矢木村内御検地方留帳
天保九戊三月
矢木村内御検地方留帳
石黒
1 今般矢木村古田并新開共内御検地被仰付候ニ付、
私共領境有様ニ御案内申上候様御申渡ニ付、私共罷出
有躰ニ領境等御指図申上、則高木村藤右衛門殿縄御張
被成、各御立会御見分被成候、就而者領境御案内申上候
通、縄御張被成候儀毛頭相違無御座候得共、御奉行所
訳而厳重被仰渡候儀御座候ニ付、領境等紛かし、且
地元隠置候様之義等いたし置、後日相顕候而者不軽
儀ニ付、打返組御主附被入御念、私共今日改而御呼立
各御立会之上、重て領境并地□之儀隠置不申哉
2 之旨等御尋ニ御座候得共、前条申上候通、今度御指
図申上、縄御張被成候通、領境曁飛領与も相違
無之、勿論此外矢木村地元隠置候義少シも無御座、
幾重御穿鑿被成候ニも右之通ニ相違之品無御座候
間、此上隠置候様之義等後日相顕候ハヽ、私共如何様
とも越度可被仰付候、何事茂誓詞血判仕候
通急度相心得可申候、依而御請上之置申候、已上、
天保九年三月十五日 矢木村
肝煎
組合頭
3 百姓惣代
境村々
肝煎
組合頭
百姓惣代
宝田宗兵衛殿
荒木平助殿
長田金右衛門殿
岡村
二七郎殿
苗嶋村
弥次右衛門殿
4 矢木村古田、新田此度内御検地被仰付候ニ付、領境
村々役人等手前詮儀仕為及指図、高木村藤右衛門
縄張候上、猶又宝田宗兵衛等立会領境縄等見分
仕候得共、万一領境等紛かし、且地元隠置候様之
義有之候而ハ不軽趣ニ付、今日改而矢木村役人等并
領境村々役人等呼立、宗兵衛等立会打返詮義
仕候得共、領境等之義少シ茂間違無之旨申聞候、
右之趣ニ而重念詮儀仕、別紙請書取立申ニ付、
御達申上置候、已上、
5 戌三月十五日 長田金右衛門
御改作方
御郡御奉行所
覚
矢木村 兵右衛門
同村 宗四郎
同村 長次郎
同村 □兵衛
同村 円兵衛
同村 又吉
同村 与兵衛
同村 平助
6 同村 助三郎
同村 三之丞
同村 六兵衛
同村 三之助
同村 市右衛門
右兵右衛門等拾三人之者共、苗代田之内御縄下タニ
相成、時節之苗代拵出来兼相歎申趣、御達申
上候処、高木村藤右衛門立会見分仕、巻揚ニいたし
置可申旨被仰渡候ニ付、藤右衛門申談見分之上巻揚ニ
仕、苗代拵等不指支様申渡候、依而名書御達申上
置候、以上、
戌三月十八日 長田金右衛門
7 御改作方
御郡御奉行所
覚
古高 砺波郡若林組
一、弐百六拾石 矢木村
免三つ六歩
天明五年手上高
一、拾七石五斗 同村領
一免□弐つ六歩
元禄三年新開高
一、拾五石九斗八升四合 同村領
御図免壱歩
8 享保十一年新開請高四千□百石之内毛附高
一、四拾石 同村領
御図免弐つ
文化十二年御仕法新開高
一、百弐拾七石八升 同村領
御図免壱つ四歩
〆
右矢木村古高、新開高内御検地被為成候ニ付、
領廻り仕見届申候処、領絵図之通少も相違無
御座候ニ付、奥書仕上之申候、以上、
天保九年三月十五日 宝田宗兵衛
9 荒木平助
高木村
藤右衛門
苗嶋村
弥次右衛門
権正寺村
孫八
御改作方
御郡御奉行所
私共今日御呼出、今般内御検地御打立相済候
に付、御張置之縄取払、開作勢子方出情
10 仕可申旨被仰渡難有奉得其意申候、被仰渡
之趣村中江申渡、御縄取払開作入情ニ仕可申候、
依而私共為惣代引請御請上之申候、以上、
天保九年三月廿五日 矢木村肝煎宗七
当病ニ付せかれ
喜右衛門
組合頭
兵右衛門
百姓惣代
宗四郎
等
御改作方
御郡御奉行所
11 右御請取立御達申上候、猶更開作勢子方
無油断相心得候様厳重申渡候、以上、
長田金右衛門