新川郡嶋組亀谷村等分間御用日記等留帳
表紙 天保二年辛卯四月
新川郡嶋組亀谷村等分間御用
日記等留帳
高木村
藤助
1 御郡奉行 嶋田権五郎様
安田新兵衛様
〆
東長江村
十左衛門殿主附
〆 手附伝次
一、四月廿二日 天気 藤助
四郎右衛門
但、宅出立、東長江十左衛門殿方へ
昼九つ時着、則十左衛門殿方へ
泊り申候、尤富山ゟ御奉行所与
一集ニ東長江村十左衛門方へ行、
一、廿三日 同 藤助
四郎右衛門
但、東長江十左衛門方出立、上瀧村ニ付候、
亀谷村へ七つ時ニ着仕申候、
2 与三右衛門方宿、尤御奉行所ハ
廿三日伝右衛門方御泊り、廿四日朝金山御役所へ
御こし、則右御役所ニ御逗留ニ候、
一、廿四日 天気 藤助
四郎右衛門
但、和田川橋場ゟ小見村中湯道
等見申候、夫ゟ小見、亀谷領境、山境
分見ニ相懸申候、
一、廿五日 同 藤助
四郎右衛門
但、亀谷村領入口等申分場
見分、長江十左衛門并藤助、両村役人
一、廿六日 同 藤助
四郎右衛門
但、八伏セ山ゟ下モ山道分見、
一、廿七日 同 藤助
四郎右衛門
但、小見、亀谷両村奥子谷境ゟ
原村、本宮村与山境道分見、
尤廿七日夕方嶋尻吉助殿被罷出候、
一、廿八日 同 藤助
四郎右衛門
但、本宮村与亀谷入合之所
境相定分見仕申候、昼後ゟ
金山御役所へ道筋分間
御役所泊り申候、
一、廿九日 同 藤助
四郎兵衛
但、昼四つ時金山ゟ戻り、
境筋申分ニ付休申候、
一、五月朔日 同 藤助
四郎兵衛
太兵衛
但、山境分見、尤砂子坂太兵衛
五月一日夕方手伝ニ罷申候
3 一、同二日 天気 藤助
四郎兵衛
太兵衛
但、申分ニ付休申候、
一、同三日 同 藤助
四郎兵衛
太兵衛
但、昼前分見仕相済、昼後
亀谷あら町へ罷出、肝煎
兵左衛門方へ泊り申候、
十左衛門殿、太兵衛、藤助、四郎兵衛、
手付伝次、
一、同四日 同 藤助
四郎兵衛
太兵衛
但、昼前あら町村領分間、同日夕方
東長江十左衛門方へ罷出申候、
一、同五日 同 藤助
四郎兵衛
太兵衛
但、下絵図調ニ取懸り申候、
一、同六日 同 藤助
四郎兵衛
太兵衛
右同断、此日四郎兵衛帰宅仕申候、
一、同七日 同 藤助
太兵衛
但、下絵図相調相済申候、
砂坂村太兵衛あら町村下絵図
相調罷帰り申候、
尤此日太兵衛帰り申候、
〆
一、同八日 藤助
但、帰宅申候、
〆
4 正味 画像 翻刻トップ 画面トップ
一、八日 五月十三日ゟ廿日迄
絵図調申候、 藤助
一、四日 右ニ付、久三郎手伝
〆 十弐人分
但、大絵図六枚、外ニ三枚有峰村、
中地山村、本宮村境筋絵図、
〆九枚
一、五百文計 亀谷村等へ行申砌り
人足ちん等品々入用
藤助ゟ出ス、
一、弐拾目計 惣絵具代等、
五月十一日ゟ十九日迄 〆九日分
一、六枚 絵図 藤助宅ニ而
代 相調申候、
一、三枚 同 同断
代
有峰村境壱枚、本宮村境壱枚、
中地山村境壱枚
一、百廿枚 美濃紙
代三百文 二五
一、百三枚 笠紙
代三百九十文 三
5 一、百三十文 裏打ニ付、下張紙并
こうふん等入用
一、五十文 しやうふ代
一、三人 裏打人
代六百文
〆
一、二日 七月十三日、十四日
惣絵図ニ書入申候、
七月十六日
一、 東長江十左衛門殿迄
絵図為持申候飛脚、
但、四郎兵衛ニ為持申候、
〆
6 覚 画像 翻刻トップ 画面トップ
一、百廿枚 絵図
代三百文 美濃紙
一、百三拾枚 裏打
代三百九十文 笠紙
一、百八十文 裏打ニ付下張紙
しやうふ代
一、六百文 絵図九枚裏打
人、三人分作料
一、弐百文 高木村、富山迄
分間道具持人足賃
一、弐百文 七月十六日高木村
ゟ東長江村迄、絵図
為持飛脚ちん、
高木村四郎兵衛渡り
一、七百五十文 長十間しひ縄
壱口代
但、間数しらへ方入用
一、拾匁程 惣絵具代等
一、十六日 高木村
藤助
但、四月廿二日ゟ五月八日迄
勤日
一、十二日 絵図九枚、藤助宅ニ而
相調上ケ申勤日、
竿取等手伝 高木村
一、十四日 四郎兵衛
但、四月廿二日ゟ五月六日迄
勤日
〆
右小見村領亀谷村壱村之
相成申砌り、分間方勤日等
書上ケ申候、已上、
卯十二月 高木村
藤助
東長江村
十左衛門様