© Imizu City Shinminato Museum.

絵図(広域地図) 高岡市

射水郡早川村波岡村内検地諸事留帳,早川村内検地領廻方角野帳

寛政十一年    
       中川兵左衛門殿組下
    射水郡
    早川村内検地諸事留帳
    波岡村
      附、早川村分間野帳
     未十月  石黒藤右衛門
1    早川村、波岡村、明後三日ゟ    
     内検地相初候条、彼村迄早速
     可被罷出候、以上、
      十月朔日  加納権六
            五十里庄右衛門
       高木村
         藤右衛門殿
2        覚    
          守山町
             文助
          高木村
             藤右衛門
          宮袋村
             茂兵衛
       右早川村
          二塚村
             伝兵衛
          西広上村
             四郎右衛門
          伏木村
             三之丞
          礒部村
             長兵衛
       右波岡村
     右之通手分有之、随分綿密
     縄張致、且人足等を初諸入用
     相懸り不申様ニ可相心得候、以上、
       十月三日    加納村
                 権六
               五十里村
                 庄右衛門
               中川村
                 兵左衛門
3   一、十月三日  天気    
       波岡村、早川村内検地被仰
       付候ニ付、右両村出合宿長江新村
       宗三郎方へ追々罷越、昼ゟ
       右両村共領廻り仕候、
     一、右両村役人中へ申談之趣、十月
       四日人足弐人宛可指出候様申
       談候、且領境村々へも申談、
       境縄等間違不申様之義
       申談候、
     一、諸事人足并入用等相懸り
       不申様可被成候様申談候、
       礒部村長兵衛罷越不申候、
    同四日  天気
     一、早川村領廻り仕候、則磁石
       を以方角等相しるし申候、
       尤九分通仕、少し見残り
       申候、
     一、文助義内用之義有之ニ付、
       帰宅仕候、
     一、夜八つ時迄相懸り、下絵図
       八、九分通相仕立申候、
    同五日  雨降
     一、藤右衛門義早朝ゟ下絵図書
4      申候、茂兵衛義少見違之場所      
       有之ニ付、肝煎弥四郎同道
       ニ而見しらへ、朝飯前罷帰
       申候、
     一、先達而六日ニ右両村へ御扶持人
       様方等御向之義被仰渡候
       得共、十日頃迄も相懸り
       可申哉難計候ニ付、
       早川村徳兵衛、波岡村伊兵衛、
       中川村兵左衛門殿へ右之様子
       御案内申上候処、六日ニ相向
       申義相決候間、縄張人
       中之内ニ而も御扶持人様方
       可申様被仰渡候ニ付、惣代
       として文助五十里様へ
       罷越、右早川村ハ九日頃、
       波岡村ハ十日頃迄相仕舞
       可申哉之儀申上候処、加納様
       へ其段五十里様ゟ被仰遣候
       処、日延ニ相成、相仕舞次第
       早速案内可仕様、右両村
       之役人中へ被仰遣候、尤
       下条、北野、横田親司様を
       初大門新田才許人中并
       取捕人等之方、御廻文を以
5      被仰遣候、   
       早川村、波岡村内御検地被仰付、
       私共右村へ下縄張候様被仰渡、
       頃日下縄張懸り候得共、飛地
       等多ク御座候故、急ニハ張仕舞
       得不申候、当六日ニ右両村共
       御打立御向被遊候旨、先達而
       被仰渡候得共、六日迄ニハ下縄
       張済不申候間、御向之日限
       前日可申上候得共、大躰十日
       頃迄ニハ下縄張仕舞申度
       奉存候、右之趣私共之内罷出
       可申上義ニ御座候得共、頃日
       昼夜絵図等ニ取懸り申ニ付、
       乍恐小紙を以申上候、以上、
         十月五日   縄張人共
          加納村
            権六殿
          五十里村
            庄右衛門殿
    同五日  雨天
     一、昼前下絵図書申候而、
       昼ゟ下縄五ケ所張立
       申候、尤文助義昼ゟ
       日延之義ニ付、五十里様へ
6      罷出申候、    
     一、壱人  大曲尺持人足
     一、四人  縄引杭打等、
       外ニ四人百姓中
       并肝煎、組合頭中
     一、加納様へ早川村徳兵衛、波岡
       村伊兵衛、右日延之義ニ付
       罷越候処御聞届被遊、
       加納様ゟ飛脚を以下条様、
       北野様、横田様、中川様へ
       打立延引義被仰遣申候、
       則加納様へ被参候役人中、
       夜八つ時罷帰申候、
    同六日  雨天
     一、朝飯前、絵図続立申候、
     一、朝五つ前ゟ下縄張立申候、
       八人、諸入用へ、
     一、外ニ役人中、百姓等四、五人罷出
       被申候、
     一、中飯之義、早川村徳兵衛方
       ニ而喰申候、
       早川村、波岡村縄張致懸り
       候所、早川村ハ九日迄張済可
       申旨、守山町豊助等ゟ申
7      越候趣存寄も無之哉之旨、    
       御紙面之趣承知仕候、私ニ
       おいて存寄も無御座候、無
是悲九日まて見合せ可申候、
定而縄人中も油断も仕
間敷哉与奉存候、去とも
随分入情いたし、今一日も
墓取候様、夫ゟ被仰遣可被下候、
     一、右両村之様子ニ而者、西東も
       日延ニ相成、金沢登りニも
       指支可申哉之旨承知仕候、
       出府之義ハ暫ク遅ク相成
       候共、右両村ハ内検地相仕
       廻り申度底意ニ御座候、
     一、竿初相延申儀、御改作所へ
       重而御届ニハ不及義ニ奉存候、
       且、下条、北野、横田ヘ之廻状、       
       夫ゟ御順達可被下候、以上、
         十月五日  加納権六
          五十里庄右衛門様
       右之通加納ゟ来候間、随分   
       せり立可被申候、以上、
         十月六日  五十里村
                 庄右衛門
          早川村、波岡村ニ而
            縄張人中
8    一、七つ時頃、礒部村長兵衛、   
       波岡村へ罷越申候、
     一、打縄、紙竹、縫竹、仕切備中、
       角縄、箕備中等、諸事入
       用物毎日村役人中へ
       申談申候、
    同七日  時々小雨降
     一、角縄等張申候、
     一、茂兵衛義用事有之ニ付
       帰宅仕候、尤七つ時頃ゟ、
     一、九日昼頃迄ニ者下縄張立
       可申与存候ニ付、加納様等へ御案
       内申上候小紙之写、
       早川村、波岡村下縄早速張
       仕廻候様、昨日御紙面を以被仰渡
       奉畏申候、早川村之義明後
       九日昼頃迄ニハ張仕廻可申候、
       波岡村之儀も十日迄ニ張仕
       廻可申与奉存候ニ付、御案内申
       上候、以上、
         十月七日  早川、波岡村ニ而
                    縄張人共
           加納村
             権六様
           五十里村
             庄右衛門様
9      早川村、波岡村下縄張済    
       不申旨先達而申上候所、早川村
       之義明後九日昼迄ニ下縄
       張済可申候、波岡村之義茂
       十日迄ニ下縄張仕廻可申与
奉存候ニ付小紙を以申上候、尤
加納様、五十里様へ小紙を以
申上候、以上、
  十月七日  早川、波岡村ニ而
             縄張人共
   中川村
     兵左衛門様
     一、五十里様へ早川村清左衛門ニ小紙
       為持遣ス、
       中川様へ波岡村清助ニ小紙
       為持遣候、
       早川村、波岡村下縄之義
       被申越致承知候、加納ゟ九日ニ
       何連も罷出候様廻状有之
       ニ付、兼而九日ニ罷出申図りニ
       相心得居申候、以上、
         十月七日   中川兵左衛門
          早川、波岡ニ而
           縄張人衆中
11     追而頃日ハ何連茂打続    
       御大儀ニ存候、何事も明後
       日罷出心事可申達候、以上、
     同八日  四つ時前小雨降
          四つ時過ゟ晴天
       下縄十九縄張申候、是ニ而   
       下縄張仕廻り相済申候、
     一、茂兵衛義暮六つ時ニ罷
       帰申候、文助七つ過ニ帰宅
       仕候、
     一、中飯之義早川村川除之外、
       祖父川ノ北縁ニ而喰申候、
     一、私宅へ之紙面、明九日殿村
行之者へ相渡申候、
     同九日  天気
     一、藤右衛門上絵図下書等仕候、
     一、文助、茂兵衛領中縄留等見分
       仕候、尤往来之東縁無地畑
       張二縄張申候、
     一、加納村権六殿
       五十里村庄右衛門殿
       中川村兵左衛門殿
       北野村甚作殿
12     横田十右衛門殿    
       右御人々昼頃ゟ御出ニ御座候、
     一、早川村、波岡村惣百姓中
       誓詞御見届ニ御座候、
     一、領境村々肝煎、組合頭中、
       各罷出、誓詞御見届
       御座候、
     一、竿捕人、麻木持人
       共四人罷越申候、
        竿捕人 中川村
              佐右衛門
        同   二塚村次郎九郎忰
              千次郎
        麻木指 下黒田村
              太右衛門
        同   木津村
              新八
         明十日御打立之時分入用
         物、早川村役人中へ申談
         候覚
     一、竿目麻木  但、長サ八寸
     一、十目麻木  但、長サ二尺余
     一、目当備中  弐本 
     一、弐筋    二十間縄
     一、弐本    打竿
     一、六つ    にかたわら腰懸入用
     一、弐人    麻木持人足
     一、弐人    目当備中持人足
     一、四人    弐拾間縄引
     一、弐人    十目矢鍬打人足
13   一、壱人    麻木持人足    
     一、四人    □矢鍬打人足
     一、弐人    大曲尺持人足
     一、壱人    茶、弁当持
     一、弐人    橋持人足
     一、六人    腰掛持人足
      〆
     同十日  天気
      一、早川村、波岡村領廻り被遊候、
        尤早朝ゟ御出ニ御座候、四つ
        頃両村共相済申候、夫ゟ
        早川村御打立御座候、
        先角縄御手合分ケニ而、
        御打立御座候、
      一、加納様、中川様手合ハ、
        文助、茂兵衛、
      一、五十里様、北野様御手合ハ、
        藤右衛門、
        右御打立相済申候、尤
        弐縄ニ而六、七百歩計相
残り申候、
     同十一日  雨降
      一、早朝飯喰候而弐縄御打立
        被遊、是ニ而早川村領中
        不残相済申候、夫ゟ親司様
14      方ハ波岡村へ御向、御打立   
        御座候所、領中不残相済
        申候、
      一、早川村、長江新村論地田
        祖父川東縁ニ御座候、段々
        詮義有之候得共、何方之
        地共相分不申候、
      一、文助義、昨夜帰宅仕候、
      一、藤右衛門、茂兵衛義、右二縄
        御打立相済、夫ゟ西
        海老坂村へ罷越申候、
       草高         中川組
      一、四百四拾八石二斗    早川村
               早川村肝煎
                   文四郎
                  組合頭
                   徳兵衛
                  同
                   清左衛門
       草高         中川組
      一、四百三拾石       波岡村
               波岡村肝煎
                   清助
                  組合頭
                   伊兵衛
15     縄張人中誓詞之儀ニ付    
       御願申候小紙之写
     今般内御検地被仰付、私共罷出
     相勤候様被仰渡奉畏申候、就夫
     誓詞之儀縄張役被仰付候砌、
     定検地所ニ而誓詞仕候得共、其
     村々江対シ時之誓詞可被仰付旨、
     当春上伏間江村ニ而被仰渡、誓詞
     仕候得共、前々内御検地ニ罷出
     候砌、誓詞不仕候例も御座候、
     当春上伏間江村ニ而被仰付候
     誓詞ニ而、御見通被下様奉願
     上申候、一ケ村々々ニ誓詞仕而者、
     村々江対し私共役前も軽々敷
     様奉存候間、何卒以来内御検
     地誓詞不仕様、小紙を以御願
     申上候、以上、
       未十月九日  縄張人
               二塚村
                 伝兵衛
               守山村
                 豊助
               高木村
                 藤右衛門
16            同    
               西広上村
                 四郎右衛門
              同
               伏木村
                 三之丞
              同
               礒部村
                 長兵衛
              同                  
               宮袋村
                 茂兵衛
         加納村
          権六殿
         五十里村
          庄右衛門殿
        早川村内検地日数
    一、二日    領廻り下絵図
    一、三日半   下縄張申候
    一、一日半   右尺分へ誓詞等
    一、一日    御打立
      〆八日
          御扶持人   加納村権六殿
          同      五十里村庄右衛門殿
          十村     中川村兵左衛門殿
          同      北野村甚作殿
17        新田才許人  大門新町十郎兵衛殿   
          縄張人    守山町豊助
          同      高木村藤右衛門
          同      宮袋村茂兵衛
          竿捕人    中川村
                   佐右衛門
                 二塚村
                   千十郎
          麻木持人   下黒田村
                   太右衛門
                 木津村
                   新八
        早川村領絵図上ケ申覚
    一、壱枚    加納様
    一、壱枚    五十里様
    一、壱枚    中川様
    一、壱枚  上り加納様へ
       但、此絵図ハ番付之名書
       不申候、
      〆四枚  書写人  高木村
                  藤右衛門
18
表紙   寛政十一年    
    早川村内検地領廻方角野帳
    且、下下縄しらへ覚帳
      未十月三日
   
29   右早川村領絵図分間    画像  翻刻トップ  画面トップ
      百間三寸ニ相調申候、
       絵図写書人
        縄張 高木村
             藤右衛門
30  一、波岡村領絵図分間    
      百間三寸ニ相調申候、
       絵図書写人
        縄張 西広上村
             四郎右衛門
      右両村共磁石を携へ、
      分間方角相定書写
      仕申候、
31      下しらへ打立    
     十月五日
     壱
    一、弐拾間    南北  長慶寺用水
    一、拾間   畑     ノ東、波岡領    
      〆弐百歩      入込、
     二
    一、弐百三拾三間 南北  同南
    一、三拾間        横田境
      〆六千九百歩
     三
    一、百五拾間   南北  同所南
    一、四間         羽広村領境
      〆六百歩
32   四    
    一、百五拾間   南北  同所南、上
    一、十五間  畑    
      〆弐千弐百五十歩
     五
    一、拾六間    南北  同所南 
    一、六間         往来ノ下
      〆九十五歩
     十月六日
     六
    一、卅壱間    東西  和田作喰蔵
    一、九間   畑     ノ南、畑飛地
      〆弐百七拾九歩
     七
    一、三拾八間   東西  砺波郡
    一、十弐間  畑     辻村等領境
      〆四百六十歩
     八
    一、百拾間    南北  千部嶋
    一、四拾五間 畑
      〆四千九百五十歩
     九
    一、百五拾三間  南北  穴田
    一、三拾四間       同所下モ
      〆五千弐百弐歩    上領
33   十    
    一、五拾七間   南北  同所西
    一、四拾間        又四郎屋敷
      〆弐千弐百八十歩
         内 千百四十歩 畑
           千百四十歩 田
     十一
    一、三拾八間   南北  同所南添
    一、拾八間  畑     
      〆六千八拾四歩
     十二
    一、百六拾八間  南北  同所下領
    一、弐拾弐間       ふけ田
      〆三千六百九十六歩
     十三
    一、百六拾四間  南北  川原田、沼田
    一、六十三間
      〆壱万三百三十二歩
     十四
    一、六拾間    南北  村ノ上
    一、三拾壱間 畑     麻畑
      〆千八百六十歩
     十五
    一、弐百弐拾間  南北  出合用水ノ東
    一、八間五分       中さい樋ノ下
      〆千八百七十歩
34   十六   
    一、弐百弐拾三間 南北  同所西捨江
    一、六拾六間       ノ東、上領下領
      〆壱万四千七百十八歩 共
     十七
    一、百間     東西  山道ノ北添
    一、五拾四間       焼明田
      〆五千四百歩
     十八
    一、九拾壱間 四方 角縄
      〆八千弐百八拾壱歩
     十九
    一、百九拾五間  南北  角縄ノ南
    一、百弐拾四間      早川村人家共
      〆弐万四千百八拾歩
     二十
    一、八拾九間   南北  角縄ノ東
    一、弐拾間
      〆千七百八拾歩
     廿壱
    一、百四拾八間  南北
    一、八拾弐間
      〆壱万弐千百三拾六歩
35   二十二    
    一、百六拾間   南北  同所ノ西
    一、弐拾九間
      〆四千六百四拾歩
     廿三
    一、百八間    南北  角縄ノ西
    一、三拾四間
      〆三千六百七拾弐歩
     廿四
    一、弐百弐間   南北  同所西添
    一、弐拾間
      〆四千四拾歩
        内
        弐千弐十歩 田
        弐千弐十歩 畑
        〆
     同八日
     廿五
    一、八拾六間   南北  同所北
    一、拾四間
      〆千弐百四拾歩
     廿六
    一、百拾九間   南北  同所南
    一、拾六間
      〆千九百四歩
       内九百歩   田
        千四歩   畑
        〆
36   廿七    
    一、六拾弐間   南北  川除ノ外
    一、八間五分  畑    小矢部川縁 
      〆五百弐拾七歩
     廿八
    一、百三拾九間  南北  同川除ノ
    一、三拾八間       内
      〆五千弐百八拾歩
     廿九
    一、百拾八間   南北  同所北
    一、拾三間        祖父川
                 之落合
      〆千五百三拾四歩
     三十
    一、四拾六間   南北  同所西
    一、八間    畑    小矢部川
                 縁
      〆三百六拾八歩
     三十一
    一、百七拾間   南北  廿八ノ東添
    一、拾壱間   畑
      〆千八百七拾歩
     三十二
    一、八拾六間   南北  同所下
    一、七間         祖父川西縁
      〆六百弐歩
37   三十三    
    一、四拾四間   東西  祖父川
    一、拾間    畑    南縁
      〆四百四拾歩
     三十四
    一、弐拾五間   南北  同所西
    一、九間    畑    
      〆弐百弐拾五歩
     三十五
    一、七拾間    南北  宮ノ後
    一、五間         祖父川東縁
      〆三百五拾歩
     三十六
    一、六拾八間   南北  外川除ノ
    一、三拾四間  畑    外、祖父川
                 東縁
      〆弐千三百拾弐歩
     三十七
    一、九拾間    南北  同川除ノ内
    一、拾九間   
      〆千七百拾歩
     三十八
    一、三拾八間   南北  同所下
    一、三間八分       長江新飛地
                 ノ北
      〆百四拾四歩
38   三十九    
    一、弐拾六間   南北  中川原
    一、拾壱間 
      〆弐百八拾六歩
       内
        百八拾六歩 田
        百歩    畑
        〆
     四十
    一、四拾八間   南北  同所東
    一、三間    畑    江縁
      〆百四拾四歩
     四十一
    一、四拾間    南北  祖父川東縁
    一、弐間
      〆八拾歩
     四十二
    一、拾間     南北  本打場
    一、四間         長江新領飛地
      〆四拾歩
     四十三
    一、三拾四間   東西  同所飛地
    一、拾八間
      〆六百拾弐歩
39   下縄しらへ   
      田歩数〆拾壱万九千四百五歩
      畑歩数〆弐万七百五十三歩
         四つ折ニして五千百八十三歩
      外ニ無地四ケ所
     四十四
    一、拾四間    南北  和田新町ノ
    一、四間         東マテ、
      〆五十六歩      早川村道番
                 九郎右衛門ノ後
                 長江用水
                 横田内免用水
                 ノ江中さい
     四十五
    一、五十一間   南北  同所下モ往来
    一、六間弐分       添并長江用水
                 東へ又ク
     四十六
    一、四拾間    南北  小矢部川  
    一、拾間         東縁野毛
      〆四百歩
     四十七
    一、弐拾間    南北  小矢部川
    一、四間         東縁、祖父川
      〆八十歩      落合ノ角
                 野毛
       縄数〆四十七
40     惣歩数    
        合拾弐万四千五百八拾八歩
         内 
          五千歩  弐拾間縄縮り
               申ニ付引歩
       残テ
        拾壱万九千五百八拾八歩
         高ニして
         四百九拾八石弐斗八升
          内
          弐拾石  変地所砂入
               之所折歩引
        残テ
         四百七拾八石弐斗八升 
            下しらへ有高
      〆
       右之高、御扶持人様方
       御打立之時分四百     
       拾弐石六斗八升弐合ニ
       相成申候、
     一、角数十五  但、壱囲之角
             百間四方也
           外ニ五千歩程、廿間縄縮り除ル、
         江道土居等引残テ
         畑田有歩数拾四万歩程ニ
         下縄しらへニ相成申候、残り
41       引残テ   
          壱万六千歩 減り歩
         〆