© Imizu City Shinminato Museum.

絵図(広域地図) 福井県・滋賀県

敦賀ヨリ京都エノ糧道御開ニ付請銀等品々留帳

 慶応三丁卯正月   
  敦賀ヨリ京都エノ糧道御開ニ付
   請銀等品々留帳
    仕出帳下物
         石黒
 
1    覚    
 一、七両      喜兵衛
 一、五両弐歩    順二郎
 一、五両弐歩    弥兵衛
 一、五両弐歩    与兵衛
 一、五両弐歩    長三郎
 一、五両弐歩    甚之助
 一、五両弐歩    吉右衛門
 一、三両弐歩    権兵衛
2 一、三両弐歩    弥三兵衛   
 一、三両弐歩    和右衛門
  〆五拾両弐歩
  右私共日懸料銀之方江、為御中勘御渡奉受取候、以上、
   卯三月十六日 於京都
            喜兵衛 (花押)
            順二郎 (花押)
            弥兵衛 (花押)
            与兵衛 (花押)
            長三郎 (花押)   
            甚之助 (花押)
            吉右衛門(花押)
            権兵衛 (花押)
            弥三兵衛(花押)
            和右衛門(花押)
    石黒藤右衛門殿
    北本半兵衛殿
3   覚    
 一、八両      殿村津幡江村
               喜兵衛
 一、五両      徳用村
               順二郎
 一、弐両      頼成村
               弥兵衛
 一、拾両      柿谷村
               与兵衛
 一、五両      上伏間江村
               甚右衛門
 一、五両      長徳寺村
               甚之助
 一、五両      南高木村
               長三郎
 4 一、五両      高岡長崎屋    
               吉右衛門
 一、三両弐分    能町村
               権兵衛
 一、三両弐分    殿村津幡江村
               弥三兵衛
 一、三両弐分    高木村
               和右衛門    
  〆五拾五両弐歩
  右私共今度帰国道中筋小払銀等ニ指支申ニ付、拝借
  奉願候処、前段之通御貸渡被下慥ニ奉受取候、尤私共
  日懸料銀等御決算之上、請過ニ相当り候分ハ、御指図次第
  返上可仕候、仍而請取書上之申候、以上、    
                越前敦賀ニ而
    慶応三年四月朔日      喜兵衛(花押)
                  順二郎(花押)
                  弥兵衛(花押)
                  与兵衛(花押)
                  甚右衛門(花押)
                  甚之助(花押)
                  長三郎(花押)
5              立違ニ付弥兵衛受取   
                 吉右衛門(花押)
                 権兵衛 (花押)
                 弥三兵衛(花押)
                 和右衛門(花押)
      荒木平助殿  
      石黒藤右衛門殿
 
              慶応三年五月
             糧道方出役中宿料等御渡金決算書上申帳
                        荒木平助等
 
     今度惣様五人渡り方覚    
 正月廿二日
 一、五拾四両壱歩     縄張人等弐拾人料銀
        壱匁    中勘、金沢ニ而御渡之事
              荒木氏ゟ相渡候事
 一、弐歩壱朱 壱匁    御長持三棹、御荷壱荷、
        七分五厘  野々市迄付出人足八人分
 一、弐拾五両       見図人等所々見分ニ指遣候
              ニ付宿料等中勘、
 三月十六日
 一、五拾両        縄張人喜兵衛等料銀中勘
              京都ニ而藤右衛門ゟ人々渡ス、
 一、弐両弐歩弐朱     見図人料銀中勘、
       壱匁五分    
6 一、弐両弐歩弐朱     見図人料銀中勘、    
        壱匁五分
 一、五両弐歩壱朱     見図人海津等江指遣候
        四分九厘  宿料、
 一、拾四両        見図人七人罷帰り候宿料
              中勘、
 一、弐拾五両       荒木平助等所々見分宿
              料中勘、
一、弐拾五両       京都ニ而北本半兵衛   
                拝借
 四月朔日    画像  翻刻トップ  画面トップ
 一、五拾五両弐歩       縄張人罷帰候宿料
                中勘、敦賀ニ而藤右衛門ゟ相渡ス、
 一、拾両           見図人宿料中勘、
 一、弐両           御長持人足四人駄賃
                銀中勘、 
 一、百両           荒木平助、折橋甚左衛門、
                山田六右衛門雑用渡り、
 一、拾六両          木村九左衛門殿等正月廿五日
                金沢御出立、敦賀迄宿
                料中勘、
7 一、弐拾弐両         佐久間久佐殿等正月廿六日   
                金沢御出立、右同断、
 一、四両           御長持壱棹、敦賀迄駄
                賃中勒、
 一、五十両          敦賀ニ而相渡り、十両宛
                荒木平助、折橋甚左衛門
                山田六右衛門、石黒藤右衛門、
                北本半兵衛雑用渡り、
  〆四百六拾四両弐朱 六匁弐分四厘   
 内
  四拾三両          荒木平助渡り、
    此内拾両         敦賀ニ而相渡り候事、
  四拾三両          折橋甚左衛門渡り、    
    此内拾両         敦賀二而相渡り候事、
  弐拾弐両弐歩        石黒藤右衛門渡り、
    此内拾両         敦賀ニ而荒木氏ゟ請取候事、
  四拾四両          山田六右衛門渡り、 
    此内拾両         敦賀ニ而荒木氏ゟ請取候事、
  弐拾弐両弐歩        北本半兵衛渡り、
    此内拾両         敦賀ニ而荒木氏ゟ受取候事、 
   〆          金沢ゟ敦賀迄并
              出役中所々見分、旅籠
              代等別冊仕出帳表〆□
8          右同断、宿継人馬等    
          賃銀、右同断、
          縄張人日懸料銀、
          右同料、 
          竿取人、右同断、
          図り方人々、右同断、
 
     慶応三年六月    
 
    書上可申品之口々相調理候而
    糧道御開ニ付諸雑用等仕出帳
            石黒藤右衛門等手合
1     壹    画像  翻刻トップ  画面トップ
      覚
 壱ノ巻
  一、拾九両三歩弐朱与        佐久間様等上下弐拾壱人
           五文       宿料〆高、別冊之表、
  一、三貫七百三拾八文        御用御長持一竿野々市ゟ
                    越前半原迄賃銭〆
                    頼成村弥平書出之表、
  一、五百文             右御長持金沢ゟ野々市迄
                    持出ス人足弐人之所、重キ候ニ付、
                    壱人増三人、壱貫五百文之内、壱貫文
                    五月十六日大坪岩次郎ゟ受取
                    残候賃銭、
2  一、壱両三歩三朱与         御用御長持敦賀ゟ海津迄   
        四百拾弐文       賃銭〆、頼成村弥平書出し
                    之表、
  正月十一日ゟ十四日迄、同廿日ゟ廿五日迄、
  四月十日ゟ十二日迄、
  一、弐百六拾壱匁          高木村半兵衛金沢
                    宿料、浅地屋吉三郎
                    書出し之表、
  一、壱両弐朱与           敦賀等ニおゐて
       六十文          測量道具直し賃等、
                    頼成村弥平書出し之
                    表、同人渡り、
      下ケ札
        御渡之道具之外、自分道具之直賃ニ候得者、身出、
   一、壱匁五分         村形弐つ代、無書出候、   
      下ケ札 此品所持之者、身出、
   一、弐百四十文        野帳しらへ之節、米七方ニ而
   一、壱貫八百七十文      相用イ候蝋燭代、頼成村弥平
    〆弐貫百十文        書出し之表、金沢等ニ而同断、
                  石黒渡り、
   一、弐貫七百五拾五文     御長持底板相損候ニ付、
                  修理方入用、 印弥平方
                  書出し之表、
3   一、弐百五拾八匁       磁石虫等出来、高岡  
                  赤祖父屋仁右衛門渡り、
      下ケ札 自分磁石ニ候得者、身出、
   一、五百三拾壱匁       かんと台、水木等、
                  長崎屋吉右衛門書出之
                  表、同人渡り、
      下ケ札 自分道具ニ候得者、身出、
   一、三拾九匁壱分       絵図具、墨、筆等別紙
                  書出之表、△印〆
                  徳用村順二郎渡り、
   一、百弐拾五匁        榎桐縄代、別紙書出  
                  之表、徳用村順次郎渡り、
   一、四両           海津中村町ニ而宿料、
      外ニ弐歩 茶代     別冊受取書之表、
   一、拾壱匁五分        猩ゐん紙并筆代、
                  金沢提丁絵具屋
                  書出之表、
4  一、六貫八百五拾文      八寸紙五束代、自宅ニ而   
                 入用之分、島屋善助
                 書出之表、
  一、五百六拾弐匁九分     山田紙、美濃紙、天狗紙、
           弐厘    八寸紙等、太田屋五左衛門書出之表、
   〆六百三拾壱匁四分弐厘   同人渡り、
  一、拾八匁五分        根□明番代、
                 島屋善助書出之表、
                    とうさ
  一、四拾目          表具師弁唐日懸り、
                 五日分、壱日八匁懸り、
   〆五拾八匁五分      
  一、六拾七匁五分       地割紙、大工又四郎  
                 書出之表、同人渡り、
     下ケ札 自分持ニ候得者、身出、
  一、弐拾六匁七分八厘     高岡岡崎屋吉右衛門
                 道具、同所ゟ金沢迄持届
     下ケ札 身出欤     人足賃銭、両日書出之表、
  一、三歩弐朱         水木并水台ぬり賃、
                 敦賀ぬしや清助
                 書出之表、
     下ケ札 自分道具ニ候得者、身出、
5  一、六貫七百六十八文     敦賀ニ而、  
                 間竿等入用、殿村喜兵衛等
                 書出之表、
  一、三朱           敦賀ニ而、
                 小磁石棒之石ヅキ出来、
  一、弐百文          右棒、但しかじ無受取
     下ケ札 右弐口、自分道具ニ候得者、身出、
   一、弐百五十文        海津ニ而間竿壱本代、
                  無受取、
   一、拾四匁弐分七厘      筆、墨代、上伏間江村甚左衛門  
                  書出し表、
   一、弐両壱歩         越前敦賀ゟ加州金沢迄
                  石黒上下、竿取壱人宿料、
   下ケ札 此宿料弐口共受取帳  但、壱人壱分宛、外ニ宿料
                  受取帳有之候得者、井上ゟ
   之表ニ而書出可申事、     御談ニ付、壱人壱分事ニ
   茶代等振分可申事、      書記置候事、
   一、弐両壱歩         右同断、北本分、
6   一、壱匁六分五厘       正月廿四日金沢ニ而    
                  筆代、柿谷村与兵衛渡り、
    金〆
     三拾両壱歩
    銀〆
     壱貫四百七拾壱匁三分六厘
          又、四匁七分七厘
     壱両弐分  右同断、山田分、但是ハ同人方ニ而可書出
           筈、気附候ニ付指紙置候、
 
      弐    画像  翻刻トップ  画面トップ
       覚
   四月朔日
   一、壱貫弐百七拾五文     越前敦賀ゟ葉原迄
                  御先触持届賃
   同二日
   一、八貫五百文        敦賀ゟ葉原迄
                  御長持持出し駄賃
   一、六拾八文         葉原ゟ新保迄四人懸
   一、三拾四文         酒代
   一、三百三拾弐文       新保ゟ二つ屋迄
   一、百五拾文        酒代
7   一、四百八文        二つ屋ゟ今庄迄   
   一、弐百四文        酒代
   一、弐百弐拾文       今庄ゟ湯尾迄
   一、弐百七拾弐文      酒代
   一、百拾六文        湯尾ゟ鯖波迄
   一、百九拾弐文       酒代
   同三日           
   一、弐百四文        鯖波ゟ脇本迄、六人懸
       但、御長持是迄四人懸之分、
       当所ゟ六人懸りニ仕候、
   一、百七拾八文       脇本ゟ今宿迄    
   一、弐百拾文        今宿ゟ府中迄
   一、弐百八拾八文      府中ゟ鯖江迄
   一、百五拾文        酒代
   一、弐百拾文        鯖江ゟ水落迄
   一、百五拾文        酒代
   一、弐百八拾八文      水落ゟ浅水迄
   一、七拾五文        酒代    
   一、四百五拾文       浅水ゟ福井迄
   一、百五拾文        酒代
   一、三百弐拾四文      福井ゟ舟橋迄
   一、弐百八拾八文      酒代
   一、百九拾弐文       森田屋舟橋越賃
   一、四百弐拾六文      舟橋ゟ長崎迄
   一、四百弐拾文       長崎ゟ金津迄
   一、百文          酒代    
   一、三百弐拾四文      金津ゟ細呂木迄
   一、百拾八文        酒代
   一、三百五拾四文      細呂木ゟ橘迄
   一、弐百七拾六文      橘ゟ大聖寺迄
   一、九拾六文        酒代
   一、三百七拾八文      大聖寺ゟ動橋迄
8   同五日    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、百九拾八文       動橋ゟ月津迄
   一、弐百文         酒代
   一、三百七拾弐文      月津ゟ小松迄
   一、弐百八拾六文      酒代
   一、八百五拾八文      小松ゟ柏野迄 
   一、百四拾三文       酒代
   一、四百七拾四文      柏野ゟ松任迄
   一、百文          酒代    
   同六日
   一、弐百三拾四文      松任ゟ野々市迄
   一、四拾文         酒代
   一、三百六文        野々市ゟ金沢迄
   一、五拾文         酒代
   一、弐百六拾三文      金沢ゟ津幡迄
   一、八拾文         酒代
   一、八拾三文        津幡ゟ竹橋迄
9   一、弐百五拾九文      竹橋ゟ今石動迄    
   一、三百四拾八文      今石動ゟ高岡迄
   一、七拾文         酒代
   一、百九拾五文       高岡ゟ殿村迄
   一、百五拾文        酒代
    〆弐拾弐貫百弐拾七文  
     内
      拾三貫六百文     金弐両奉請取候、
     引残    
      八貫五百弐拾七文   不足銀
   右越前敦賀表糧道方御用相済、測量方
   御長持等持参、私共罷帰り候砌、宿々人足継立
   駄賃等、右之通り相払申候ニ付、別冊人足帳等
   相添御渡し金指引仕書上申候間、御渡し被下
   様奉願上候、以上、
10    慶応三年四月    殿村津幡江村    
                   喜兵衛
               徳用村
                   順二良
      井上忠左衛門様
      米山専蔵様
      坂井良輔様
 
    三    
     覚
  四月二日
  一、壱貫四百文        越前敦賀ゟ葉原迄
                 葛籠等持出シ駄賃
  一、五拾五文         葉原ゟ新保迄
                 本馬、軽尻駄賃
  一、弐百七拾四文       新保ゟ二つ屋迄 
  一、三百四拾文        二つ屋ゟ今庄迄
  一、百八拾四文        今庄ゟ湯尾迄
  一、九拾六文         湯尾ゟ鯖波迄
11 一、百拾弐文         鯖波ゟ脇本迄    
  一、九拾五文         脇本ゟ今宿迄
  一、百拾五文         今宿ゟ府中迄
  一、百五拾八文        府中ゟ鯖江迄
  一、百拾五文         鯖江ゟ水落迄
  一、百五拾八文        水落ゟ浅水迄
  一、弐百四拾四文       浅水ゟ福井迄
  一、百七拾八文        福井ゟ舟橋迄   
  一、百五拾文         同所増賃
  一、八拾八文         森田川舟橋賃
  一、弐百四拾四文       舟橋ゟ長崎迄
  一、弐百三拾五文       長崎ゟ金津迄
  一、百七拾六文        金津ゟ細呂木迄
  一、百九拾四文        細呂木ゟ橘迄
12 一、百四拾四文        橘ゟ大聖寺迄    
  一、弐百文          大聖寺ゟ動橋迄
  一、百四文          動橋ゟ月津迄
  一、弐百文          月津ゟ小松迄
  一、弐百五拾三文       小松ゟ湊迄
  一、百三拾三文        湊ゟ長屋迄
  一、七拾八文         増賃
  一、弐百拾五文        長屋ゟ源兵衛嶋迄    
  一、百文           源兵衛嶋ゟ柏野迄
  一、百弐拾六文        柏野ゟ松任迄
  一、百弐拾六文        松任ゟ野々市迄
  一、百六拾弐文        野々市ゟ金沢迄
  一、三百六拾七文       金沢ゟ津幡迄
  一、百拾七文         津幡ゟ竹橋迄
13 一、三百七拾弐文       竹橋ゟ今石動迄    
  一、五百五拾五文       今石動ゟ高岡迄
  一、五百六文         高岡ゟ殿村迄
  一、九拾四文         高岡ゟ守山迄
  一、百六拾弐文        守山ゟ氷見迄
   〆拾貫三百三拾五文
    右越前国敦賀表糧道方御用相済、私共    
    罷帰り候砌、持参之荷物持帰り候、宿々人足駄賃
    等、右之通相払申ニ付、別冊人足帳等相添書上
    申候間、右銀高御渡シ被下候様奉願上候、尤
    長詰ニも相成候ニ付、人々着替等彼是荷重サニ
    付、銀高ニも相成迷惑仕侯間、格別之御詮義
    を以、宜敷御償可被成下候様、私共引請奉
    願上候、以上、
14     慶応三年四月     殿村津幡江村    
                     喜兵衛
                 徳用村
                     順二良
       井上忠左衛門様
       米山専蔵様
       坂井良輔様
 
      四    画像  翻刻トップ  画面トップ
       覚
  四之巻
  一、五両弐朱          松任村ゟ
                  敦賀迄通シ弐人、松任村
      下ケ札 身出欤     小助書出シ之表、石黒分、
  一、五両弐朱          同断、北本分、
      下ケ札 身出欤
  一、拾五匁四分六厘       敦賀米七方ニ而炭代等
      下ケ札 身出欤     折橋氏手代書出シ表、
15 一、弐拾目           西村孫兵衛方ニ而酒等    
                  指出候代銀請不申ニ付、
                  菓子壱箱置代銭、
  一、三貫九百五拾文       野々市ゟ越前半原迄
                  人足賃、北本分、青嶋村
                  五郎兵衛割出之表、
  一、六貫四百三拾六文      越前半原ゟ高岡迄
                  駅継人足賃、別冊之表、
  一、三朱卜三百廿九文      敦賀宿ニ而佐七    
      下ケ札 身出      書出シ表、炭代、
  一、壱朱卜四百廿五文      此分山田氏与一集ニ書出シ、
                  四貫七百五十文之内、
  一、壱両            米七茶代、嶋壱反代、
                  石黒分、
  一、壱両            同断、北本分、
16 一、壱歩            同、同人忰茶代、両人分、    
  一、三歩            同、下男女両人とらせ、
   〆三両也
  一、七貫八百文         四月七日、敦賀ゟ半原迄
                  持出人足三人、馬一疋、米七
                  渡り、石黒分、
  一、四貫弐百文         同断、北本分、無受取候、
     外ニ山田分四貫弐百文   但、人足三人分、
   〆拾六貫弐百文
  一、六百六文          三月八日山中ゟ海津、今津迄    
                  石黒藤右衛門駅継人足、馬一疋
                  賃銭、別冊受取之表、
  一、弐貫弐百三拾八文      三月十一日北本半兵衛
                  山中ゟ海津迄、駅継人足
                  賃、別冊之表、
   一、壱歩                   三月十一日
       下ケ札 何月何日誰之分哉       敦賀ゟ山中迄持出
                          人足、無受取候、北本半兵衛
                                     之分、
17  一、壱貫七百九拾八文             敦賀ゟ今津迄    
       下ケ札 此分人馬帳入用之事      本馬一疋之内、喜平
                          以下之者、荷物貫目
                          割当り、頼成村弥平書出之
                                     表、
   一、壱貫八百六拾四文             同断、北本半兵衛
       下ケ札 右同断            割当り賃銭、
   一、弐両弐分卜七拾八文            野々市ゟ敦賀迄
     内                    中飯等小払方、
      壱両弐分三朱、泊り茶代         但、佐久間様等上下廿壱人
                                    手合、
   一、弐拾七匁                 小田原燈灯弐張、同袋   
       下ケ札 身出             弐つ、書出之表、石黒分、
   一、拾三匁五分                同断、一張、北本分、
       下ケ札 身出             同断、
   一、弐歩与                  三月八日敦賀ゟ山中迄
      四百文                 持出人足壱人、馬一疋賃、
                          米七書出之表、
                          石黒并喜平等荷物、
18  一、拾三貫五百九十八文            四月七日半原ゟ高岡迄    
                          駅継人足賃、別冊受取
                          之表、石黒分、
   一、壱貫八拾九文               四月八日坂口平助宿継
       但、イキリ三人分増賃         人足増賃、別冊受取
                                  之表、 
   一、五貫三十文                山田六右衛門半原ゟ金沢
                          迄宿継賃銭、別冊受取
                          之表、藤右衛門渡り、
   一、四貫七百九十文              野々市ゟ半原迄    
                          人足賃、石黒分、
   一、弐歩                   京都たわらや茶代、
                          両人分、
   一、壱歩                   同、下男女両人分、
   一、壱匁                   海津測量之節、
                          正行院方昼代、
                          与兵衛渡り、        
19  銀〆六百拾壱匁六分    画像  翻刻トップ  画面トップ
   金〆拾七両弐歩
 
    五    画像  翻刻トップ  画面トップ
     覚
   五之巻
   一、拾八匁           正月十日
                   上下弐人、石動宿料、
                   半兵衛分、無受取分、
   一、五貫百文          高木村ゟ石動迄人足四人
                   賃銭、壱人ニ付壱貫七百文宛、
                   同人分、
      下ケ札 高木村ゟ石動、或ハ金沢迄通し人足代、太田屋
      御相談可被下候、
      下ケ札 何月何日ニ候哉、
   一、三十目          石動ゟ津幡迄人足四人
                  賃銭、同人分、
20  一、三拾八匁壱分       津幡ゟ金沢迄人足四人   
                  賃銭、四人分、
      下ケ札 此三口、何品持運候人足候哉、何念何□ニ候哉、
   一、弐百拾九文          津幡ニ而中飯并茶代、
                    四人分、
   一、弐拾五匁           正月十五日
                    金沢ゟ津幡迄持出人足
                    弐人、同人分、
      下ケ札 何月何日ニ候哉、御返シ之節之分ハ、宿継人足
      ニ而者無之哉、
   一、壱貫四文           津幡ゟ高木村迄宿継    
                    人足賃銭、別冊之表、
   一、四百四拾八文         高岡中飯代、辻屋仁平
                    書出し表、
      下ケ札 高岡ニ而御泊歟、宿料ならハ余ニ下直ニ付分り兼候、
   一、弐貫百九十五文        高木村ゟ金沢迄駅継
       但、喜兵衛方ニ有之哉   人足賃銭、別冊之表、
                    四人分、
   一、弐貫弐百拾壱文        正月廿日分、
                    石動ニ而泊り宿料、
                    別紙受取書之表、
                         同人分、
      下ケ札 此内左兵衛分も有之哉ニ
      存候、喜兵衛ゟ書出不申哉、しらへ之事、
21  一、九匁弐分壱厘        四月十三日分、   
                   今石動宿料、別紙
                   受取書之表、同人分、
   一、五貫百文          正月十日、高木村ゟ石動迄
      下ケ札 身出欤      人足三人賃銭、藤右衛門分、
   一、四拾目
      下ケ札 身出欤      石動ゟ津幡迄人足
                   四人賃銭、同人分、
   一、拾八匁          正月十日
       下ケ札 身出欤    石動ニ而上下宿料、
                  同人分
   一、弐百拾三文        クリカラ峠ニ而    
       下ケ札 身出欤    茶代、同人分
   一、三拾八匁壱分       津幡ゟ金沢迄人足
       下ケ札 身出欤    三人賃銭、同人分、
   一、弐拾六匁九分四厘     正月廿一日
                  高木村ゟ金沢迄測量
                  長持運送賃、別冊受
                  取之表、同人分、
   一、七百八十三文       右ニ付増人足、同人分、
22  一、六百弐拾六文       石動ニ而藤右衛門手代    
                  宿料、但測量長持
                  才領、
   一、三拾四匁五分       正月廿七日金沢ゟ津幡迄
                  指出ス、但シ測量道具入
                  長持、
   一、壱貫三百九十六文     津幡ゟ高木村迄宿継
                  人足賃、別冊受取
                  書表、
   一、百文           右ニ付増、
   一、三拾三匁         四月十三日石動ニ而   
                  上下三人宿料、受取
                  書之表、
   一、壱貫五百六十文      四月十四日分
                  駅継人足増、
   銀〆             能町村権兵衛渡り、
     五百拾九匁三分弐厘
 
23    六    画像  翻刻トップ  画面トップ
      覚
   一、弐貫弐百四拾文     所持之水矯道具等金沢迄
                 為持遣候飛脚賃、道程十二里之
                 所、壱里ニ付百廿文図り、外ニ宿料
                 増九百文共、
   一、弐貫四百文       右道具等戻り之砌、金沢ゟ
                 頼成村迄持届候賃銭〆高、
    〆四貫六百四拾文
24  右書上申候間、御渡シ被成下候様奉願上候、   
   以上、
    卯四月       縄張人
               頼成村
                弥兵衛(花押)
      荒木平助殿
      石黒藤右衛門殿
                 越前    
 一、壱貫弐百七拾五文    敦賀ゟ葉原迄
                 御先触持届賃、
   一、八貫五百文       同所御長持持出シ駄賃、
   一、九貫六拾四文      葉原ゟ越中殿村迄
                 御長持人足賃銭、別冊
                 帳面之表〆高、
   一、三貫弐百八拾八文    右増駄賃銭〆高、
    〆
   □□三貫四百六拾文     敦賀ゟ葉原迄葛籠等
                 持出シ駄賃、
   □□六貫五百五拾九文    葉原ゟ越中氷見迄葛籠等
                 持人足賃銭、別冊帳面之表、
                 〆高、
   □□三百拾六文
25               右増駄賃、    
    〆三拾弐貫四百六拾弐文
     内
      拾三貫六百文     金弐両奉請取候、
    引残
     拾八貫八百六十弐文 不足銭
   右越前敦賀表糧道方御用相済、測量方
   御長持等持参罷帰り之刻、宿々人足継立駄賃等
   右之通り相払申候間、別冊人足帳等相添、御渡シ
   
   慶応三年六月    
     糧道御開ニ付縄張中并竿取人
     日懸り等覚帳
 
1       覚    
  一、七日       正月十九日ゟ同廿五日迄
             金沢詰
  一、四日       同廿六日ゟ晦日迄
             金沢発足
  一、三十日      二月分
             敦賀表測量等日懸り
  一、十九日      三月分
             同断
  一、六日       四月朔日ゟ同六日迄
             敦賀より罷帰り候日数
   〆六十六日         六十九日糧道ゟ書上
2   外ニ    
   十日        三月十三日ゟ同廿二日迄
             京都行并獅子飛等見分
   〆
  一、七泊り      正月十九日ゟ同廿五日迄
   代六拾三匁     金沢出府中、柳田屋ニ而宿料
             相払申候分
  一、四泊り      四月二日ゟ同五日迄
   代三拾六匁     敦賀ゟ罷帰り候節、自分    
   〆         払ニ而参り候分
                  書上出立前七泊
                  京都行七泊
   合テ    
  一、弐百弐拾九匁五分 正月廿三日
             金沢ニ而拝借仕候分
  一、五両弐歩     三月十六日
             京都ニ而拝借仕候分
  一、五両       四月朔日
             敦賀ニ而拝借仕分
  一、五拾目      五月十五日
             高木村藤右衛門宅ニ而拝借仕分
  一、弐百目      五月廿七日
             金沢ニ而拝借仕候分        
    〆壱貫百九拾三匁五分
3     右糧道方御手伝日懸り方、泊数曁    
     拝借金被仰付候分等相調理書上之申候
     間、宜敷御書上可被下候、以上、
       卯五月      徳用村
                  順二良
        高木村
          藤右衛門殿
         覚   
                   頼成村
                     弥兵衛
   一、五日       二月廿日ゟ廿四日迄
              金沢ニ而御用
   一、五日       同廿五日ゟ同廿九日迄
              金沢発足敦賀迄
   一、四十二日     二月朔日ゟ三月十二日迄
              測量等日懸り
   一、十一日      三月廿三日ゟ四月四日迄
              同断
   一、五日       四月五日ゟ九日迄
              敦賀ゟ戻り道中
              日懸り
4   一、四日       四月十日ゟ十三日迄    
              金沢ニ而御用   
    〆七十二日        八十二日糧道書上
     外ニ
      十日       三月十三日ゟ同廿二日迄
     〆         京都行等
  一、壱泊り        正月廿日
               今石動
  一、四泊り        同廿一日ゟ    
               金沢出府中
  一、四泊り        四月五日ゟ
               戻り道中
  一、三泊り        同九日ゟ
               金沢泊り
  一、壱泊り        同十二日
               福光泊り
   〆拾三泊り       宿料自分ニ而相払申候     
                  書上ニハ出立前六泊
   合テ             戻之上金沢四泊
5  一、弐百弐拾九匁五分   金沢ニ而御渡シ    
  一、五両弐歩       京都ニ而御渡シ
  一、弐両         敦賀ニ而御渡シ
   〆七百三拾九匁五分
       覚             
                   柿谷村
                     与兵衛
  一、七日         正月十九日ゟ同廿五日迄
               金沢詰
  一、四日         同廿六日ゟ晦日迄
               金沢発足敦賀迄
  一、三十日        二月分
               測量等日懸り
  一、十九日        三月分
               同断
  一、八日         四月朔日ゟ同八日迄
               敦賀ゟ戻り日懸り
6   〆六十八日       六十九日糧道方書上    
     外ニ
      十日      京都行并獅子飛見分
   一、九匁       正月十九日   壱泊り
              今石動桜川方ニ而宿料相払申候
                           分
   一、五拾四匁     同廿日ゟ廿五日迄
              金沢出府中北瀬屋ニ而六泊宿料
              相払申候分
   一、六泊り      四月二日敦賀出立、同八日高岡江着、
    代         泊数自分払ニ而参り候分
    〆             書上 出立前七泊    
                  京都行七泊
    合テ
   一、弐百弐拾九匁五分 正月廿三日金沢ニ而
              拝借仕候分
   一、五両弐歩     三月十六日京都ニ而
              拝借仕候分
   一、拾両       四月朔日敦賀ニて
              拝借仕候分
    〆壱貫弐百八拾三匁五分
7        覚    
               伏間江村
                甚左衛門
   一、七日       正月十九日ゟ同廿五日迄
              金沢詰
   一、四日        同廿六日ゟ晦日迄
               金沢発足敦賀迄之日懸り
   一、三十日       二月分
               敦賀表測量等日懸り
   一、十二日       三月朔日ゟ同十二日迄
               同断
   一、七日        三月廿三日ゟ晦日迄
               同断
   一、七日        四月朔日ゟ同七日迄
               敦賀ゟ戻り日懸り
8   〆六十七日       六十九日糧道方書上    
    外ニ
     十日        三月十三日ゟ同廿二日迄
               京都行并獅子飛等見分
   〆
   一、七泊り       正月十九日ゟ同廿六日迄
    代六拾三匁      金沢出府中宿料相払申候分
   一、六泊り       四月二日ゟ同七日迄
               敦賀ゟ戻り懸宿料自分
               払ニテ参り候分
    〆十三泊          書上 出立前 七泊
                     京行  七泊   
    合    
    方ニ
   一、百八拾目      正月廿三日金沢ニ而
               拝借仕分
   一、三百四拾目     四月朔日
               京都ニ而拝借仕候分
    〆五百弐拾目
9        覚      南高木村    
                  長三郎
   一、六日        正月十九日ゟ同廿四日迄
               金沢詰
   一、五日        同廿五日ゟ晦日迄     
               金沢発足敦賀迄
   一、三十日       二月分
               測量等日懸り
   一、十二日       三月朔ゟ同十二日迄
               同断
   一、七日        同廿三日ゟ晦日迄
               同断、
   一、七日        四月朔日ゟ七日迄
               敦賀ゟ戻り日懸り
10  〆六十七日       六十九日糧道方書上    
   外ニ          三月十三日ゟ同廿二日迄
    十日         京都行等右同断
   一、六泊り       正月十九日ゟ廿五日迄
    代五拾四匁      金沢出府中宿料相払
               申候分
   一、六泊り       四月二日ゟ同七日迄
     代         敦賀ゟ戻り宿料自分
               払ニテ参り候分
    〆            書上 出前 六泊     
                    京行 七泊
    合テ
   一、百八拾目      金沢ニ而拝借仕候分
   一、三百四拾目     京都ニ而拝借仕候分 
   一、三百四拾目     敦賀ニ而拝借仕候分
    〆八百六拾目
11   指引して    
        覚    
                長徳寺村
                  甚之助
   一、十三日       正月十三日ゟ同廿五日迄
               金沢詰
   一、四日        同廿六日ゟ晦日迄
               金沢発足
   一、三十日       二月分
               測量等日懸り
   一、十九日       三月分
               同断
   一、七日        四月朔日ゟ同七日迄
               敦賀ゟ戻り日数
12   〆七十三日            六十九日糧道方書上    
    外ニ
      十日          京都行等右同断
   一、九匁           正月十三日、今石動こん田屋一泊り宿料
                  相払申候分
   一、百八匁          同十四日ゟ同廿五日迄
                  金沢浅地屋十二泊り宿料相払申候分
      内、廿七匁、三泊り、北本分払
   一、             敦賀ゟ戻り津幡迄六泊り宿料
                  自分払ニ而参候分
    〆               書上 出立前 七泊        
                       上京  七泊り
                     但、戻り道中五泊り、四月二日敦賀立
                     津幡迄自分払
   方ニ
   一、百八拾目        金沢ニ而拝借
   一、五両弐歩        京都ニテ拝借
   一、五両          敦賀ニテ拝借
    〆八百九拾四匁
13   指引して    
       覚    
                  長崎屋
                    吉右衛門
   一、三日          正月廿二日ゟ同廿四日迄
                 金沢詰
   一、五日          同廿五日ゟ同晦日迄
                 金沢発足敦賀迄
   一、三十日         二月分
                 水矯等日懸り
   一、十九日         三月分
                 同断
   一、十一日         四月朔日ゟ同十一日迄
                 水矯并敦賀ゟ戻り日懸り
14  〆六十八日             八十日糧道方書上 壱四  
    外ニ
     十日            京都行等右同断
  一、弐拾七匁           正月廿二日ゟ同廿四日迄三泊り
                   金沢出府中浅地屋ニ而宿料
                   相払申候分
  一、               敦賀ゟ戻り金沢迄五泊り
                   宿料自分払ニ而参り候分
                     大聖寺次ノ泊ゟ三泊り程
                           可相立事
   〆                  書上 出立前 六泊  
   方ニ
  一、百八拾目           金沢ニテ拝借
  一、三百七拾四匁         京都ニテ拝借
  一、三百四拾目          敦賀ニテ拝借
   〆八百九拾四匁
   指引して
15      覚  
                     能町村
                       権兵衛
  一、五日             正月十九日ゟ同廿四日迄
                   金沢出府中
  一、六日             同廿五日ゟ晦日迄
                   金沢発足
  一、三十日            二月分
                   測量等日数
  一、十二日            三月朔日ゟ十二日迄
                   同断
  一、七日             同廿三日ゟ晦日迄
                   同断
  一、十四日           四月朔日ゟ同十四日迄
                  測量并敦賀ゟ戻り懸り日数
16  〆七十四日          八十二日糧道方書上   
   外ニ
     十日         京都行等右同断
  一、四拾五匁        正月十九日ゟ同廿四日迄五泊り
                金沢ニ詰、相払申候宿料
  一、半兵衛ゟ書出候  敦賀ゟ戻り之節六泊り
    故ニ指省候事   自分払ニ而参り申分
  〆                書上 出立前 五泊
                   戻り之上 弐泊
  方ニ   
  一、弐両壱歩        金沢ニテ拝借
  一、三両弐歩        京都ニテ拝借
  一、三両弐歩        敦賀ニテ拝借
   〆六百弐拾九匁
   指引して
17      覚    
                 高木村
                   和右衛門
  一、七日          正月十九日ゟ同廿五日迄
                金沢出府中
  一、四日          同廿六日ゟ晦日迄
                金沢発足
  一、三十日         二月分
                測量等日懸り
  一、十九日         三月分
                同断
                四月朔日ゟ同十四日迄
  一、十四日         測量并敦賀ゟ戻り道日懸       
   〆七十四日          七十四日糧道方書上
18  外ニ   
    十日           京都行、右同断
   〆
  一、七泊り          金沢浅地屋ニテ宿料相払
   代六拾三匁         申候分
                    書上 出立前 七泊
                       京行  七泊
  一、六泊り          敦賀ゟ戻り道宿料
    代            自分払ニテ参り候分
   〆   二重ニ付指省、
       此分、藤右衛門方ニ而相払候事
   方ニ    
  一、弐両壱歩         金沢ニテ拝借
  一、三両弐歩         京都ニテ拝借
  一、三両弐歩         敦賀ニテ拝借
   〆六百弐拾九匁
19   右私共糧道方御手伝、日懸り方、泊数    
    及拝借金被仰付候分等相調理書上
    之申候間、宜敷御書上可被下候、以上、
     慶応三年六月  
20      覚   
  正月十八日
  一、壱貫百文         殿村ゟ高岡迄測量道具
                 持出人足賃
   一、八百三拾四文       高岡ゟ今石動迄
   同十九日           
   一、六百三拾六文       今石動ゟ竹橋迄
   一、百九十八文        竹橋ゟ津幡迄
  一、六百三拾文        津幡ゟ金沢迄
    〆三貫三百九十八文
21  右糧道方御用ニ付出府仕候砌、持参仕候測量  
   道具人足賃相調理書上申候間、御渡被下候様奉
   願候、且敦賀ゟ罷帰候道中駄賃等之儀ハ、徳用村
   順二郎等同道仕候ニ付、別段一紙ニ書上申候、以上、
     慶応三年五月       殿村津幡江村
                      喜兵衛
      荒木平助殿   北野村
      福野村      甚左衛門殿
        六右衛門殿            
       覚
  一、壱両壱朱        鯖波ニ而殿村津幡江村喜兵衛等
                 五人宿料
   一、壱歩弐朱卜       同所ニ而徳用村順二郎等弐人分  
       四百文
  一、壱両壱朱        森田ニ而喜兵衛等五人分
   一、壱歩弐朱卜       同所ニ而順二郎等弐人分
        四百文
   一、六貫文         動橋ニ而喜兵衛等五人分
   一、壱歩卜六百文      月津ニ而順二郎等弐人分
   一、九貫百文        松任ニ而喜兵衛、順二郎等七人分
   一、六貫百廿文       津幡ニ而喜兵衛等六人分
22 一、五貫四百文        高岡ニ而同断  
   〆三両弐朱
     弐拾八貫弐拾文
   右越前敦賀御用相済、戻道中宿料相払申処 
   如此ニ御座候間、御渡被下候様奉願候、依而別冊私共
   名前宿料請取帳相添指上申候、以上、
    慶応三年五月
                 殿村津幡江村
     荒木平助殿           喜兵衛
     北野村         徳用村
       甚左衛門殿         順二郎
     福野村    
       六右衛門殿
       覚
  正月十九日ゟ廿五日迄
  一、七日            金沢詰 殿村津幡江村
                         喜兵衛
  同廿六日ゟ四月八日迄
  一、七拾壱日          同所発足、越前敦賀等御調理中ゟ
                  帰村仕候迄往返日懸り
  四月十七日ゟ五月十九日迄   
  一、弐拾九日          高木村藤右衛門殿方ニ而右御絵図等相調
                  候日懸り
   〆百七日
23 正月十九日ゟ廿五日迄        
  一、七日         金沢詰    竿取人同村
                        弥三兵衛
  同廿六日ゟ四月八日迄
  一、七拾壱日       同所発足、敦賀等御調理中ゟ帰村仕候迄
               日懸り
   〆七拾八日               七十六日糧道方書上
                       出立前 七泊
  一、拾八両卜弐貫五百五拾文   拝借銀  喜兵衛
  一、九両卜壱貫七百文      同断   弥三兵衛
   〆弐拾七両卜
       四貫弐百五拾文
        但、金沢等三度ニ被仰付候銀高、        
    右糧道方御用ニ而私并召連候竿取人共日懸リ
    曁拝借被仰付置候銀高共相調書上申候、以上、
      慶応三年五月         殿村津幡江村
                        喜兵衛
       荒木平助殿
       北野村
         甚左衛門殿
       福野村
         六右衛門殿
24      覚  
  一、六匁           真書所状書等 
                 筆拾本
    右糧道方并御絵図相調候砌、入用筆料書上申候間、
    御書上ニ候得ハ一集ニ御調込被下候様御願申上候、以上、
      卯六月二日          殿村
                      喜兵衛
        高木藤右衛門様