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絵図(広域地図) 小矢部市・砺波市・南砺市

砺波郡若林組矢木村領古田新田共分間方等日記帳

天保九年三月朔日    
    砺波郡若林組矢木村領
    古田新田共分間方等日記帳
           高木村
             藤右衛門
1    一、三月朔日  天気    
      朝五つ時頃宅出立、昼八つ時頃矢木村江着、
       但、矢木村ゟ人足三人迎ニ来ル、
      大門新町祐次方立寄夫々咄仕、夫ゟ
      笠間七右衛門方へも立寄、火事見舞
      仕、      上伏間江村
                甚右衛門方 昼
       縄張人  西広上村四郎右衛門
       竿取人  高木村四郎兵衛
       藤右衛門下人 竹 召連
      昼八つ時過、  矢木村医者
                      泊り
       但、村肝煎、組合頭宗四郎、長田金右衛門
       手代見舞ニ来ル、
2   一、三月二日  南風 昼後西風ニ相成    
           雨降
      朝四つ時頃長田金右衛門手代見舞、
      四つ時頃荒木平助殿方へ見舞
      候処、夫々咄仕候、海渡之御礼被申上候
      処、壱部拝領被仰付難有候旨申
      聞ニ御座候、
       極内ニ而縄張方等咄申候、
       古田、新田之境筋之儀ハ、百姓中
       申聞之通り相立可申旨、惣年寄
       中窺紙面ニ付札ニ而被仰渡ニ
       御座候段申聞ニ御座候、
       新川郡宝田宗兵衛儀ハ、今暫ク跡
       ゟ出役可□度旨申聞候由、
       昼九つ時頃苗嶋村弥左衛門来ル、権正寺
3       孫八ハ今出府之躰ニ御座候、
       昼荒木平助、高木藤右衛門、
       苗嶋村弥次右衛門与同道ニ而、領境
       見分ニ出、藤右衛門義ハ七つ時頃宿へ
       戻り、夜四郎兵衛を以荒木氏江見舞ニ
       遣申候、長田氏手代、肝煎、外組合頭
       見舞ニ来ル、
 
   一、三月三日  北風大あられ雪降り
      朝四つ時頃ゟ野合江出、四郎右衛門、四郎兵衛召連坪
      内村、高道村定境迄分間仕、昼上り仕、
       荒木氏等古田、新田之境見分ニ行、
      右七つ時頃仕廻、
       夜五つ時頃、長田金右衛門手代
      見舞ニ来ル、
       村役人兵右衛門見舞、
       木下村善次見舞ニ来ル、
4   一、三月四日  天気西風    
      昼前藤右衛門、四郎右衛門等野方へ出ル、
      荒木氏等新古之境見分ニ出、
       四つ時頃長田金右衛門出役之由承り、
      藤右衛門義、昼後下絵図ニ取懸り、
      但、宅江之紙面認メ、
   一、三月五日  天気西風
      藤右衛門昼前野合出、四郎右衛門義ハ下絵図ニ
      取懸り、昼後藤右衛門下絵図ニ取懸ニ付、
      四郎右衛門野合江出ル、
      長田金右衛門手代見舞ニ来ル、
        下人竹次郎宅江遣申候、
5      昼後藤右衛門休、四郎右衛門、四郎兵衛野方江出ル、
      夕方荒木氏宿へ見舞、長田金右衛門
      自身宿へ見舞ニ来ル、
       但、夜宗七、兵右衛門見舞ニ来ル、
       荒木氏江内々ニ而申上候、下縄張
       之砌、木下村善次ニ而も竿取
       人壱人雇申度旨申入候、
   一、三月六日  雨風
      朝五つ時頃藤右衛門野合江出候処、磁石ニ
      水入候ニ付、四つ半時頃上ル、四郎右衛門義ハ
      下絵図ニ取懸候、
       但、藤右衛門五郎丸新村之飛地分間
       仕候、夕方長田金右衛門手代来ル、
       四郎右衛門下絵図ニ取懸り、
6   一、三月七日  曇天    
      朝五つ時頃野合へ出ル、太田村并ニ
      古田、新田之境、西之方分間仕候、
       長田氏、荒木氏、岡村仁七郎
       等、新古之境為見分出ル、
      藤右衛門、四郎右衛門、四郎兵衛同道ニ而
      野方相勤申候、
       四郎右衛門義宅江用事有之躰ニ
       而、昼後宅江帰ル、
       藤右衛門義下絵図ニ取懸り、
       夕方荒木氏宿見舞、
       木下村善次義ハ近辺之事
       故不閊、六家村平四郎遣呉候
       様、荒木氏ゟ申越候、
7       肝煎宗七忰見舞、
   一、三月八日  曇天北風 朝少し雨降
      朝五つ時頃、祖泉村通道分間仕
      仕候処、西広上村四郎右衛門宅ゟ帰ル、四つ時過ゟ
      東領古田、新開之境相通り申、八つ時
      頃昼上ル仕候、昼後下絵図ニ取懸り、
      西領江角入ル、
       夕方長田氏宿見舞、荒木氏
       ハ杉木出町江行候躰ニ而、留主ニ
       御座候、
      苗嶋村弥次右衛門、岡村仁七郎、宿
      見舞候、
8   一、三月九日  雨降北風    
      朝五つ時頃西領古田江角縄張出
      ル、大角并小角壱つ出来ニ、夕七つ
      時頃上ル、
       長田金右衛門ゟ申聞候ハ、明朝迄
       東領五郎丸新村
       飛地有之、此飛地之義今
       暫ク見合呉候様被申聞候、
      権正寺孫八、岡村仁七郎同道ニ而、昼後
      埴生村へ御奉行所御出役被遊ニ付窺
      ニ行、
      苗嶋村弥次右衛門義ハ病気ニ而帰り、
      権正寺村孫八忰昼後帰り、
9   一、三月十日  北風曇天 少々小雪降
      朝五つ時ゟ西領角縄ニ取懸り候処、巻
      縄多く有之ニ付墓取不申、西広上村
      四郎右衛門義ハ病気ニ而休メ、
       但、昼前野方へ権正寺孫八忰も出ル、
       荒木平助氏も風邪之由承り、
       夕方宅江之紙面認メ、
   一、三月十一日  天気
      朝五つ時ゟ野合出、古田之内新開飛地
      有之ケ所并元禄年中之新開
      及五郎丸新村飛地分間仕直ニ取懸り、
      昼土足ニ仕、漸々夕方上ル、
10      下人竹宅江遣し、夕方帰り、    
   一、十二日  雨降
      藤右衛門野方江出、夜八つ
      時頃寝ル、
      小林村宗兵衛来ル、宝田
      氏江も見舞ニ行、
   一、十三日
11  一、十四日
      西広上村四郎右衛門、定検地所
      御用有之躰ニ宅江行、
      藤右衛門朝未明野方江出候処、
      夕方帰り候処、兎角早速
      四郎右衛門ハ帰り不申困入申候、
      左れ共四郎右衛門罷帰り候ニ付、
      夫々手配仕、東手等四
      郎右衛門任せ置候、十六日ゟ
      之打立之用意等仕、
      宅ゟ六三郎使ニ来ル、
12     六家村平四郎相返申候、   
      夜長田氏ゟ手代を以申
      聞有之故、相返申事ニ
      御座候、荒木氏ゟも申聞候、
      御奉行所十四日夕方矢□
      村江御出役ニ御座候、
   一、十五日 一 曇天
      御奉行所領廻被遊、
      井上様、安田様、辰巳様病気
      ニ御休被遊候、
   一、十六日  天気 朝
      御奉行御三人様出情ニ而
13     竿目等御改ニ而夫ゟ壱番角  
      御打立御座候御座候、
     一、御奉行所矢木村内検地方
       御主附
             安田新兵衛様
             井上井之助様
        但、辰巳清大夫様ハ通懸り御見
        分被遊旨ニ御座候、
       惣年寄中
             宝田宗兵衛
             荒木清助
14      分間方主附    
             藤右衛門
       下手伝
           西広上村
             四郎右衛門
       竿取人
             四郎兵衛
       同   西広上村
             権七
   一、十七日  天気
      朝四つ時頃ゟ弐手合ニ而御打
      立御座候処、
   一、十八日  天気
      夕方迄ニ打立歩数相済、
15  一、十九日  雨降
   一、廿日  天気
      朝六つ時頃ゟ野方へ出、野ニ而昼仕、
      夕方御上り被遊各々被困入候、
       但、御内分五万歩、抜物被遊度旨
       安田様ゟ被仰聞候、
   一、廿一日  天気
      朝五つ時頃ゟ御打立ニ御座候、
      安田様之御手合、藤右衛門、荒木、
      井上様手合、宝田、四郎右衛門、
16  一、廿二日  天気西風    
      朝五つ時頃ゟ安田様、藤右衛門
      等、西領抜物へ御取懸り被遊候、
      井上様、四郎衛門等、東古田之抜
物行、昼八つ時頃各々上ル、
   一、廿三日  天気
      朝五つ時頃ゟ打立帳之歩数并ニ
      抜物帳等相調理候処、各々昆
      雑仕候困入候、安田様、井上様
      等ゟ被仰渡、此間之手絵図ニ
      打立之間数書入指出可申
      旨被仰聞、夫なくてハ御場
17     ニおゐて可申上手段無之
      素絵図ニ而も宜敷候間、早速
      書入指出可申旨被仰聞候付、夕方
      迄ニ此元書入仕指上申候、
      尤袋ニ入上ケ申候、
     一、新開、古田之申分之義、小前成等
      呼立、色々御詮義被遊候
       廿三日之夕方被仰渡候ハ、此間之
       抜物帳新田才許共々夫々調理
       方申渡置候、兎角昆雑之躰
       ニ困入申候、依而今晩此許
       共前ニ而夫々相調理、早速埒明
       申度旨ニ而、夜九つ時過迄取懸り
18      候処、漸々打立之読合相済申候    
       得共、抜物帳之義相分り不申 
       ニ付、就明日ゟ申談夜八つ時頃寝、
   一、廿四日  天気
      朝六つ半時頃、各々御奉行之前ニ而
      抜物帳相調理候処、荒木平助
      帳面兎角相弁り不申、漸々
      四つ時迄ニあら々々ニ相成、夕
      方抜物帳相決申候、藤右衛門
      等十露盤改ニ取懸り困入
19      矢木村古田西領
    一、七万三千弐百八拾弐歩九厘    惣打立之
                      歩数
      内               同断
       壱万六千六百七拾七歩三分六厘 抜物歩数
       八百七拾弐歩六分四厘     畑折捨歩
      残而
       五万五千七百三拾弐歩九厘
      高ニ直して
       弐百三拾弐石弐斗壱升七合四才
20      同古田東領   
    一、七万八百弐拾九歩弐分      東領惣打立
                      之歩数
      内
       壱万六千五百五拾六歩     抜物惣歩
                四分七厘  
       三百九拾九歩九分三厘     諸引等見込
      残而
       五万三千八百七拾弐歩八分
      高直し
       弐百弐拾四石四斗七升
21      同新開高三口共
    一、拾壱万弐千弐百七拾歩      新開打立
               三歩三厘   惣歩数
      内
       三万四千三百九拾四歩     抜物歩数
               六分四厘   
       六百歩五分九厘        諸引等見込
       百拾五歩六厘         畑打捨歩
      残而
       七万七千百六拾歩
      高ニして
       三百弐拾壱石五斗
22    三口〆七百七拾九石弐斗七升九合九夕弐才    
      但、夜六つ時頃安田様、井上様、河北郡
      等之義御窺申上候処、孰ニ茂当
      御通御用相済候ハヽ、早速出府
      可仕、尤分間方道具等持参
      可有之候事、
   一、三月廿五日  天気
      朝六つ時頃、安田新兵衛矢木村御出立
      被遊、新川郡江御移之躰ニ御座候、
      如何之訳ニ候哉与相尋候処、滑川村
      出火之跡見事旁々御出被遊
      ニ而御座候、
23     昼後井上様矢木村御出立被遊、
      青嶋村御泊りニ而近々之内、新川
      郡江御帰之躰ニ御座候、
     一、井上様江御乞仕候処、三州水経之義
      御役所之旧記書入可申旨被仰渡候、
      昼後小林様、宗兵衛、荒木平助等
      皆々帰り、
       但、野尻村六郎右衛門来ル、
      残り居候者、藤右衛門、四郎右衛門、吉蔵、
      長田金右衛門手代甚蔵、四郎兵衛、
      昼後ゟ竹使ニ来ル、
24    一、安田新兵衛様ゟ磁石壱つ御誂ニ御    
      座候、
       但、三寸之磁石ニ二百四十度之目盛
       為致、がんとう台仕懸ケ可申図
       ニ而、出来致呉候様申聞ニ御座候、
       但、西広上村四郎右衛門昼八つ時頃ゟ宅江帰り、
       権七義廿四日之昼後、帰宅仕様子ニ御
座候、
   一、廿五日  天気南北
      朝六ツ半時頃高木村四郎兵衛宅江
      帰り、西広上村四郎右衛門夕方帰り、
      藤右衛門下絵図ニ取懸り、田上屋
      吉蔵安田様之帳面調方ニ
      取懸り、長田金右衛門手代甚蔵右   
25     帳面之控ニ取懸り、夕七つ時過宅江
      帰り、夕六つ時頃四郎兵衛帰り、
   一、廿六日  曇天
      朝五つ時頃ゟ藤右衛門下絵図を取
      懸り、あら々々ニ仕候、四郎右衛門宅江
      用事之由ニ而帰り、夕方帰来り、
   一、廿七日  雨降
      朝早ゟ四郎右衛門下絵図ニ取懸り、藤右衛門
      古田西領之帳面写方ニ取懸り、
      四郎右衛門絵図あら々々ニ仕、田上屋
      吉蔵帰り、尤荒木平助高方
      指引違有之ニ付、其旨申入
      申度旨ニ早朝立大尺御竿
26     等田上屋吉蔵ゟ小間物屋市郎兵衛ニ     
      相渡可申旨、長田金右衛門ゟ之紙面
      等人足之者請取、
               宝田宗兵衛
               荒木平助 
      右両人ハ打立帳入用無之、抜
      物帳并ニ絵図送り呉候様申聞、
      尤帳面仕上之上、平助方へ
      御送り可被下旨申聞候、
     一、三州大路水経六冊、三月十四日
      安田様、井上様、砺波郡矢木村
27     宗四郎座敷ニ而上ル、
   一、廿八日  朝四つ時頃ゟ天気
      藤右衛門、四郎右衛門、高道村伊右衛門与下調理ニ
      取懸り、諸方角極方ニ四郎右衛門、四郎兵衛
      野方江出、八つ時頃帰り、
       夜五つ時頃ゟ諸帳面読合ニ取懸り、
       藤右衛門寝、兵右衛門、喜右衛門見舞
       ニ来ル、
     一、五百六拾五歩  元禄之新開之株
       新開打立之歩数
       拾壱万千七百四歩八分三厘
       外ニ 五百六拾五歩 元禄十五石之株
      二口〆 拾壱万弐千弐百七拾歩三分三厘
28  一、廿九日  天気    
      朝五つ時頃ゟ荷物等仕抹仕、矢木村
      出立、肝煎宗七忰喜右衛門見舞、
      伯庵見舞ニ来ル、上伏間見舞、
      夫ゟ七ツ時頃帰宅仕、
               殿村
29  一、四月二日       喜兵衛
      但、矢木村内検地打立野帳再算
      方ニ雇、
               同
   一、同三日        同人
      但、同断
    四月十九日ゟ廿六日之間
   一、六日半
      但、野帳三通相調申候、
   一、壱束三ちよ 八寸紙
      代 五百八十五文  取かへ
30   閏四月十一日    
   一、一日         藤右衛門
      但、野帳三冊読合并立物三通書
    同
   一、一日         四郎兵衛
    十二日
   一、一日         藤右衛門
      野帳等直し方
    十三日                
   一、一日         藤右衛門
      御改作所上り絵図調方
    十四日
   一、一日         藤右衛門
      右同断
    十五日
   一、一日         藤右衛門
      御改作所上り等読合
    十六日
   一、十日         藤右衛門
      御改作所等上り袋出来
   一、壱枚  絵図  藤右衛門方ニ而御役所
      代               上り調
               殿村 
31  一、七冊 打立帳等     喜兵衛
      代    御役所上り 
   一、六状 紙        藤右衛門ゟ
      代            取かへ
    同          西広上村
   一、七枚 絵図       四郎右衛門
      代          
    五月四日
   一、弐拾目         藤右衛門
      代  此分七月朔日荒木平助ゟ受取
         但、金沢ゟ高木村迄夜通シ飛
         脚賃取かへ
32    入 五拾目    二月晦日受取   
     入 弐百文    同
    三月朔日
   一、拾文       戸出ニ而茶代
    三月五日
   一、拾文       大門ニ而買物 竹
    三月廿九日
   一、三拾八匁五分   宗四郎方飯代