同宿、
    塩津泊り、
     〆拾壱人
  一、弥三兵衛義、朝塩津出立、敦賀江地割紙等取ニ遣ス、
  一、塩津浜村横目半九郎庄屋等組頭之今一日押受、
             中列之旨
  一、岩熊村年寄弥十郎庄屋之 領限り押受、
            次列之旨
 
     廿八日 天気
  一、米山、石黒上下、桜井、順二郎、弥兵衛、長三郎、権右衛門、六蔵、    
    小右衛門、和右衛門、〆拾壱人、外ニ宿忠左衛門せかれ和一郎并同所仁平等
 
    朝五半時頃塩津出立、舟弐艘ニ乗、湖水端等為見分与竹生嶋迄行、
      但四つ半頃、竹生嶋間懸江漕行候処、坂井等も同所江、
      罷越居、同所小嶋之辺ニ而舟漕合、
  一、竹生嶋ニ而所々測量等之上、船中ニ而弁当、夫ゟ八ツ半頃伊吹山風
    吹出、暫時江塩津浦迄帰航、右忠左衛門方止宿之事、
 
     廿九日 雨風
  一、風雨強測量出来不申ニ付、米山等拾壱人塩津ニ逗留、
 
24     但、石黒、長三郎、順二郎半日下絵図仕出、順二郎半日直    
      圭〆立、弥兵衛高低根帳仕出、
  一、夕小林金三郎、同人手代嘉七并塩津問屋中村佐右衛門、右三人
    塩津ニ而米山等旅宿江伺ニ出ル、
 
     晦日 雨風
  一、昼前風雨ニ而測量出来不申ニ付、米山等拾壱人塩津ニ逗留、
    四ツ半時頃昼喰之上出立、六蔵義直ニ大浦ニ而坂井等手合江
    遣ス、其余米山、石黒上下、桜井、順二郎、弥兵衛、長三郎、
    小右衛門、和右衛門、権右衛門〆拾人手合分等いたし、岩熊道
    分レ戸ゟ測量取懸、余村領境迄相進候所、風雨強ク相成    
    測量出来不申ニ付、直ニ沓掛村へ罷越、同所徳雲寺ニ一向東方
                            飛椽
    止宿、
  一、中村横目庄兵衛領切押受、
  一、余村庄屋左門押受ニ出候得共、測量不致ニ付退方之義談ル、
  一、沓懸村庄屋宗三郎、伝内、外ニ年寄七左衛門等四人、止宿所江
    相詰居候事、
  一、米山等手合ニ明手之者有之候ハヽ、坂井等手合江遣呉候様、夕
    七つ時頃大浦ゟ沓懸ニ而米山方まて飛脚を以申遣候事、
 
25    三月朔日 晴天    
  一、沓掛泊拾人朝五時止宿所出立、米山、石黒、桜井、長三郎、小右衛門、
    和右衛門、外ニ沓懸村ゟ雇人足次郎右衛門〆七人、直ニ深坂口江罷越水
    矯取懸、深坂問屋ニ而弁当、昼後同峠迄相懸、夕方深坂江立戻、
    問屋小林金三郎方止宿之事、
    順二郎、弥兵衛、権右衛門、米次郎、外ニ沓懸村ゟ雇人足豊右衛門〆
    五人朝同刻出立、中村、余村領境ゟ測量取懸、沓懸村徳恩寺
    ニ而昼喰、昼後深坂切留地蔵之前迄相進、右金三郎方止宿、
      深坂泊〆拾人、
  一、測量長持等沓懸ゟ雇人足ヲ以、昼後深坂江送候事、
  一、余村年寄仁兵衛義領切押受、    
  一、沓懸村庄屋伝内米山等同道、今一日押受之事、
 一、深坂問屋手代嘉七、昼後同断押受之事、
 
     二日 雨
  一、大雨并霞強ク測量出来不申ニ付、米山等拾人深坂ニ逗留、
      但、順二郎、弥兵衛下絵図仕出、長三郎直径念算、
  一、吉右衛門義、朝月出村出立、昼四半頃深坂江来り、
 
26    三日 雨    
 一、深坂泊拾人之内順二郎、吉右衛門、和右衛門朝五半頃出立、深坂口
    ゟ測量取懸、弥兵衛、長三郎、権右衛門、米次郎同刻出立、新道野
    近道より測量取懸、右両手合新道野国堺ニ而折合、夫ゟ新道村迄
    相懸、同所庄屋次郎八ニ而弁当、昼後順二郎等三人奥麻生村
    并刀根川筋等江入込測量、弥兵衛等四人麻生口村通曽々木村迄
    相懸、右人々曽々木泊り、
  一、米山、石黒、桜井并小右衛門、〆四人深坂出立、所々見分等之
    上曽々木村止宿、
      曽々木泊〆拾壱人、宿、正眼寺禅
                    宗
  一、測器之内水矯道具壱荷、深坂ゟ直ニ疋田江送ル、其余長持等ハ    
    曽々木江送ル、
  一、新道村年寄孫右衛門義領切押受、
  一、曽々木村庄屋甚兵衛、年寄五郎太夫等四人、止宿所へ相詰
    居候事、    
  一、夜五時頃深坂ニ而、坂井ゟ曽々木ニ而米山方へ飛脚至来、
 
    四日 五ツ半頃迄雨、又七つ頃ゟ雨風
  一、米山等拾一人、朝五半頃曽々木止宿所出立、権右衛門、弥兵衛義、
    奥野村江相廻ル、其余之人々曽々木村ゟ測量取懸、疋田迄相進、
27   同所次郎兵衛方ニ而昼喰、昼後米山在宿、弥兵衛、長三郎下絵図    
    仕出、其余石黒等疋田町中カ新道道分レ口ゟ山中道ノ方へ測
    量いたし、深坂道入口棒杭迄相懸候処、風雨ニ相成七つ時頃
    疋田江立戻、右次郎兵衛方止宿、  
 一、曽々木村年寄小左衛門、奥野村庄屋小次郎領切押受、
  一、疋田駅役人代り作右衛門、昼後押受、
 
     五日 晴天
 一、疋田泊拾壱人之内、米山、石黒、桜井、順二郎、小右衛門、権右衛門、米次郎、
    和右衛門〆八人、追分村之上深坂道入口ゟ同峠迄測量、且四ツ頃米山義、
    深坂ニ而坂井止宿迄行、夫ゟ疋田江立戻昼喰、    
  一、弥兵衛、長三郎疋田止宿ニ而下絵図仕出等、
  一、吉右衛門義、四ツ頃疋田出立、敦賀江遣ス、
  一、米山等拾人昼喰之上、敦賀江戻、
  一、水樋等八品、疋田次郎兵衛方ニ差預則預り書取置、其余之品々
    敦賀江送ル、
  一、市助義、新道野江宿方之義ニ付罷越候旨ニ而、八ツ時頃疋田ニ而米山等
    止宿江立寄、  
   
     六日 晴天
 一、佐久間上下四人、木村上下四人、和田上下三人、外ニ小右衛門〆十弐人、
28   朝五半頃敦賀出立、山中通海津江罷越ス、    
 一、荒木上下三人、折橋上下三人、山田上下弐人、外五郎兵衛、十太郎、
    五右衛門、弥右衛門、庄助〆拾三人、朝五半頃敦賀出立、金ヶ崎
    辺等見分、立戻昼喰之上新道野泊り、
  一、八助義、佐久間等荷物ニ差添皆(海ヵ)津江行、
  一、七時頃坂井上下、北本上下、大坪、喜兵衛、与兵衛、甚右衛門、甚之助、六蔵、
    弥三兵衛、権兵衛敦賀江戻、
  一、石黒并順二郎、弥兵衛、長三郎敦賀ニ逗留、下図等調筆、
     敦賀米七泊〆拾五人
 
    七日 晴天    
  一、米屋七郎右衛門泊拾五人、昼前下絵図并測量方調筆等いたし、
    昼後右拾五人之内和右衛門之外拾四人、井上等与船ニ乗り、金ケ
    崎辺ゟ丸山陣屋之辺迄見分、
  一、夕方佐久間等方へ金沢ゟ飛脚来り、但米七方ニ泊ル、
 
   同八日 晴天
  一、石黒上下弐人并与兵衛、長三郎、和右衛門五人、四ツ半時頃敦賀
    出立、山中駅井筒屋伊左衛門方弁当、夫ゟ海津へ罷越、
29   岡本治郎兵衛方泊り、    画像  翻刻トップ  画面トップ
 一、海津中村町肝煎五郎兵衛等三人、小荒路村領堺江罷出居押受
    等仕候、
  一、荒木等拾三人、山中駅中原弥四郎方泊、
 
    同九日 大風後雨
  一、此日手合分、朝五つ時頃、石黒上下弐人并海津五郎兵衛、岡本治郎兵衛、
    外ニ人足弐人〆五人、中村町ゟ大崎辺迄見分、且与兵衛、長三郎、
    和右衛門外ニ人足弐人〆五人、庄堺川尻ゟ宝幢院前迄測
    量相進、同院方弁当、昼後手合分、与兵衛并人足壱人
    右口ゟ越坂峠下タ迄測量、長三郎、和右衛門外人足壱人
    昼前之口ゟ鳥越道測量、夕方止宿岡本治郎兵衛方江戻泊、
  一、順次郎、甚右衛門、甚之助三人、敦賀ゟ参り同家泊、
  一、荒木等拾三人井筒屋  方泊、    
 
    同十日 風
  一、石黒等六人昼前分見下絵図並測量方調筆、昼後
    石黒上下弐人并甚之助、今津へ罷越、与兵衛、長三郎、和右衛門
    昨日之口々ゟ測量及字北橋ゟ中村町迄相進、順二郎、
    甚右衛門絵図等調、五人共岡本治郎兵衛泊、
 
    同十一日 晴天
  一、順次郎、甚右衛門絵図調、且与兵衛、長三郎、和右衛門三人、朝
    五つ時止宿岡本治郎兵衛方出立、大崎寺罷越、同所ゟ測量、
30   海津町端迄相進、止宿治郎兵衛方昼喰仕、昼後町中等    
    測量、同家ニ而泊、
  一、翌十二日佐久間帰国ニ付、和右衛門之外四人、夜八つ時頃海津出立、今津
    丁子屋伝右衛門方へ罷越、
 
    十二日 時々小雨
  一、順次郎、与兵衛、甚右衛門、長三郎夜八ツ時頃海津出立、
    暁七ツ時頃今津着、且和右衛門義海津ゟ荷物
    指添、朝五ツ半時頃今津江罷越、〆五人、石黒等宿
    丁子屋、伝右衛門同宿之事、
  一、佐久間久佐上下四人、朝五ツ時今津出立、海津
    迄乗船帰国いたし候事、
  一、図方五郎兵衛等七人、右同刻等出立、国本ニ罷帰候事、    
  一、順次郎等義、今津、弘川両村境筋分間方手分
    いたし、甚次郎、甚之助、権兵衛字大林ゟ南之方、
    弥兵衛、長三郎、栄次郎同所ヨリ北弘川村領堺、
    与兵衛、甚右衛門、弥三兵衛今津村領南堺ヨリ取懸り
    測量いたし候、
      但シ石黒、北本右調理所見廻候事、
  一、今津村肝煎兵右衛門等四人、人足三人、弘川村肝煎
    七郎右衛門等六人、人足三人、領切押請等ニ罷出居候事、
31 一、喜兵衛手帳五冊、順二郎同三冊、直径仕出帳等長短弐冊、    
    弥兵衛手帳四冊、与兵衛同六冊、紙出入帳壱冊、
    甚右衛門手帳四冊、甚之助同弐冊、長三郎同四冊取立、
    外ニ石黒手帳三冊、北本手帳五冊共、壱詰ニいたし
    長持江仕抹置候、尤長持等肝煎兵右衛門へ預置候事、
十三日 晴天
 
     十三日 晴天    
  一、井上、坂井上下、桜井、大坪、権右衛門、六蔵外ニ今津詰留書吉村
    兵三郎〆八人、朝六半時頃今津出帆、七つ時頃大津着、宿松坂屋幸七方、
  一、木村上下四人、和田上下三人 此家来ハ 権兵衛、弥三兵衛、小右衛門、
                  吉右衛門也
    荒木手代右七郎〆拾壱人、朝五時頃今津出立、白髪等ニ而
    弁当、木戸泊、宿桝屋庄兵衛方、
  一、荒木上下弐人、折橋上下三人、山田上下弐人、石黒上下弐人、北本上下
    弐人、喜兵衛〆十弐人、右同刻今津出立、大溝弁当、白髪参
    詣、夫ゟ布曳瀧、比良山遠見、木戸泊、右庄兵衛方、
  一、測器入長持等覚書を添、今津肝煎兵右衛門江預ル、
      但、長持鍵ハ封シ候而預置候事、
32 一、順二郎、弥兵衛、与兵衛、甚右衛門、甚之助、長三郎、和右衛門〆七人、    
    右同刻今津出立、大溝昼、榎泊、宿近江屋長兵衛、
      但、此人々上京中、自分払之義ニ談置ク、
  一、村伝湖辺之村々取調理方之義、喜兵衛へ談方いたし候事、
 
     十四日 朝五半時頃ゟ雨
  一、井上等八人朝大津出立、四つ半頃京都着、宿三条大橋
    爪俵屋喜兵衛、
  一、木村、和田等木戸泊弐拾三人、朝五半時頃出立、堅田江相廻
    衣川弁当、唐崎松一見、三井寺参詣、右之内木村等
    拾七人大津泊、宿前所木屋虎吉方、    
     但、石黒上下、北本上下、茂三郎、小右衛門〆六人、右木虎
     ニ而夕飯支度之上、小関越ニいたし夕五半時過京都
     着、俵屋喜兵衛泊、
  一、順二郎等七人下坂本、昼七つ半頃京都着、右俵屋喜兵衛方泊、
 
     十五日 晴天
  一、坂井上下、桜井、大坪、案内者壱人雇、朝五時頃旅宿出立、西山見物、
  一、木村上下三人茂三郎、和田上下三人、荒木上下三人、折橋上下三人、山田
          之外
    上下弐人、喜兵衛、弥三兵衛、権兵衛〆十七人、朝大津出立、昼九つ時頃
33  京都着、右俵屋喜兵衛泊、    
  一、順二郎等昨夜俵屋喜兵衛泊七人之内、弥兵衛相残、其余六人六条
    江宿替、
  一、昼後権右衛門、六蔵、弥三兵衛、権兵衛之外、木村、和田等廿八人、妙心寺、
    御室椿地蔵、北野、平野等見物、夕方帰宿、
     俵屋泊〆三拾壱人、外ニ弥兵衛、
 
     十六日 晴天
  一、木村、和田、建仁寺、御陳所江相詰、
  一、荒木上下三人外ニ喜兵衛、弥三兵衛〆五人、案内者壱人雇、東山等見物、
  一、折橋上下三人、山田上下弐人〆五人、案内者壱人雇、東山等見物、
  一、井上在宿、    
  一、坂井、桜井、大坪、吉村、吉左衛門〆五人、案内者壱人雇、東山等見物、
  一、石黒上下、北本上下、弥兵衛〆五人、知恩院、祇園、東大谷、八坂、清水、
    西大谷大仏、三十三間堂見物、七条通ニ而稲荷社御幸拝見、東寺
    虫払内見、東本願寺参詣、夕五半時頃帰宿、
      但、東大谷迄順二郎、与平、甚右衛門、甚之助、長三郎、和右衛門も
      同道、且右十一人祇園ノ横平野屋ニ而昼喰、
  一、喜兵衛、順二郎、弥兵衛、与平、甚右衛門、甚之助、長三郎、吉右衛門、権兵衛、
    弥三兵衛、和右衛門江料銀中勘相渡シ、受取書取置ク、
      俵屋泊〆三十弐人
 
     十七日 晴天
  一、木村、和田、昼前建仁寺御陳所詰、昼後所々見物、
34 一、荒木上下三人、案内者壱人雇、下加茂ゟ西山辺見物、    
  一、折橋上下三人、山田上下弐人、案内者壱人雇、右同断、
  一、坂井、桜井、大坪、吉村、大仏辺ゟ六条辺等所々見物、
  一、石黒、北本、小右衛門、早朝本願寺参詣、夫ゟ町中見物、
  一、先頃損シ候磁石并坂井持参之磁石、弥兵衛持参、寺町通清願寺
    前磁石師宇治屋弥七方ニ直ニ遣ス、
  一、喜兵衛之家来竿取等、所々見物、
    俵屋泊〆三十弐人
 
     十八日 雨天    
  一、木村、和田、井上、新御屋敷江御用、其外人々思々見物等、
  一、夜四半時頃、西大谷出火いたし候事、
  一、井上、小右衛門、北本、所々見物、祇園辺等見物いたし候事、
 
     十九日 晴天
  一、木村上下四人、和田上下弐人、井上并権右衛門、小右衛門〆九人
    京都ニ残ル、                   外ニ吉村兵三郎
  一、荒木上下三人、折橋上下三人、石黒上下弐人、山田上下弐人〆拾人
    昼四半時頃等石俵屋喜兵衛方出立、大坂江行、内石黒并小右衛門
                          茂三郎、入夜伏見迄
                          同所ゟ舟ニ而大坂罷越候、
  一、坂井上下、北本上下、桜井、大坪、喜兵衛等七人、権兵衛、弥三兵衛、和右衛門、
    六蔵、吉右衛門〆拾八人、昼四半頃昼喰之上京都出立、夕七半頃
35   迄ニ追々大津江着、大坂屋弥三郎方泊り、    
      但、夕問屋吉本弥四郎ゟ坂井等方江酒肴差越、
  一、坂井両懸壱人、北本同断、桜井、大坪両人ニ而両懸壱人、外ニ馬壱疋
    雇、京都ゟ大津迄持出、
 
     廿日 時々小雨
  一、朝五時坂井等拾八人大津出立、膳所通勢多之橋一見、石山寺
    参詣、同所弁当、昼後獅子飛見分、夫ゟ大津江立戻、夕七半
    時頃右大坂屋弥三郎方止宿、
  一、吉村兵三郎、朝京都出立、夕七時頃右大坂屋弥三郎方同宿、
  一、暁天、石黒并小右衛門、茂三郎并小右衛門縁家之者四人ニ而
  一、芝居一覧仕候事、            大坂江□□□候事
 
     廿一日 晴天  大坂宿    
  一、坂井等拾九人、朝六半頃大津出立、喜兵衛、順二郎、甚右衛門、長三郎〆四人
    比叡山登山、其余坂井等拾五人、衣川并和邇ニ而弁当、右十九人
    共夕追々小松宿江着、同所丸屋庄兵衛方泊、
  一、大野之城主土肥能登守殿、京都ゟ帰国、木戸泊、
  一、大坂所々見物いたし、夕方又舟ニ乗、□川一夜ニ伏見へ着仕候事、
  
     廿二日 晴天
  一、坂井等拾九人、朝五ツ前小松出立、然所人馬支ニ付、荷物舟積相願
    申ニ付、坂井上下、桜井、大坪、吉村、外ニ弥兵衛、長三郎、権兵衛、弥三兵衛、
    和右衛門〆拾人、同浦ゟ右舟ニ乗、昼九つ時頃今津江着、但吉村、
    兵三郎直ニ御役所西福寺江着、一統今津弁当、
36   北本上下、喜兵衛、順二郎、与兵衛、甚右衛門、甚之助、弥三兵衛、吉右衛門〆九人    
    小松ゟ陸通今津弁当、右坂井等拾八人海津泊、宿秋田屋久右衛門方、
  一、当十三日今津肝煎兵右衛門江預置候長持等不残受取、宿継人足ヲ以
    海津江送ル、                     
  一、明日ゟ白谷与山中道与測量二タ手ニ別レ申ニ付、雇人足等之義中村丁  
    組合頭次郎八等呼寄、談方致ス、
  一、松平家大坂江御越之事、
  一、大聖寺様近々上洛之旨ニ而、藩中追々通行、
  一、石黒、小右衛門、茂三郎三人
    廿二日伏見ニ而、ミハ与云料店ニ而朝飯いたし、所々見物、七ツ
    頃京都へ着仕候事、尤三條俵屋ニ而同宿之事、
 
     廿三日 朝雨後天気
  一、海津泊拾八人、朝六つ半時頃出立、坂井上下、大坪、喜兵衛、弥平、与兵衛、
    長三郎、弥三兵衛、六蔵〆九人、外ニ海津中村町肝煎五郎兵衛、組合頭    
    喜兵衛、久七、人足三人、海津中之橋ゟ西之方測量并水矯取懸、
    且測量ハ知内村通白谷村之下モ大川土橋迄相進、水矯ハ上開田村
    之上迄相進、夕暮方海津江立戻、本陳岡本次郎兵衛方泊、
    北本上下、桜井、順二郎、甚右衛門、甚之助、吉右衛門、権兵衛、和右衛門〆九人、
    外ニ海津中村町組合頭次郎八、人足三人、右中之橋ゟ取懸、測量、水
    矯共小荒路村領境迄相進、夕暮方海津江立戻、右次郎兵衛方泊、
      海津泊〆拾八人
   海津役人之外
  一、西浜村庄屋善四郎、領切押受、
  一、蛭口村庄屋庄五郎、同断、
  一、寺久保村庄屋安兵衛、同断、
  一、下開田村庄屋佐吉、同断、
37 一、上開田村庄屋次郎兵衛、同断    
  一、木村、和田并井上、石黒京都ニ而逗留之事、
 
     廿四日 四ツ頃雨後天気
  一、坂井手合九人、朝海津出立、喜兵衛等ハ西浜村領本街道入口ゟ蛭口村
    領川土居迄測量、夫ゟ昨日之口土橋ゟ白谷村中迄相進、同村正通寺
    一向宗ニ而弁当、弥兵衛等ハ昨水矯之口ゟ取懸、白谷村家建際迄相進ミ、
    飛椽
    右同寺弁当、昼後右人々猿ケ馬場ゟ横峰通鳥打迄見分、
    夕方白谷村江立戻、右正通寺泊、
    但、北本、桜井手合九人も朝同刻出立、下モ之方へ罷越候事、
  一、海津中村町肝煎五郎兵衛、組合頭吉兵衛、久七、白谷村泊、人足三人ハ
    夕方帰村、
  一、上開田村年寄太右衛門、領切押受、    
  一、白谷村庄屋平左衛門、昼前押受、昼後百姓伊三郎登山道案内、
  一、昼後、木村、和田并藤右衛門大津泊ニ而罷越候事、同所ニ而
    崎田小左衛門同宿之事、且崎田留守居御用ニ而
                    京都江罷越候事、
 
     廿五日 晴天
  一、白谷泊九人之内、坂井上下、大坪、弥兵衛、長三郎、六蔵〆六人、外ニ
    海津五郎兵衛、久七、白谷村人足平次郎、昨日水矯之口ゟ取懸丸山
    之下タ渡り瀬迄相進、
    喜兵衛、与兵衛、弥兵衛〆三人、外ニ海津吉兵衛、白谷村人足両人、昨日
    測量之口ゟ取懸猿ケ馬場峠迄相進、水矯測量共夕方白谷村へ
    立戻、右正通寺泊、
  一、白谷村伊三郎等人足七人相雇、横峰道苅除為致候事、
  一、白谷村人足庄助義、山村庄屋江紙面為持遣、
38 一、山村庄屋五郎十郎義人足壱人同道、夕方白谷村へ罷越、右正通寺泊、    
     白谷村泊、合拾四人、
  一、大津出立、瀬田口石山廻り、又大津ニ而昼食いたし衣川泊、
    之事、
 
     廿六日 朝曇後天気 八半頃小雨
    坂井等
  一、白谷泊九人朝五つ時出立、大坪、弥兵衛、長三郎、六蔵、外ニ海津
    五郎兵衛、吉兵衛、久七、白谷村人足壱人、昨水矯之口ゟ取懸猿ケ
    馬場迄相進、夕方白谷村へ立戻、右正通寺泊、
    喜兵衛、与兵衛、弥三兵衛、外ニ白谷村人足弐人、朝下野村領劔熊川
    落合ゟ白谷村往来迄測量、夫ゟ丸山下タ渡瀬ゟ横峰之北迄
    相進、夕方白谷村江立戻、右正道寺泊、
  一、坂井上下外ニ白谷村人足伊三郎同道、右測量水矯之ケ所見廻
    并横峰辺等地理見分、右正通寺泊、    
  一、山村庄屋五郎十郎等両人朝帰村、
  一、山村百姓弥三郎、半兵衛与申者、昼頃山切開方之義ニ付、坂井方へ
申来り、
    白谷泊〆拾弐人
  一、木村、和田并石黒、衣川出立、今津泊事、
 
     廿七日 晴天
  一、白谷泊拾弐人朝五時頃出立、横峰江登山、然所山村役人代り
    弥三郎義、人足拾人計召連登山いたし居候、右之内弥兵衛、長三郎
    義、人足万五郎与申者召連、山村迄直ニ罷越、同村長仙庵ニ而
    昼喰之上、同村石割地蔵ゟ測量取懸、口無川迄相進、夕方
    山村江立戻、右長仙庵泊り、
    坂井上下、大坪、六蔵、外ニ海津中村町肝煎五郎兵衛、久七、山村
39   人足三人、横峰ゟ川筋通見分、八つ半頃山村江着、右長仙庵泊、    
    喜兵衛、与兵衛、弥三兵衛外ニ海津吉兵衛、山村人足弐人横峰辺昨測量
    之口ゟ取懸、字魚留之下モ方迄相進、夕方山村江罷越、右長仙庵泊り、
      山村泊〆九人 外ニ海津役人三人
      合拾弐人
  一、白谷村年寄仁右衛門、山ノ神之馬場迄見送り、
  一、山村ゟ道筋苅除并測量等手伝之分共、人足廿弐人罷出居候事、
  一、海津中村町豊蔵、長次郎、長七、三七〆四人、山切開受負
    致度旨ニ而同道いたし、山村泊り、
  一、今津へ早朝井上并京都大垣屋庄兵衛、白川村四郎兵衛、丹波国忠次郎
    召連相見得、昼後木村、和田等一同海津泊、藤右衛門、小右衛門、茂三郎、
                       入夜着仕候事、
 
     廿八日 晴天
  一、坂井等山村泊十弐人之内、弥兵衛、与兵衛、六蔵、外ニ海津吉兵衛、山村
    人足両人〆六人、口無川ゟ測量取懸、魚溜之下モ迄取付ケ、夕方   
    敦賀江罷越、網屋庄兵衛、米屋七郎右衛門ニ止宿、
    坂井上下、大坪山村ゟ直ニ敦賀江罷越、網屋庄兵衛方止宿、
    喜兵衛、長三郎、弥三兵衛、外海津五郎兵衛、久七〆五人、山村領石割
    地蔵ゟ測量取懸、御名弁当ニ而、櫛林村若州往来迄相進ミ、
    夕方敦賀江罷越、喜兵衛等ハ米七泊、海津両人網庄泊、
  一、北本上下、桜井、順二郎、甚右衛門、甚之助、権兵衛、和右衛門、吉右衛門〆九人
    敦賀江罷越、網庄、米七泊り、                   七つ時頃
  一、山村年寄作次郎領切案内、
  一、御名村役人代り、不名知、同断、
  一、砂流村役人代り源右衛門、同断、
                京都
  一、木村、和田、井上、石黒并大垣屋庄兵衛、白川村四郎左衛門、三男四郎兵衛、
40   丹波国忠次郎召連、横峰鳥打見分ニ而木村、和田海津へ罷帰、    
    荒木等三人迎ニ白谷迄相見得候事、井上、小子、白谷村正通寺ニ泊、
                
     廿九日 晴天
  一、先頃於今津、測量方江仕抹置候野帳、喜兵衛等人々江渡ス、
                    若州往来
  一、桜井、喜兵衛、弥三兵衛昨日測量之口ゟ取懸、生□松原辺迄取附、
  一、北本、順二郎、長三郎、和右衛門、海津吉兵衛〆五人、中村ニ而人足壱人
    相雇、道口村ゟ本街道通谷口村迄、夫ゟ木ノ目川六分橋迄測量、
  一、大坪、弥兵衛、権兵衛、長蔵〆四人、金ケ崎ゟ気比ノ宮後通り測量、
    右六分橋迄取付、
  一、甚之助、吉右衛門、助次郎〆三人、長沢道木ノ目川橋ゟ川筋等測量、
  一、甚右衛門、与兵衛腰痛等ニ而不参、
  一、木村上下四人、和田上下弐人、荒木上下弐人、折橋上下三人、山田上下  
    弐人、小右衛門、昨夜海津泊ニ而夕七半頃敦賀江着、網庄、米七泊、
  一、井上、石黒上下弐人、権右衛門外ニ京都岸町大垣屋庄兵衛
    白川村四郎左衛門、弟四郎兵衛、丹波国忠次郎外ニ家来壱人、昨夜
    昨夜白谷泊ニ而夕七半頃敦賀江着、網庄、米七泊、
  一、海津五郎兵衛等四人敦賀ニ居泊、宿桧皮屋、
  一、木崎村彦六、櫛林村ゟ敦賀迄測量道案内、
 
     四月朔日 大雨
  一、喜兵衛等七人宿ニ而手帳之表、道程〆立等、
  一、荒木手代右七郎、昼後荷物ニ差添敦賀江帰ル、
41 一、喜兵衛等七人、竿取三人、吉右衛門〆拾壱人渡り五拾五両弐歩   
    金請いたし、夫々相渡受取書取置ク、
  一、喜兵衛等六人外ニ弥三兵衛、明日出立帰国ニ付、木村名印之先触葉原
    宿迄指出ス、
  一、京都大垣屋庄兵衛等昼喰之上罷帰候事、
      但、新道野道等案内方与して権右衛門、六蔵両人為送、
 
     二日 曇天
  一、喜兵衛、順二郎、与兵衛、甚右衛門、甚之助、長三郎、弥三兵衛〆七人、朝
    六半頃敦賀出立帰国、
      但、右人々江本馬壱疋渡、且測器長持壱棹、人足四人ヲ以
      宿継喜兵衛等ニ送ラス、
  一、坂井上下、桜井、大坪、石黒上下、北本上下、弥三兵衛、吉右衛門、小右衛門、権右衛門、   
    和右衛門、井上家来〆十四人、昼後敦賀庄ノ橋爪ゟ水矯取懸り    
    櫛林村通砂流村迄相進ミ、夕及暮敦賀江帰宿、
  一、権右衛門、六蔵、昨夜塩津泊ニ而、昼八つ頃等敦賀江帰ル、
   
     三日 天気 夕方ゟ雨
  一、坂井上下、石黒上下、北本上下、桜井、大坪、弥兵衛、小右衛門、吉右衛門、
    権兵衛、和右衛門〆拾四人、朝五半頃敦賀出立、昨水矯之口ゟ取懸   権右衛門、
    山村橋之上ニ湖面与等キ地面迄相進定杭ヲ打、夕方敦賀江帰ル、
      但、山村庄屋五郎十郎ニ而弁当、
42 一、木村上下三人、和田上下弐人、米山、荒木上下三人、折橋上下弐人、山田   
    上下弐人、六蔵、井上ノ家来〆拾五人右同刻出立、山村迄見分、
    同村玉泉寺天ニ而弁当、昼後不室山之横迄立登所々遠見
         台
    之上、夕方敦賀江帰宿、
  一、山村庄屋五郎十郎義、木村等之領切案内、
 
     四日 天気
  一、石黒、北本、弥兵衛、宿ニ而高低略絵図等仕出、
  一、権兵衛、和右衛門、吉右衛門測量荷物認方等、
  一、桜井、大坪旅宿へ相見得候事、
 
    五日 天気    
一、荒木、桜井、大坪敦賀出立、府中泊ニ而罷越、且弥兵衛、
権右衛門も罷出候事、
一、敦賀ゟ湖水迄之高低付、木村、和田両人へ網庄ニ而
達候事、
 
  六日 曇天 朝之内少々雨降
一、木村上下、折橋上下等、大工吉右衛門敦賀出立、今庄泊
    ニ而被罷越候事、
一、和田上下三人今津へ被罷越候事、
一、米山、坂井、米七方へ入夜被相見候事、
 
43    七日 天気 夕方ゟ曇夜雷鳴  
一、朝敦賀米七方出立、山田、北本、石黒、網庄方へ立
    寄暇乞いたし、新保村ニ而昼食いたし、鯖波
    ニ而止宿いたし、旅宿小田中屋仁左衛門方ニ而いたし
    尤、上下六人竿取権兵衛、和右衛門都合八人
    止宿之事、
一、木綿屋鹿七、朝旅宿へ罷越候事、
一、両掛合羽相忘候ニ付、米原ゟ敦賀栄次郎罷帰候而新保村
  迄追付候事、
一、木村等浅水泊ニ而も罷越候事、
 
  八日 曇天夜ニハ雨降或ハ北風吹
一、鯖波出立いたし、昼浅水ニ而いたし福井ニ而見物
    いたし、森田ニ而泊、宿坂口平助方ニ而候事、  
一、大聖寺家中、会津家中も同所ニ而止宿も有之候事、
一、木村等金津泊ニ而罷越候事、
 
     九日 雨天寒
一、森田村坂口平助方出立、駕篭ニ而朝六ツ頃ゟ罷出候事、
    尤、舟橋ゟ宿継相弁森田ハ諸役御免之所ニ而有
之由也、坂口宅ハ川ノ縁ニ而絶景也、昼食細呂木ニ而いたし
同所開所大聖寺関所を越、小松迄罷越、且山田、吉崎へ
相廻、細呂木ニ而一集ニ相成候事、小松宿新保屋泊、
一、飛騨守様、当十一日大聖寺御発駕、京都へ御敬衛与し
て、御上京被成候由沙汰仕候事、
 
44     十日 天気  
一、朝小松出立、粟生川原出水ニ付、湊廻いたし候事、
     水嶋ニ而昼食いたし、松任ニ而休足金沢へ着仕候事、
 
      十一日 晴
一、御改作所江罷出ル、帰案内申上候事、尤朝佐久間様へ罷出候事、
一、折橋、山田御暇仕候事、篠嶋左平様へ山田、北本□三人罷出候事、
一、壮猶館ゟ御渡之望遠鏡并管径儀、継竿等御改作所返上
     仕候事、尤会津様行今津等之絵図不残御渡之事、
 
      十二日 晴
一、御改作所江罷出ル、
一、米山専蔵昨十一日帰着、今日糧道方御役所相立候ニ付、
     罷出ル、    
一、測量方御長持石黒等宅江持参、下絵図等出来方之事
     ニ御談御座候事、
一、
 
      十三日 晴
一、朝四時金沢出立、石動泊、但石黒上下、北本上下、竿取弐人
一、石黒宿御器屋六兵衛、北本宿蓮根屋某、
 
      十四日 晴風吹
一、昼八時高木村江帰着候事、
 
45     四月十五日 天気  
一、在宅
 
      十六日 天気
一、藤右衛門放生津へ罷出、山田様江帰村案内之儀并申上、夫ゟ小杉
御郡所へ罷出、帰村案内申上、山崎様御在合ニ而御郡廻御請仕
候事、御宿へ立寄一集ニ宅罷越候事、高原屋紋九郎来ル、
                      □□□
 
      十七日 天気好シ
一、喜兵衛来ル、下絵図、長崎屋吉右衛門来リ候事、
一、水矯測器等夫々誂置候事、
   
      十八日 天気好シ
一、喜兵衛、甚之助、順次郎来ル、下絵図ニ取懸り候事、
一、赤祖父屋仁右衛門、磁石直物等之儀申談候事、
  
      十九日 天気好シ  
一、喜兵衛、順次郎、甚之助、長三郎来ル、頼成村弥兵衛、柿谷村与兵衛
     江飛脚遣候事、上伏間江村甚左衛門来ル、
 
     廿日 天気
一、喜兵衛、順二郎、甚右衛門、甚之助出勤、下絵図仕出等、長三郎
    道程念算、
一、弥兵衛、与兵衛昼後罷出候事、
  
46    廿一日 天気   
一、喜兵衛等七人共出勤、
    但、喜兵衛、順二郎、与兵衛、甚之助下絵図仕出、弥兵衛、長三郎
    道程念算、甚右衛門見取図等裏打、
 
     廿二日 南風吹或ハ雨降
一、順二郎、弥兵衛、与兵衛、長三郎、甚右衛門、甚之助出席
    いたし、
      但、順二郎、与兵衛、弥兵衛、甚之助下絵図、甚右衛門見取
      図等裏打、且喜兵衛不参、   
      長三郎村間イ道程仕出、
 
     廿三日 天気
一、喜兵衛等七人共出勤、但喜兵衛、弥兵衛、与兵衛、甚之助
    下絵図仕出、甚右衛門、小林金三郎ゟ借取候絵図写、順二郎
    半日ハ直圣方、長三郎直圣仕出、道程〆立等、
一、昼後、沖塚原村忠左衛門罷越、公辺ゟ渡り候大絵図写、
 
     廿四日 天気
一、長三郎不参、其余喜兵衛等六人出勤、但喜兵衛、弥兵衛、
    与兵衛、甚右衛門下絵図仕出、順二郎直圣仕出、甚之助
47   今津等下絵図仕出、   
一、沖塚原村忠左衛門 公辺ゟ渡り候大絵図写、
 
     廿五日 天気 時々曇
一、喜兵衛、甚右衛門不参、其余順二郎等五人出勤、
    但、順二郎直圣仕出、弥兵衛敦賀町絵図縮図、与兵衛、
    長三郎下絵図仕出、甚之助小林金三郎ゟ借受候絵
    図写、
 
     廿六日 雨
一、喜兵衛等七人共出勤、喜兵衛、与兵衛下絵図仕出、   
    順二郎、甚右衛門、甚之助下図継合等、弥兵衛敦賀町図
    縮図、長三郎直圣仕出、
 
     廿七日 天気
一、喜兵衛等七人共出勤、喜兵衛、与兵衛下絵図、順二郎、
    甚之助、長三郎直圣仕出、弥兵衛道程〆立等、甚右衛門下図継合
    之上水張等、
一、藤右衛門出府之義ニ付、荒木平助ゟ之紙面、金沢ゟ飛脚ニ而至来、
一、佐野鼎様等宿ニ可相成ケ所、為見分御出役ニ付御呼立之儀、
    南善左衛門ゟ申来候事、
 
48    廿八日 天気    
一、甚右衛門不参、其余喜兵衛等六人出勤、但喜兵衛西江州
    往還筋村続等見取図仕出、順二郎、与兵衛、甚之助
    長三郎直圣仕出、弥兵衛下絵図之表色分等、
一、沖塚原村忠左衛門、絵図方道具取集仕抹方等、
 
     ○廿九日 天気
一、朝、糧道下絵図凡例及夫々一様ニ相成候様示談方、
  且、中紙之下物寄合書ニ出来之義申談候事、
一、甚右衛門之外不残出勤仕居候事、且順二郎、長三郎、
    与兵衛、甚之介多分直径之仕出方ニ取懸り居候事、   
一、藤右衛門測量方為御用出府いたし候事、尤
    御長持等不残居在所之人足ニ而、津幡泊、宿
    河合屋理右衛門方也、
一、倶利伽羅ゟ富山飛脚ニ逢、津幡迄同道いたし
候処、当廿四日京都出立、廿七日富山へ罷帰、今日又出立、
来月二日迄京都へ着之旨、当月十八日頃大坂江
御召寄之異人、大坂ゟ大津へ出、木戸泊ニ而越前
敦賀へ罷越候処、浪士相騒候躰、付添之公義役人も承り候
而、又疋田へ罷帰、塩津海道ゟ東海道へ廻り、大坂江引取
候躰ニ而、其節京都余程相混し候由、諸藩共京地へ
罷出候ヘハ打取候抔与申説ニ而、西海走飛脚等大
49   騒之躰与申噺を承り申候事、    
一、沖塚原村忠左衛門絵図方諸書物等調理方
    ニ罷出居、測器詮義方等与して高岡迄召連候事、
一、野帳等入用之旨、半兵衛宅へ持参いたし候旨も有之
    候事、
 
     晦日 天気
一、朝津幡出立、金沢袋町小笹屋吉兵衛方へ昼九ツ
    頃着仕、北野氏旅宿鳥渡罷越、夫ゟ御改作所へ
    罷出着案内仕候事、    
一、来月々初射水海辺ゟ口郡海辺迄ニ澗ニ可相成ケ所、
    為御見分御算用場御奉行所御両人、御軍
    艦方御奉行所御両人、壮猶館御奉行所御両人、    
    御改作御奉行所御両人御出役之儀被仰渡候由ニ而、
    南氏廻文小子へ為見申候事、紙面中小子も出役可
    致段書加有之候事、
一、御役所後、木村九左衛門様等屋敷へ罷出候処、大坪岩次郎
    越前敦賀ゟ罷帰候処ニ而、木村様御聞取中ニ御噺
    仕居候、左之通、    
    為探索方敦賀へ罷越候へ共、異人引取候跡ニ而御座候、
    且、異人四、五人、外国方役人五、六人付添、敦賀湊
    為一見罷出候由也、尤浪士相騒候様子承り、永建寺
    ニ而一泊、翌日早々罷帰候躰也、
一、京都江春嶽公并土州、佐州等罷出候由ニ而
50   敦賀を夫々手入方有之なと風説茂有之、旁以早   
    速絵図出来いたし、公辺江達方可仕旨御談之事、
一、今度海岸浅深調理方之儀等有之、先下調理
    之上置□可仕ニ付呼立候段被仰渡、尤調理方之儀
    ハ明日御殿ニ而佐野鼎等承合可申談、彼是測
    量繁多之時節ニ而、先達而指出候書物等都而
    達候程取揚ニ而、控等無御座旨御噺之事、
一、御米方為交代、今日米山専蔵発足、敦賀へ着
    次第坂井良輔罷帰候由也、彼地へ又京都之者
    罷越、白谷筋ニ堤ニ而も拵候ハヽ宜敷抔申居候申也、
    図書等坂井持参之旨大坪噺仕居候事、
一、桜井秀蔵忰、今度割場江御召抱ニ相成候
    由、尤御賞美ニ而有之、秀蔵病気茂追々快   
    方ニ而御座候由也、
一、北野、福野今日御役所出席不致候事、荒木
    出席有之侯事、
一、夕方、佐久間久佐様江も御尋申上候事、
 
     五月朔日 暑気相増、七ツ時頃ゟ雨降
一、芝山様、広瀬様、玉井様、山田様へ名札上候事、
一、夕方ゟ杉本様鳥渡罷出候事、
一、観音町小松屋ゟ出火、七、八軒計類焼致ス由也、
一、頭分以上不時登城ニ而、御家督之節御酒頂戴被仰付候由也、
51 一、能越加三州海辺為見分沢村恒右衛門様、小幡和平様、    
    生駒勘右衛門様、稲葉助五郎様、木村九左衛門様、佐野鼎様
    并測量心得候者与云事、御治定之由承り候事、
一、荒木、石崎、南等鳥渡顔出仕候事、
 
     五月二日 快晴
一、福野、小子旅宿へ相見得候事、北野相見得候
    ニ付、同道ニ而御役所へ罷出候処、御改作所ゟ御用
    之旨ニ而則罷出候処、木村様ゟ今度加越能
    三州海岸之内、製鉄所ニ可相成ケ所為見分
    御場御奉行所、壮猶館御主付御軍艦御
    奉行所等為見分、当五日出立罷越候ニ付、ケ所    
    ニ寄測量も可仕、就夫測器并誰々召連候
    而宜哉、急速名書可指出、且縄張人等も其
    所ゟ出候事ニ成候而も宜与板仰渡、半兵衛御呼立
    御紙面之儀申上候事、御軍艦方ゟ測量方可
    罷出哉与御尋申上候処、御役所へ御任せ之由ニ付、
    大坪岩次郎を御召連候儀ニ相成候事、
一、糧道絵図御達申上候処、直与公辺江御達之
    旨ニ而、谷合等之儀尋方も有之、高低絵図一枚
    書写候分も御達申上候様御談ニ付、夫々上置候事、
52 一、先達而敦賀ニ而上候覚書一通入用之旨    
    御談ニ而書上候処、少々御好も有之、調替候儀
    御談ニ而、明後四日迄可達段被仰渡候事、
 
     五月三日 快晴
一、昼前、高低付等小紙相調居候、昼後遠藤様江
    罷越候処、能州奥、口御見分之由、夫ゟ安井様江
    罷出、夫ゟ松平和十郎様、渡辺久米太郎様、林省三様
    江罷出、夫ゟ木村様江立寄、戻り懸佐野鼎様等
    江名札上、夫ゟ板坂様、小幡様へ名札上候而旅宿へ    
    罷帰、自分勤和田金内、沢村両家へ立寄候事、
一、北本、今日道泊、朝明日□□ニ出府之旨返書
                   いたし候事
 
     五月四日 快晴
一、御役所ニ而望遠鏡等御渡之事、
一、北本、出府いたし候ニ付、一集大坪氏等旅宿へ
    罷帰、一杯相始候事、