射水郡高岡稲荷御社領高申分廻分間等一巻
天保十二年二月廿五日
射水郡高岡稲荷御社領高申分
廻分間等一巻
石黒藤右衛門
1 高岡稲荷御社領高并申分地、今般分間絵図申付
候条、其方中出役、神主関三河守并村役人為立合而
双方申分之趣取しらへ、田畑振分色分を以、絵図相認メ
可指出候、以上、
丑二月 安田新兵衛 印
上月四郎左衛門
高木村
藤右衛門方
測量方
平七方
就右ニ
御改所ゟ御渡之覚書
寛永年中御寄附与申三千歩之地元、
拾弐石五斗ニ当ル地元、
2 近年社地開発いたし候地元、
申分地五百五拾歩与申地元、
〆
右者安田様ゟ御渡之御覚書なり、
寛永年中御寄附三千歩之分、高ニ直拾弐石五斗、
明暦二年包附之御印物被成下置候躰之所、神主
ニ而者三千歩之外ニ拾弐石五斗之よし申立、夫□
少々所謂有之哉ニ相見へ申儀有之、且又申分地五百五拾
歩与申者、村方ニ而者槌宮修覆料ニ附置候よし
之所、神主ニ而者御神料拾弐石五斗之内与申立、
申分ニ相成候旨、右之通ニ付神主并ニ村役人為立会
為致指図、双方申口致齟齬候分者双方申分之通、
両様ニ取しらへ田畑振分絵図相仕立可申旨被仰渡
候事、
右ニ付、射水郡御扶持人并組才許立会方如何与御伺
申上候所、不及夫分間方之者迄指出之趣御達も被
成置、寺社奉行所江も両人御指向之趣被仰遣置
候、尤今般之儀者御席ゟ御指図有之訳之旨被
仰渡候事、
神主ゟ地境之儀口上ニ而承り候而も相分り兼、或者飲込
違等出来可仕哉ニ付、神主ニ縄為張御郡方ゟも相違
之ケ所縄為入候上、取しらへ可申哉与御窺申上候所、尤
3 其通ニ而可然、且絵図見請度旨神主申聞候者、為
見候而も指支不申旨、安田様ゟ御談之事、
附、絵図写遣し候而も不指支、兎角此通ニ而神主申
分無之与申様ニ取しらへ可申旨被仰渡、
神主ゟ指出候 絵図写、
村方ゟ指出候 絵図本紙、
御紙面拝見仕候、益御勇健被成御座奉大賀候、高岡
稲荷御社領地分間方等御用手張都合出来不申
ニ付、御繰合御座候所、当廿五日高岡江指向候儀ニ相成候間、
神主江も申談、立会方不指支様可仕旨、委曲奉承知可
申談奉存候、右ニ付此間御談之通、三河守出府申談置
候得共、遠路之儀故未出府不仕候間、役所江罷出次第夫々
申談否重而可申与奉存候、左様思召可被下候、右貴報
如斯ニ御座候、
二月十三日
御追銀之趣もいさゐ奉承知候、以上、
右者高木村藤右衛門、金沢在住測量方御用平七
御指向之旨被仰遣候御返書也、
巻目之上
安田新兵衛様 三田村佐七郎
4 益御壮健ニ被成御座奉恐賀候、先刻御内状被成下
貴報申上置候後ニ、関三河守出府役所江罷出候ニ付、
此間御示合之趣いさゐ得与申含、且当廿五日測量方
等指向候儀も申談候所、何等も指支之儀無御座候段申聞
候、此段為御承知申上置候、右申上度如斯ニ御座候、已上、
二月十三日
巻目之上 三田村佐七郎
安田新兵衛様
宜天気ニ相成申候所、御勇健被成御座候奉恐賀候、
然者関三河守地元今度見方方被仰付候ニ付、先達而
ケ條書を以、御示合之趣夫々申談候所会得仕候ニ付、
其段則申上置候通ニ御座候、然所重而別紙之通三
河守ゟ申聞候ニ付、入御披見申程之訳も相聞へ不置申候、
右申上度如斯ニ御座候、以上、
二月廿日
5 巻目之上 三田村佐七郎
安田新兵衛様
覚
一、寛永年中御寄附三千歩之地元
一、近年社地開発仕候地元 △
一、拾弐石五斗ニ当ル地元
一、申分地五百五拾歩与申地元
△印ニ下ケ札、此社開発与申儀者、熊野、稲荷、神明宮地
三ケ所開発仕置候分ケニ御座候、
右地元ケ所書を以今般御見分被仰付候ニ付、其砌私儀
立合候様被仰渡奉得其意候、右ケ所之内寛永年中
御寄附
与申三千歩之地面之儀、一ケ所ニ而者無御座候、則八幡社、大木
之宮地之内等ニも、右三千歩之地元相加り居候、尤今度夫々
ケ所御見分可被仰付候儀与者奉存候得共、右申上候通りニ付、
為念此段御達申上候間宜奉願候、已上、
丑二月 関三河守
寺社御奉行所
6 ○五百五拾歩之場所ハ村方ニ而者、字長田与申所田数四枚、
并ニ字ふくべ田与申ケ所田数弐枚、三、四間南之方字
宮田割末与申田壱枚、〆田数七枚之旨申聞候事、
神主ニ而者右宮田割末与申田壱枚ハ、五百五拾歩ニ而者
無之、残り六枚ニ而五百五拾歩之旨、
○右宮田割末ノ田ゟ北之方ふくへ田之南北東字宮田与申ハ、
歩数九百六拾歩ニ而拾弐石五斗之内之旨、神主被申聞候
事、
村方ニ而者、右者上関村御田地ニ而、字宮田与相唱候得共、
十二石五斗之内ニ而無之旨村方鬮田之旨并畑之儀
ハ、字散割ニ相唱同様ニ而、十弐石五斗之内ニ而□而無之
旨、依而竿入申儀不相成旨等、組合頭和助厳敷申出し
分間指留候ニ付、段々申諭候得共承引之躰無之、当
分才許二塚村長松外御用有之等申ニ付、左候得者今
今晩長松共致示談、明朝迄ニ返事可申聞旨和助
申入、次之ケ所江と取懸り、
右ニ付申添候者、御役所之御指図ハ双方申口之通承り
相違之ケ所者、両様ニ取しらへ候様ニ与被仰渡候事故、
只今神主指図之地元私与して分間指省候事ハ、
難相成、尤村方ニも可申筋有之候ハヽ何成とも可承り、
如何様ニも好之通取しらへ可申、右地元之儀ハ神主ニ而
拾弐石五斗之内与被申、其申口之通取しらへ候得ハ、
右地元弥拾弐石五斗之地元ニ候得ハ、是迄神主ゟ
卸付も致し収納も神主へ可被請所、其儀無之
7 村方近年地割之節も神主ゟ何等も不申出、当時
上関村鬮田之内ニ相成候上者、上関村御田地ニ而拾弐石
五斗之地元ニ而無之儀ハ論迄も無之候得共、神主ゟ
案内之地元私与して指省キ可申儀難相成、仮
只今竿入候とて村方ニ而貪着可仕筈ハ有之間敷
旨段々申諭候所、役人一存ニ而難取極同苗等得与
示談之上明日相答可申旨申聞候事、
神主ゟ右九百六拾歩御神領与申儀中頃申出、絵図ニ書
載上置、今度拾弐石五斗之地元案内可致旨ニ被
仰渡候故、被及案内候儀者相見候ハ本文卸付方等
之儀自分共ゟ彼是可及引合筋ニ無之ニ付、任申聞
居候事、
十四ケ庄方用水ゟ東之場所并同続下関村用水
東之場所共、神主ニ而五千歩之内之旨、村方ニ而者
拾弐石五斗之内之旨指図いたし申候事、
但、此所稲荷神明社旧地之旨神主被申聞候、
右場所南之方鷲北用水西縁ニ三、四十歩程之田壱
枚、神主ニ而者拾弐石五斗之内、上関村ニ而者前々湶
分領之旨申聞候ニ付、湶分呼立相尋候所、湶分
領ニ而無之と申聞候ニ付、此儀ハ相分り候事、
8 庄方用水西ゟ神主町迄、当時 屋敷地面ハ神
主ニ而者稲荷神明社地之大門通之則御竿除五千
歩之内之旨、村方ニ而者拾弐石五斗旨、
右南隣当時 屋敷地不残并其南隣
屋下 程拾弐石五斗之内之旨、神主、村方
共同様之申聞也、
神主町西側
屋下ゟ後高段畠之分、五千歩之内之旨神主申聞、
村方ニ而者右地元之内、槌宮境内ハ槌宮社地ニ而
五千歩之内ニ而無之旨、其余者五社屋敷弐千歩
之地元ニ相当り候旨、
右槌宮之前ニ罷在候 屋敷地ハ先年槌
宮社地ニ候所、神主社地支配仕来候内右両人江下し置、
地子米神主へ取立旨村方申聞也、神主ニ而者槌宮
共都而五千歩之内之旨、併槌宮社地之内北之方并
屋下ハ拾弐石五斗之旨、神主被申聞候事、
神主町 屋下ゟ神主墓所之南境ゟ下領田
地子不残押通し槌宮之大門 屋敷并神主町
何某屋敷迄、
神主ニ而者拾弐石五斗之地元之旨、村方ニ而ハ槌宮
9 大門ニ罷在候、 屋敷并神主町
屋敷ハ元槌宮境内ニ候所、前条之通神主支配
中、右人々江下地ニ致、地子米神主江取立候旨、其余
屋敷ゟ下段田地押通し之分ハ拝領地弐千歩之地元ニ
相当り候旨村役人申聞也、
大木之宮高岡大工町ニ有、神主ニ而五千歩之内之旨、上
関村ニ而ハ拾弐石五斗ニ不抱地元ニ而存不申旨、右者下関村
領之中ニ候得共、先前ゟ御竿除故何村領与申儀相知
不申旨、神主被申聞候事、
八幡宮東海老坂村ニ有、神主ニ而五千歩之内申旨、上関村
ニ而者前段同様、神主ニ而者御竿除五千歩之内ニ而、則今度
同ケ條書五千歩ニ其内ニ鬮田旨ニ付分間致候事、
今般高岡稲荷御社領高并申分地五百五拾歩之場所
曁五社拝領屋敷地元分間被成候ニ付、私共罷出領境
御案内申上、夫々御絵図御出来被成候ニ付、今日為御見
被成相違之品も無之哉与御尋被成候得共、御絵図之
儀私共御案内申上候通ニ而、少しも相違之品無御座候、
依而請書上之申候、已上、
10 天保十二年三月朔日
算用聞列上関村肝煎
指加二塚村
長松
上関村組合頭
和助
下関村肝煎当分才許
大野村肝煎
善助
右同断 鴨嶋村肝煎
九郎右衛門
下関村組合頭
嘉兵衛
湶分組合頭
宗七郎
同
甚六
京田村肝煎
次郎右衛門
同村 組合頭
孫三郎
東海老坂村組合頭
喜三郎
同
太兵衛
高木村
藤右衛門殿
測量方御用
平七殿
11 一、三月朔日絵図持参ニ神主関三河守方行
入披見候所、相違無之旨申聞候ニ付、其趣一
書相認メ被指出候様致度旨申述、家来為
持置帰宿致し候所、左之通紙面指越
候事、
今度御社領地巻等御見分被仰付候ニ付、
地元境目等相立合、絵図面致披見申
通相違無御座候、以上、
三月朔日 関三河守 印
分間方御用高木村
藤右衛門様
測量方御用
平七様
12 天保十三年寅九月
一、九月廿八日 天気
朝後和右衛門召連、上関村虎吉方江罷越申候、
夕方平七帰り、手代宗八入夜ニ四郎兵衛帰り、
但、荷物之義、上関村ゟ受取人宅迄遣申候、
一、同廿九日 天気
朝五時ゟ野方江出役、昼八つ時迄ニ境縄相済、尤
海老坂八幡宮ハ相延(残置)申候、
昼七ツ時頃ゟ中川善左衛門方江御奉行所之見舞
ニ罷越申候、笠間七右衛門、宗次郎、北野甚助、下村
源七郎、二塚村又兵衛、各御窺出居申候、
自身、平七早々御乞申上候而、入夜関三河守
方見舞、夫ゟ三田村佐七郎之宿越後屋
見舞候而、辻屋仁兵衛方江立寄候、
13 一、九月晦日 曇天
朝六つ時頃野方江出役、
稲葉様、木村様、三田村様、関三河守、笠間、
寺林外ニ手代、村役人、
昼前ニ拾弐石五斗之地元并拾弐石四斗八升
之地元引渡相済、昼後稲葉様、三田村様
杭打込候迄、右場所江出役ニ御座候、七つ時
頃ゟ湶分之飛地、大工町得正寺与申分
場所見分、夕方稲葉様中川江御帰ニ御座候、
木村様等昼後東海老江出役ニ御座候、
尤平七罷越申候、
暮六つ時頃三田村様之宿越後屋
罷越、御窺御済申候、夫ゟ中川江罷越候
所、木村様与御帰り御座候、夫々御窺申上候、
夜四ツ時頃上関村虎吉方江帰り、
平七ハ中川ゟ三田村様之宿江窺候而、夕方
罷帰申候、
14 十月
一、十月朔日 曇天
朝四ツ時頃上関村出立、自宅江罷帰候而、又候夕方
上関村江罷越申候、
平七者作兵衛、和右衛門召連大木宮社地分間仕候、
一、同二日 曇夕方雨ニ成
朝五ツ時ゟ平七野方江出ル、自身暫ク残り、関三河守殿待合
四つ時ニ相見へ候ニ付、同道ニ論所江出役、高岡地子肝煎
梅染屋嘉平次等罷出、夫々引合も有之候、昼後迄
ニ分間相済申候、
昼後ゟ海老坂八幡宮罷越候所、大門手代忠蔵罷出候、
日暮迄ニ御用相済申候、提灯ニ夜五つ時頃迄帰り、
一、同三日
朝五時頃両人共下絵図ニ取懸り、夕方休メ、
15 一、十月四日 天気
朝六ツ半時ゟ下絵図ニ取懸り、昼後迄ニ墨引相済、自身宅江帰り、
作兵衛金沢江行、
天保十二年二月廿五日
高岡稲荷御社領高廻り分間
野帳
高木村
藤右衛門
天保十二年二月
高岡稲荷御社領地元廻り分間
日記帳
高木村
藤右衛門
1 二月廿五日 天気
昼後四郎兵衛召連、中川善左衛門方江七ツ時頃着、
但、平七者天正寺ゟ来ル、自身ゟ早ク着、
自身高岡伏間江屋甚兵衛方江立寄、蔵米
拾五石余売払申度段頼置申候、
一、磁石者中川善左衛門方ゟ宅江取ニ遣申候、
一、夕方ゟ磁石四郎兵衛ニ為持、かさりや清六方江直し遣
申候、
中川村善左衛門方泊り 下人和右衛門召連、
同廿六日 昼前天気、昼後曇天
朝五つ時中川善左衛門方出立、古城見物仕候所、天保十年
蔵納之籾摺立居申候、ウス六から摺立居申候、組々
ゟ手代壱人宛出居申候、
関三河守与上関村論所初而見分之出役人々、
高木村藤右衛門、越中屋平七、中川善左衛門手代宗八、
上関村肝煎和助 二塚村ゟ肝煎当分指加長松、
2 関三河守、
外ニ竿取人 高木村四郎兵衛并金沢高木屋作兵衛、
又 村百姓中与相見候而弐、三人宛出居候、
昼後分間方ニ取懸り、夕方帰り、
上関村
泊り 虎吉
但、夜中関三河守見舞ニ来ル、
同廿七日 天気
朝五つ時頃論所江出役、昼八ツ時昼帰り仕候、
但、二塚村長松四つ時頃論所江来ル、少々村方ゟ故障
之所置申候、
昼八つ時頃ゟ東海老坂村領之八幡宮有之候ニ付、
しらへ方ニ出役仕候、尤人々
藤右衛門、平七、宗八、大門宗次郎手代次八、四郎兵衛、作兵衛、
并人足弐人、東海老坂村役人曁林左衛門、
関三河守、
〆
但、林左衛門方ニ而休息仕、夜中六つ半時頃虎吉方へ
帰り、尤夜中雨降り、
泊り 上関村
虎吉
3 同廿八日 昼前天気、夕方ゟ雨降
朝六ツ半時頃西広上村四郎右衛門代人、赤祖父村太四郎見舞ニ来ル、
但、朝五つ時頃ゟ大木宮社等分間相済申候、夫ゟ
絵図調方ニ懸り、
同廿九日 曇天
絵図調方ニ取懸り下絵等相済申候、夜中紙ニ地
仕申候、
但、曽谷村文右衛門昼頃来、大門出水之躰ニ而虎吉方ニ止宿
仕申候、
夕方宗八中川江行、
三月朔日
同朝五つ時頃曽谷村文右衛門瑞龍寺拝見ニ行、藤右衛門、平七
草図出申候、粉色相済申候、
四つ時頃宗八中川ゟ帰り、
昼後中絵図相済、神主ニ入内覧候所、此通ニ而
よろし与申旨申聞、猶更右之趣紙面被遣候
4 様申進候而帰り、
但、神主御馳走仕候、勝尾三本宛貰申候、
八ツ時頃虎吉方江帰り申候、
夕方ゟ中川善左衛門見舞ニ来ル、
三月二日 時々雨
昼九ツ時宅江帰り、
文右衛門、平七新庄の江行、
四月十四日、関三河守江東海老坂之図并
高岡大工町大木宮之図、長吉之二男与七郎ニ
為持遣申候、
5 勤日之覚
正月廿五日ゟ三月二日迄
一、七日 藤右衛門
一、七日 平七
一、七日 四郎兵衛
一、七日 作兵衛
〆
天保十三年九月
一、九月廿八日ゟ 和右衛門
一、九月廿八日夕ゟ 四郎兵衛
6 一、九月廿九日 四郎兵衛
一、同 和右衛門
一、十月朔日 四郎兵衛
但、朝早朝ニ帰り
一、同二日 和右衛門
一、同三日 同人
一、同四日 同人
〆七日 内三日 四郎兵衛
四日 和右衛門
7 二月廿五日
入 百目 請取
入 百文 正銭
〆
同廿九日迄
一、七拾弐文 髪結賃
同
一、弐拾三文 煙草
同
一、八匁五分 羽合 和右衛門分
同
一、七拾文 雪平鍋
三月朔日
一、拾弐文 御宮参仕候て一類上ル
九月廿八日
入 弐拾七匁五分 受取
同
一、弐文 膏薬
同
8 一、三拾弐文 あんま
一、六文 わらんし
一、六文 同断
九月晦日
一、四拾七文 あんま
同
一、壱匁 山吹
同
一、壱匁 砂糖
同
一、三百四拾文 唐油
一、壱貫五百八十文 辻屋仁兵衛方
一、弐拾五文 同人使
同
一、弐拾四文 髪結
一、七文 わらんし
9 十月四日
一、八匁六分 上関村
但、相払上申候 虎吉
同
一、壱匁 髪結
〆