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絵図(広域地図) 石川県

鹿島郡下浅井組金丸村金丸出村御仕立開境筋論所分間絵図

天保13年(1842)金丸村と金丸出村との間で、邑知潟廻りの新開地の境界をめぐる争論が起こりました。加賀藩改作奉行は裁定のため石黒信由の孫信之に測量を命じ、作製されたのが本図です。藩は天保改革の一環として新開政策を強力に推し進め、同11年秋この地で473石余の「御仕立開」(藩の経費を使っての開発)を命じました。争論は、金丸出村が文化12年(1815)新開地として見積もった請高新開253石のうちの未開発地と「御仕立開」との境界をめぐるものです。信之の測量により、墨色で描かれた蒲原は4,241歩余、緑色の毛附跡(作付跡)は2,260歩余と計算されました。縮尺百間3寸(1/2,100) 国指定重要文化財