絵図(広域地図) 富山県東部
松林絵図
当初の開発見積高411石に対し天保5年(1834)までに開かれた田畑は197石余で、翌6年加賀藩は草高を210石(51%)と定めました。西隣の小黒村の農民たちによる開発の比重が高く、入植農民も見られます。東西の境に記されている番号は、石黒信由が文化12年(1815)に舟倉野新開所の全域を測量し惣絵図(K仮157)を作製したときの測点です。同年、この惣絵図をもとに11地区に分割した切分絵図11枚を作製し、さらに同14年入植農民たちの名前と高を書き入れました。本図は農民たちの入れ替えが行われた文政12年(1829)の改訂図です。(縮尺百間3寸(1/2,000))国指定重要文化財