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絵図(広域地図) 富山県

御次御用越中より飛州江之通路道筋等絵図方御用留帳

天保七年丙申六月    
   御次御用
     越中ゟ飛州江之通路道筋
     等絵図方御用留帳
         石黒藤右衛門
1   飛州高原郷先般新道出来之   
   処、右道筋其許粗承知之旨ニ
   承候間、粗絵図ニ認可差出、此分も
   御次御用ニ候間可有其心得候、以上、
    六月十二日    広瀬平丞 印
             井上井之助 印
     石黒藤右衛門殿
2   別紙之通、越中ゟ飛州江    
   越候通絵図面ニ認可差上旨、
   於御次御用部屋中被申談
   候間、其心得を以夫々見取
   絵図ニ認、不遅可差出候、
   白木峰村、加賀沢村等ハ
   婦負郡ニ而も候哉、得と相調理
   出来候様有之度候、別紙ハ
3   本紙ニ候間、追而可相返候、以上、
    六月十二日    広瀬平丞 印
             井上井之助 印
     石黒藤右衛門殿
4    御次ゟ御渡覚書    
      越中ゟ飛州江通路道筋
      有之村々、
   越中西赤尾村ゟ飛州小白川村江
   越候道、
   同水無村ゟ飛州牛首村并羽根村
   両所江越候道、
   同白木峰村ゟ飛州二ツ屋村江
   越候道、
   同加賀沢村ゟ飛州小豆沢村江
   越候道、
5   同猪谷村ゟ飛州茂住村并横谷村
   両所江越候道、
   同長棟村并有峰村ゟ飛州江
   越候道筋有之哉、
   右之七ケ所之外茂、越中ゟ飛騨江
   越候小道筋并今般開キ被仰付候
   新道、通路いたし候道筋有之、村々
   境目、山谷等之様子絵図ニしたヽめ、
   其筋々之村方ゟ取立可申事、
     右御覚書之内ニ村名書損
     有之候ニ付、付札を以其上ニ張り上ケ申候、
6   付札    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、越中西赤尾町村ニ御座候、
   同
    一、越中ニ白木峰村と申村無御座候、
      切詰村辺、越中飛州国境ニ白木
      峰と申山御座候、
   同
    一、飛州茂住村并横谷村と
      有之候得共、飛州茂住村并
      横山村之事与奉存候、
     右三枚付札いたし候、
7   今日広瀬平丞様ゟ御紙面
   両通、曁御次ゟ御渡之御覚書
   共都合三品御渡、早速絵図御
   認御指出被成候様、私ゟ可申進旨
   被仰渡候ニ付差進申候間、夫々
   御弁可被成候、尤御紙面等相届候ハヽ、
   其段私方迄御申越被成候、右
   得御意度如此ニ御座候、以上、
    申六月十二日   石崎彦三郎
                金沢ゟ
     石黒藤右衛門様
8   広瀬様等ゟ御紙面両通并    
   御次ゟ御渡御覚書共都合三品
   御添状共壱封御指越被下、今日
   到来慥ニ請取申候、猶更御添状之
   趣委細奉承知候間、御序之節
   宜敷被仰上可被下候、右御報申上度
   如此ニ御座候、以上、
    申六月十四日    石黒藤右衛門
     石崎彦三郎様
         御報
      右返状□□□同日本文手附
      中方へ遣、金沢便り早々相届
9      候様頼遣申候、
      覚
   一、弐枚 越中ゟ飛州へ越候道筋
        絵図、
      覚
   一、越中西赤尾町村ゟ飛州小白川村へ道、
   一、同 桂村ゟ飛州加須良村へ道、
   一、同 大勘場村ゟ飛州牛首村へ道、
   一、同 水無村ゟ飛州羽根村へ道、
   一、同 切詰村ゟ飛州二ツ屋村へ道、
   一、同 加賀沢村ゟ飛州小豆沢村へ道、
       并飛州加賀沢村へ道、
10  一、同 蟹寺村ゟ飛州谷村通り茂住村へ道、    
   一、同 猪谷村ゟ飛州横山村通り茂住村へ
       道并土村へ道、
   一、同 長棟村ゟ飛州佐古村へ道
       并飛州杉山村へ道、
   一、同 有峰村ゟ和佐符村へ道、
       并飛州大多和村へ道、
    〆
   右越中ゟ飛州へ越候通路道筋
   有之村々相しらへ、則絵図相添
   上之申候、以上、
     申七月     石黒藤右衛門
11    御改作方
       御郡御奉行所
      但、七月十二日御次ニ上ケ申候、尤
      広瀬様、井上様等御列座也、
   一、飛州高原郷、先般新道出来之処、
      但、飛州絵図与信州之絵図を以
      瀧川新八右絵図相調申ニ付、
      右新道之義ハ此元ゟ書上不申候、
       申七月十二日