砺波郡柳瀬村久泉村御検地御用留帳
表紙 文化十一年甲戌十月
砺波郡柳瀬村、久泉村御検
地御用留帳
高木村
藤右衛門
1 高木村
藤右衛門
宮袋村
茂兵衛
右砺波郡柳瀬村、久泉村検地
縄張人御用候条、夫々可申渡、
若当病等ニ而指支之儀有之候ハヽ、
急速可及案内候、日限之義追而
可申渡候、以上、
戌九月廿六日 神尾与八郎
広瀬五郎兵衛
下条村
弥二郎
宮森村
庄兵衛
2 右之通被仰渡候条、被得其意否
急速可被致案内候、以上、
戌九月晦日 下条村
弥二郎
高木村
藤右衛門殿
其方儀、砺波郡柳瀬村、久泉村
検地縄張申渡置候条、来ル
九日柳瀬村江可罷出候、已上、
戌九月晦日 神尾与八郎 印
内藤半蔵 印
広瀬五郎兵衛 印
高木村
藤右衛門
一、十月八日下条村弥二郎殿へ、明
九日柳瀬村へ罷越候案内
ニ行申候、
草高
一、千四百弐拾八石弐升五合 砺波郡
柳瀬村
定免四つ三歩 内弐つ七歩引免
草高
一、四百弐石 久泉村
定免四つ五歩 内五歩引免
柳瀬村領境村々
秋元村 開発村 中村 柳瀬新村
太田村 久泉村 祖泉村 千保村
3 久泉村領境村々
柳瀬村 太田村 祖泉村
定検地御奉行 宿彦左衛門
神尾与八郎殿
内藤半蔵殿
広瀬五郎兵衛殿
御竿捕留書足軽 宿権右衛門
大森七兵衛
高桑吉兵衛
深町宗右衛門
折役御扶持人 宿次兵衛
新川郡沼保村
幸右衛門
能美郡犬丸村
与右衛門
縄張人 宿理八
射水郡高木村
藤右衛門
同郡宮袋村
茂兵衛
河北郡大浦村
伊右衛門
自郡御扶持人十村御出役
宿万遊寺
無組御扶持人宮丸村
次郎四郎
無組御扶持役田中村小四郎倅
角太郎
十村 内嶋村
小豊次
4 組付十村中田村
源五郎
新田才許人井波村
半右衛門
宿藤七郎
柳瀬村肝煎
六兵衛
組合頭
甚六
同
彦左衛門
同
七右衛門
久泉村組合頭
佐兵衛
組合頭
九兵衛
柳瀬村相帳
権之丞
栄次郎
久泉村相帳
開発村
宇右衛門
祖泉村
仁十郎
〆
一、十月九日 風雨
御奉行様方八日今石動泊りニ而、
戸出弁当ニ而、七つ時頃柳瀬村へ
御着、他郡御扶持人并縄張人
等各着仕候、
一、同十日 雪二、三寸計降申候
昼飯後ゟ竿捕足軽、御奉行所
5 御家来并縄張人及領境村
之役人、両村役人、百姓中等、各
誓詞御見届、暮合迄ニ相済
申候、
但、縄張人誓詞ハ霊社之
裏血判、文言ハ定検地所ゟ
誓詞被仰付候通ニかわり
不申候、
村役人、百姓中等ハ一向宗ハ
阿弥陀ノ裏、他宗ハ霊社
血判、
一、同十一日 曇天
昼前御印竿ノ間竿三本
并弐拾間縄目盛足軽中
出来之事、
但、御印竿ハ長壱丈弐尺六寸
出来ニ而末一間ヲ壱分目盛
仕候上、他郡御扶持人、自郡
御扶持人等并両村役人
御呼出之上、相見致候様
被仰渡、各相見之上相違
無御座段御請被申上候、
昼後柳瀬村領廻り、六、七分
計相済申候、
一、同十二日 風雨
昼前柳瀬村残り并久泉
村領廻り御見分相済、
昼後縄張人柳瀬村南領
分間仕、尤御奉行所等ハ
6 御出無御座候、
一、同十三日 天気
南領大角、小角弐つ張立
申候、
一、同十四日 七つ時ゟ雨
昼前西領角縄并縁端、
昼後飛地角縄三ケ所、
外ニ縄端張立申候、
一、同十五日 雨降
昼前藤右衛門、伊右衛門西領縄
張、茂兵衛飛地縄残り、
昼後北領張立申候、
一、同十六日 天気
東領大角等縄張仕候、
一、同十七日 時々雨
東領大角等仕直し、縁端
張立、
一、同十八日 風雨
壱番角ゟ四十三番迄
御打立御座候、藤右衛門右
縄案内、
茂兵衛、伊右衛門南領、久泉村
前角縄壱ケ所、外ニ縁端
張立申候、
7 一、十九日 天気
西川原飛地、夫ゟ本領四十五番
ゟ七十九番迄、御打立被遊、
藤右衛門縄案内仕候、
茂兵衛、伊右衛門南領下縄張立、
今四つ半時頃柳瀬村助右衛門
屎納屋焼失仕候、
今夕放寺村彦右衛門見舞ニ
被罷出申候、
一、同廿日 天気
昼前八十番ゟ九十三番迄
御打立、昼後ゟ壱番角
抜物御打立、縄案内藤右衛門、
又茂兵衛、伊右衛門ハ川原ノ十字
縄張立、川原中村境分間、
一、同廿一日 天気
壱番角ノ内、昼前町川用水
ノ東御壱手合ニ而抜物御打立、
縄張人三人共案内、昼後ゟ
壱番角ハ内藤様ニ藤右衛門
付申候、神尾様、広瀬様江
茂兵衛、伊右衛門附申候、二番縁端
折役御扶持人、内藤様ノ方ハ
沼保幸右衛門殿、神尾様等ノ
方ハ犬内村与右衛門殿、自郡
御扶持人十村中代り々両
手合ニ附申候、
内嶋孫作殿夕方御出役被成候、
一、同廿二日 天気
神尾様、内藤様、沼保幸右衛門殿
昼前壱番角抜物御打立、
8 昼後飛地、西川原ゟ十一番
ゟ十四番角迄抜物御打立、
藤右衛門案内仕候、
広瀬様、折役犬丸与右衛門殿
縄張茂兵衛、伊右衛門二番縁端
ゟ十二番迄抜物御打立、
一、同廿三日 雨風
神尾様、折役犬丸村与右衛門殿
縄張藤右衛門、十五番、二十七番
角迄抜物御打立、
広瀬様、折役沼保幸右衛門殿
縄張茂兵衛、伊右衛門六十五番
角ノ内抜物御打立、半分
計も打立御座候、
一、同廿四日 天気
神尾様、犬丸村与右衛門殿
縄張人藤右衛門北領抜物
御打立、
内藤様、広瀬様、沼保村幸右衛門殿
縄張人茂兵衛、伊右衛門六十五番
角ノ内抜物御打立、
一、同廿五日 天気
神尾様、内藤様、沼保幸右衛門殿、
縄張人藤右衛門、四十七番角ゟ
六十四番迄抜物御打立、
広瀬様、犬丸村与右衛門殿、縄張人
茂兵衛、伊右衛門六十五番ゟ七十一番角
ノ内迄抜物御打立、
内嶋村孫作殿金沢御用之
由ニ而御帰被成候、
9 一、同廿六日 天気
昼前御両手合ニ而、昨日之通
抜物御打立不残相済候、
昼後柳瀬村折畑御打立
御座候、
一、同廿七日 風雨
藤右衛門、伊右衛門久泉村へ罷越
領廻り仕候、昼後大角ノ西南
ノ縄引通し申候、風雨烈しク
縄張出来兼申候、
御奉行様方柳瀬村川原
御預ノ野ニ御打立ニ付、茂兵衛
御案内申上候、
但、藤右衛門、伊右衛門ハ久泉村西領
太田村懸作喜右衛門旅宿ニ
泊り、西部金屋村宗右衛門
手伝被致候、
一、同廿八日 天気
茂兵衛へ柳瀬村打立帳等
読合等仕、夕方久泉村へ
罷越候得共、縄張所ニ出不申候、
御奉行様ヲ初、皆々昼後
久泉村へ御移り被遊候、
藤右衛門、伊右衛門久泉村下縄張
大角ヲ初、十八縄張立申候、
久泉村御検地方宿左之通
御奉行様御宿 祖泉村
助七郎
竿取足軽宿 久泉村
佐兵衛
10 他郡御扶持人 久泉村
自郡御扶持人十村宿 光円寺
縄張人宿 太田村
喜右衛門
〆
一、同廿九日 天気
久泉村領下縄張二十二縄
張立相済申候、
一、同晦日 雨降
同村御打立、壱手合ニ而
相済申候、
一、十一月朔日 雪風
神尾様、内藤様、折役沼保
幸右衛門殿、縄張人藤右衛門、
伊右衛門壱手合、
広瀬様、折役犬丸村与右衛門殿、
茂兵衛壱手合、
右両手合ニ而壱番大角
中道ヲ仕切、東ハ広瀬様
御手合、西ハ神尾様御手合
抜物御打立、夫ゟ北ゟ西
神尾様等御手合、東南
広瀬様御手合、
一、同二日 天気
昨日之通両御手合ニ而抜物
御打立相済、
内藤様朝ゟ川筋へ御用
11 ニ而御暇被遊候、
一、同三日 天気
藤右衛門義朔日ノ夕、二日夕
ゟ三日昼迄ニ下絵図相済、
昼後ゟ久泉村下絵図
夜中懸テ相済、
茂兵衛、惣右衛門、柳瀬村領絵
図相調懸申候、
但、惣右衛門絵図方手伝ニ
頼申候、
一、同四日 天気
両村領絵図相調申候、
則柳瀬村絵図裏打
仕候、
但、裏打人戸出村理兵衛
昨三日昼後ニ罷越申候、
内藤内様久泉村へ
御伺被遊申候、
一、同五日 同
両村絵図裏打仕候分、夜中
御奉行様へ壱ケ村弐枚宛
上ケ申候、
一、同六日 雨風
御奉行様ヲ初、竿取足軽
中、他郡御扶持人中、自郡
御扶持人中等不残朝六つ
時御出立、御奉行様津幡
御泊りニ而、翌七日御着之
御図りニ御座候、
12 村方絵図等縄張人藤右衛門、
茂兵衛相残相調申候、則
諸勤日之義書出可申旨、
御奉行様ゟ被仰渡御座候、
一、大浦村伊右衛門久泉村出立
ニ而、御奉行御供仕帰申候、
一、藤右衛門久泉村絵図弐枚相調、
一、茂兵衛、宗右衛門柳瀬村絵図
下引壱枚相済、
一、同七日 時々雪風
藤右衛門久泉村絵図三枚
相調申候、 茂兵衛、宗右衛門
柳瀬村絵壱枚半計相
調申候、
一、同八日 雨
柳瀬村領絵図弐枚相調
済申候、
一、同九日 時々雪
柳瀬村領絵図不残相
調済申候、裏打之義も
相済申候、
一、同十日 雪三寸計降
両村絵図書入袋等仕
申候、
一、同十一日 天気
太田村喜右衛門方出立、舟ニ而
大門迄、荷物大門石瀬屋四郎兵衛
13 方ニ而請取、夕方帰村仕候、
〆
覚
一、三拾三日 高木村
藤右衛門
但、十月九日ゟ十一月十一日迄
一、三拾三日 宮袋村
茂兵衛
右同断、
〆
右砺波郡柳瀬村、久泉村御検地
勤日数書上ケ申候、以上、
文化十一年十一月 高木村
藤右衛門
宮袋村
茂兵衛
神尾与八郎殿
内藤半蔵殿
広瀬五郎兵衛殿
一、御三人様御控絵図、弐ケ村袋入ニ
仕、三袋并右勤日数書上書付、
柳瀬村ゟ金沢鍋屋五郎右衛門方へ
書状相添指遣申候、夫ゟ上ケ
申事ニ御座候、戌十一月十一日ニ渡、
14 草高
一、千四百弐拾八石弐升五合 砺波郡
柳瀬村
内
九百拾六石七斗六升
三合 減高
残而
五百拾壱石弐斗六升 今般
弐合 御検地之上
極高
〆
草高
一、四百石 同郡
久泉村
内
百五拾弐石九斗五升七合 減高
残而
弐百四拾九石四升三合 今般御検地之上
極高
〆
両村水帳十一月五日村々江御渡
御座候、左之通り、
水帳左之通り
砺波郡柳瀬村御検地之事
一、三拾四町八畝拾四歩
七分九厘 畑、屋敷共
高
五百拾壱石弐斗六升弐合
右江川道并宮三昧等引捨打渡
所如件、
文化十一年十月 神尾与八郎
内藤半蔵
広瀬五郎兵衛
柳瀬村
百姓中
15 砺波郡久泉村御検地之事
一、拾六町六反拾歩三分六厘 畠、屋敷共
高
弐百四拾九石四升三合
右江川道并宮三昧等引捨打渡
所如件、
文化十一年十一月 神尾与八郎
内藤半蔵
広瀬五郎兵衛
久泉村
百姓中
覚
一、弐百七拾弐間五分 川原并野毛
一、百拾間
〆
一、四百四拾八間 同断
一、百五拾七間
〆
右砺波郡柳瀬村儀右衛門窪与申所等、田欤
畠欤ニ請不申哉与御尋ニ御座候得共、土地
悪敷、畠ニ成不申御断申上、依之預野ニ
可被仰付旨奉畏候、以来田欤畠欤ニ願申
者御座候者早速御断可申上候、以上、
文化十一年十月廿八日 中田村
源五郎
神尾与八郎殿
内藤半蔵殿
広瀬五郎兵衛殿
16 土居川除後巻外
一、弐百七拾弐間五分 南北
一、百拾間 東西
〆
一、四百四拾八間 南北
一、百五拾七間 東西
〆
右砺波郡柳瀬村領之内、野毛地
等間数相改、預野ニ致置候条、
請書可指出候、以上、
文化十一年十月 神尾与八郎
内藤半蔵
広瀬五郎兵衛
中田村
源五郎
壱ケ村帳面
一、弐冊 打立帳 御算用場
定検地所
一、弐冊 引物帳 同
一、弐冊 畠折帳 同
〆
右折目ヲ上ニなし、野帳面ニ相仕
立申候、則四つ折帳也、
但、村役人并相帳ノ人連名ニ而
書上ル、又十村奥書ヲ加イ
上ケ申候、
17 壱ケ村領絵図調申覚
一、壱枚 御算用場上ル
一、壱枚 定検地所
但、此弐枚ハ絵図ニ十村奥書物
継立テ上ル也、
一、壱枚 十村中田村源五郎殿
一、壱枚 村方
外ニ
一、三枚 御出役御奉行様方
壱枚宛上ル
〆七枚
但、折役御扶持人中御頼ニ而
壱枚宛上ケ申候、
〆
右両村共前廉村方ニ而、
下中条村清助等相頼、下
絵図相調有之ニ付、右絵図
相用申ニ付、分間ハ壱ケ所
仕、外ニ分間不仕候、しかし
此下絵図屈曲等間違之
所々有之、下縄張之時分
大キニ六ケ敷御座候、尤下
絵図之時分、間数違等も
有之様子ニ而、絵図引合
不申候、
18 右両村御検地日数左之通
一、四日 十月九日ゟ同十二日迄ノ内、九日ハ
道中、柳瀬村へ御着、十日両村誓詞、
十一日、十二日御竿、御縄目盛、夫ゟ両
村領廻り御見分昼前迄、
十二日昼ゟ分間仕候、
一、五日 同十三日ゟ十七日迄
柳瀬村下縄張、
一、二日半 同十八日ゟ廿日昼前迄
柳瀬村御打立、
一、七日半 同廿日昼ゟ同廿七日迄
同村引物并畑打立、
一、二日 同廿八日ゟ同廿九日迄
久泉村下縄張、
一、一日 同晦日
同村御打立、
一、二日 十一月一日、二日
同村引物并畑打立、
一、一日 同三日
両村下絵図相調、
尤柳瀬村ハ前廉夜中
下絵図相調申候、
一、二日 同四日、五日
上り絵図 柳瀬村二枚
久泉村二枚 相調
一、五日 同六日ゟ十日迄
両村控絵図等拾弐枚
相調申候、
一、一日 同十一日
久泉村ゟ出立、帰宅仕候、
〆三十三日
19 覚
一、百拾五匁五分 文丁銀
右砺波郡柳瀬村、久泉村御検地御用ニ
罷出、御雇銀御渡被下請取申候、以上、
文化十一年十二月廿九日 高木村
藤右衛門
下条村
弥二郎殿
右御雇銀定検地所ゟ下条へ
至来ニ付御渡御座候ニ付請取上ケ申候、
柳瀬村宿理八方払
一、壱斗三升五合 白米
代七百四拾三文 但、十月九日昼ゟ同月
廿六日昼迄
壱升ニ付五拾五文宛
一、三匁六分 拾八泊り宿賃
代三百六拾文
〆壱貫百三文
久泉村宿太田村喜右衛門方払
一、壱斗七合五夕 白米
代五百九拾壱文 十月廿七日昼ゟ十一月
十一日昼迄
一、弐匁八分 拾四泊り宿賃
代弐百八拾文
〆八百七拾壱文