© Imizu City Shinminato Museum.

絵図(広域地図) 富山県東部

横樋絵図

当初より新田開発を担った高木村藤右衛門(石黒信由)50石と砺波郡十村役の内嶋村五十嵐孫作100石の土地が記されています。すべて小作に出していますが、小作料は文政7年(1824)から納められ、1石につき2~4升(2~4%)ときわめて低いものでした。また、生源寺新村清左衛門(高岡町宮袋屋半助)の土地61石も見えます。半助は米屋・酒屋を営む高岡の有力町人で、農民の名をかりて開発に参画しました。江戸時代初期には飛騨街道であった南北の往来道(朱)に沿って家が建てられ、その大半は入植小作農民と考えられています。高479石は当初の見積高で、天保5年(1834)実際の田畑は222石余。翌年加賀藩は草高を230石(48%)と定めました。直坂・横樋をはじめとする11地区の新開地は、天保14年(1843)いっせいに村立てしました。(縮尺百間3寸(1/2,000))国指定重要文化財