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絵図(広域地図) 富山県東部

新川郡室山野御開所地面切渡し方御用留帳

表紙   文化十三年    
        丙子
         七月八日
 
    新川郡室山野御開所
    地面切渡し方御用留帳
 
           石黒藤右衛門
 
1   一、七月八日  天気    
      此日沼保村次郎左衛門殿、石仏村
      十右衛門殿、内嶋村小豊次殿、 
      粟嶋村藤五郎殿、小林村宗兵衛殿 
      出勤被成候、此元義も早朝
      宅出立、七つ時頃室山
      御小屋へ着、
 
   一、同九日  同
      室山野高図り領附今日
      弐分渡し高并江筋村々
      渡し高等高図り仕候、
 
   一、同十日  同
 
2      室山野開所之間、江筋   
      分間仕候、
 
   一、同十一日 天気
      右同断、但江筋分間
      相済、八田村作之丞殿
      御出勤被成候、
 
   一、同十二日 同
      内嶋村小豊次殿与同道
      ニ而早朝出立、小杉ニ而
      相分り、七つ時過着仕候、
      尤沼保、石仏等へ此日
      御帰り之由ニ御座候、
      八田村作之丞殿ハ分間中も
      御小屋ニ御座候、
 
   一、同十八日 天気    
      早朝出立ニ而七つ時頃
      室山野御小屋へ着、尤
      荷物与三兵衛ニ為持参り、
      与三兵衛ハ翌十九日ニ相返し
      申候、
 
   一、同十九日 天気
      野開所江筋下絵図
      相調申候、十右衛門殿出勤、
 
   一、同廿日 雨
      野用水間数違之所々
      相しらへ、且堂山ノ下并
      大平与大日野与之境切分ケ
 
3      分間仕候、    
      次郎左衛門殿出勤、
 
   一、同廿一日 雨
      今度野切分ケニ付、右
      下絵図相調、是ニ江筋等
      書入申候、
      十右衛門殿早朝出立ニ而帰宅
      被成候、
 
   一、同廿二日 天気 但、七つ過
             頃少し
             時雨
      室山村古田五番ゟ十二番
      迄杭失申ニ付杭直し、 
      夫ゟ大日野堀ノ内境目杭、
      昼後ゟ萩ケ沢与千鳥御
      境杭、    
      沼保次郎左衛門殿相見、
 
   一、同廿三日 昼後
          雷大ニ鳴大雨
      昼前東福寺領之内野
      切分ケ境、
      昼後大平ラノ内切分境、
      十右衛門殿出勤、
 
   一、同廿四日 天気
      昼前かこい与大日野大平与
      境杭、但野百七番ゟ百十番迄
      杭改打、用水筋等土居之所
      次郎左衛門殿、十右衛門殿相見ニ而
      相定申候、
      昼後野用水人足図り
 
4      作之丞殿ハ江口へ水取入等   
      之義ニ付被罷出暮合ニ帰り、
 
   一、同廿五日 天気
      御改作御奉行広瀬欣左衛門様
      七つ時頃室山野御小屋へ
      御越御泊り、野御見分
      ニ付御扶持人中等夫々御案内
      ニ付、此元義も御供仕候、
      内嶋孫作殿御越被成候、
 
   一、同廿六日 同
      御奉行様早朝ニ御出立、
      用水一口迄御見分、折戸
      御昼ニ而上市御泊り、
      沼保次郎左衛門殿、石仏村
      十右衛門殿、八田作之丞殿
      出御案内、且内嶋孫作殿    
      御奉行様御供ニて直ニ
      舟倉野へ御越被成候、
      此元野ノ内御供仕
      罷帰り、朝過ゟ下絵図
      相調申候、
 
   一、同廿七日 天気
      昼前野ノ内用水江筋
      分間絵図壱枚相調、
      御奉行様へ上ル分、但飛
      脚ニ而舟倉野内嶋様
      之方へ為持遣候、
      昼後大浦等山ノ向
      等切分ケいたし候、
 
5   一、同廿八日 天気   
      沼保次郎左衛門殿早朝出立
      被成候、
      東福寺古田境分間、杭しらへ
      一番ゟ廿三番迄并まむし谷、
      清水谷境分間、
 
   一、同廿九日 昼後雨
      石仏村十右衛門殿早朝出立
      ニ而帰宅被成候、
      東福字村前金跡谷囲ノ
      分間杭打、
 
   一、八月朔日 天気
      下絵図相調申候、
 
   一、同二日 同
      囲分間杭失申方ヘ出役   
      杭打、大浦前切分境杭
      打申候、
 
   一、同三日 同
      下絵図切分等相調、惣歩
      数しらへ図り、
 
   一、同四日 同 夕方ゟ大雨
           風夜九つ頃迄
      室山野切分絵図面を以
      歩詰高図り仕候、
      沼保村次郎左衛門殿出役、
 
   一、同五日 同
      切分絵図下引相調申候、
      彩色等ハ翌日いたし候、
 
6   一、同六日 天気   
      絵図壱枚彩色仕、入百姓
      人々高渡り図り等被成候
      ニ付手伝仕候、
 
   一、同七日 同
      領付三ケ村弐分御渡之境
      ヲ立村方場所引渡し、
      次郎左衛門殿出役、十右衛門殿
      御小屋ニ而願人等之義御聞
      糺
   一、同八日 同
      宮地并大平五番之内、
      堤場所取、夫ゟ江筋分間
      等、入百姓望人之取集有之
 
   一、同九日 同    
      入百姓願人々くし取場所、
      渡り方しらへ書記、
 
   一、同十日 同
      入百姓人々江地面引渡、
      夫々指図ヲ以境目等申
      渡し、且又入百姓人々場所
      請取申上、御請書上申候、
      次郎左衛門殿早朝出立、御帰被成候、
 
   一、同十一日 朝四つ時頃迄小雨
      室山野地面切分高数書上帳、
      下書等いたし、且絵図書入
      等、
 
7   一、同十二日 天気    
      石仏村重右衛門殿早朝出立ニ而
      帰村被成候、尤御郡廻り御用ニ而滑川
      迄御越、夫ゟ帰宅之由、
      絵図面切分書上帳下書
      并上り絵図墨引壱枚
      調懸申候、
 
   一、同十三日 同
      上絵図相調、尤墨引也、
 
   一、同十四日 同
      用水江筋手屋村又三郎下
      絵図相調申候分、上り上ミ下モニ
      弐枚墨引相調申候、
 
   一、同十五日 同
      室山野用水一口入口伊折村    
      迄見分罷出申候、尤同村
      三郎兵衛方ニ中飯、江上村喜三右衛門、
      入百姓平右衛門召連申候、朝
      五つ半時野ゟ出立、暮六つ
      半時頃帰り申候、
 
   一、同十六日 同
      上り絵図彩色等并用水江筋
      絵図上り上下弐枚相調申候、
      淡嶋村藤五郎忰仁兵衛出勤、
 
   一、同十七日 同
      右同断、 
      作之丞殿、仁兵衛殿江筋見分ニ而
      早月中村泊り之図りニ而昼後  
      出立被成候、
 
8   一、同十八日 天気  
      室山野新開高入百姓高帳
      相調申候、并切分上帳面等
      書申候、
      仁兵衛殿昼前野御小屋帰り、
 
   一、同十九日 天気
      室山野用水取入口ゟ野迄
      絵図弐枚ニ相調申候、彩色等
      いたし候、
 
   一、同廿日 同
      室山野御小屋ゟ早朝
      出立、石仏村十右衛門殿へ立
      寄絵図等上ケ申候、夕方
      帰宅候、尤室山村太郎右衛門
      荷物人足ニ召連止宿
      為致翌日帰り申候   
 
    出勤日数
     〆三拾七日
     一、壱枚  野切分絵図 上り
     一、壱枚  同     控
     一、弐枚  用水江筋絵図
           上下弐枚仕候、
     一、壱冊  野切分高図り帳
     一、壱冊  同入百姓等名前帳
      〆右石仏村重右衛門殿へ廿日ニ
       上ル、
     一、壱枚  野切分絵図   
     一、弐枚  用水江筋絵図控
      〆此分御小屋ニ而八田村作之丞
       殿へ相渡、
 
9       野歩数山手米領附三ケ村ゟ   
       書出之覚
   一、弐拾五万七千弐百四拾四歩   東福寺村
      此山手米三拾壱石壱斗七升
   一、拾六万三千八百弐歩      室山村
      此山手米拾七石三斗八升六合
   一、拾弐万千歩          大浦村
      此山手米拾弐石壱斗壱合
    山手米
     〆六拾石六斗五升七合