絵図(広域地図) 高岡市
射水郡二上組横田村領高岡金屋町鋳物師拝領地境筋等絵図
千保川左岸にある金屋町は、2代加賀藩主前田利長が砺波郡西部金屋村から鋳物師を呼び寄せたことに由来します。鋳物師が藩から拝領した屋敷の境界をめぐって数十年に及び横田村との間で争論になりました。文政10年(1827)測量が行われ郡奉行の立ち会いのもと決着しましたが、本図はそのときのものです。測量は石黒信由の息子信易と石丸村六右衛門が行い、信由が絵図を作製し藩に提出しました。本図の定書によると、鋳物師屋敷は宝暦10年(1760)横田村の検地絵図に記されている拝領地(黄色)の面積よりも広かったため、その地は横田村から金屋町への卸地(金屋町の請地)とすることに定められました。縮尺10間2寸(1/315)国指定重要文化財