絵図(広域地図) 富山県東部
中野絵図
新開に尽力した新川郡天正寺村金山十次郎の105石や天正寺開市郎兵衛の古田跡50石の土地が見えます。高202石5斗(当初の見積高)に対し天保5年(1834)の田畑は109石弱で、加賀藩は翌6年草高を115石と定めました。これは見積高の57%に当たり、舟倉野11地区の中で最も高い開発率です。南から東へ流れる舟倉野用水の分流、東用水が利用されていました。(縮尺百間3寸(1/2,000))着彩。国指定重要文化財
新開に尽力した新川郡天正寺村金山十次郎の105石や天正寺開市郎兵衛の古田跡50石の土地が見えます。高202石5斗(当初の見積高)に対し天保5年(1834)の田畑は109石弱で、加賀藩は翌6年草高を115石と定めました。これは見積高の57%に当たり、舟倉野11地区の中で最も高い開発率です。南から東へ流れる舟倉野用水の分流、東用水が利用されていました。(縮尺百間3寸(1/2,000))着彩。国指定重要文化財