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絵図(広域地図) 富山県

婦負郡御境目しらへ方角附并諸事留帳,岩瀬往来方角野帳

表紙  寛政十一年 
 
    婦負郡御境目しらへ
    方角附并諸事留帳
 
         射水郡高木村
     未五月     石黒藤右衛門
 
   婦負郡御境目絵図御改  
   作御奉行林弥四郎様御廻り之
   節、相調上ケ申候様、下条村
   文左衛門殿等江被仰渡ニ付、私江
   相調可申儀、下条様等被仰渡
   ニ付覚書
 
  一、未五月六日 天気
    朝飯喰候而下条親司様罷出、御案内
    申上候間、青井谷村肝煎次郎兵衛、浄土寺村
    肝煎助右衛門同道ニ而、青井谷村西嶋組境、
    砺波郡中田組境見分仕候、砺波、射水、婦負
    三郡境目三郡塚迄見上り、青井谷村へ
    山ノ中道ゟ罷帰り、上野村孫兵衛方ニ止宿
 
    仕候、尤中飯之義青井谷村飛地西谷  
    権七与申者之方ニ而、青井谷村・為持候弁
    当喰申候、
 
  一、同七日 天気
    次郎兵衛、助右衛門両人同道ニ而、昨日見分口・
    婦負郡御境目上野新村ノ東迄見分
    仕罷帰リ、上野村孫兵衛方止宿仕候、
    中飯之義射水、婦負御境目牛川山与申高キ
    山ノ峰ニテ喰申候、又其北ノ方廿丁計下ニ而高通
    舟ト申至テ高キ山ノ峰アリ、峰松二本アリ、
    是ニテ酒ヲ呑申候、
 
  一、同八日 天気
    右見分野帳を以、下絵図相調申候、
    但、上野村孫兵衛方ニおゐて、
 
  一、同九日 天気、西風少し吹
    右同断、昼前迄下絵図仕候、
    昼過ゟ黒川村領切上使道見分仕候而  
    宅ヘ罷帰申候、
 
  一、同十日 天気
    朝飯喰候而北野村甚作殿へ罷出、
    十二日ゟ御境見分可仕義申上候、北野組絵図
    并東老田村領婦負郡境絵共二枚
    借請申候、夫ゟ下条へ罷出御通り御用
    等相済、昼四つ半時ニ上野新村長兵衛召連、
    右村堤ノ東ゟわし塚村堤、黒河村女堤等
    迄見分仕候、黒河村万一郎方へ罷出中飯
    喰申候而、昼ゟ黒河村領ノ内堤并太閤山
    等見分仕候、上野村孫兵衛方ニ罷越止宿
    仕候、
 
  一、同十一日 雨風ニ而御座候
    九日昼ゟ十日迄見分仕候場所絵仕候、
    則孫兵衛方止宿仕候、
 
  一、同十二日 天気
    朝飯上野村孫兵衛方ニ、夫ゟ上使道中老
    田村領境迄見分、中老田村肝煎善左衛門
    方ニ喰申候而、平沢堤ゟ黒河村領迄婦負
 
    境目見分、黒河新村伊兵衛方泊り申候、  
    〆
  一、  同十三日
      雨降
    朝飯喰申候而、東老田村領之内境
    目追分茶屋迄上使道并花木新
    村領見分仕、東老田村肝煎吉十郎
    方止宿仕候、
 
  一、同十四日 雨降
    昼飯前東老田村ニ而十三日見分之場所
    下絵仕候、昼ゟ願海寺村、野々上村
    領見分、十五日朝迄下絵図仕候、則
    願海寺村太郎兵衛方ニ止宿仕候、
 
  一、同十五日 天気
    朝飯喰候而、大白石村、小杉村見分仕候、下村七右衛門
    方ニ而中飯喰申候、昼ゟ下村、利波新村、
    打出本江村東領見分仕候、則打出本江村
    利兵衛方止宿仕候、
 
  一、同十六日 天気
    昼前、十五日見分村之下絵仕候、中飯
    喰候而小杉新町へ罷出、御通御用相勤申候、
 
  △、同十七日 雨降 御通御用ニ罷出候、  
 
  一、同十八日 雨天
    打出本江村東領見直し、領境指図
    之者所々間違申場有之ニ付、又候
    再見仕、夫ゟ練合村浜境堀切迄見分
    仕申候、利兵衛方止宿仕候、
 
  一、同十九日 曇天
    朝飯喰候而利波新村、打出本江村
    領中へ婦負郡中沖村飛地
    見分仕候、昼過ゟ右見分之
    場所下絵図仕申候、
    則利兵衛方ニ止宿仕候、
    翌廿日朝飯喰候而三十三ケ村へ
    行申候、
 
  一、同廿日 昼前曇天、昼ゟ晴天、北風吹  
    三十三ケ村肝煎久右衛門方へ罷出、
    同道ニ而昼八つ時迄三十三ケ村領、
    中沖村飛地、練合村等境目見分
    仕候、昼飯之義右村飛領鑓ケ崎ト
    申所ニ而喰申候、昼八つ時ゟ針山新
    村肝煎次左衛門方へ罷越、則次左衛門
    同道ニ而境目見分仕申候、廿日之夜
    次左衛門方ニ止宿仕候、
 
  一、同廿一日 天気
    中飯前昨廿日見分之場所下
    絵図相調申候而、三十三ケ村久右衛門
    方へ罷出、右村腰中沖村飛地
    境残し置申場所見分仕申候、
    八嶋村ヘ罷出ゟ海老江村へ出  
    放生津通ニ而帰村仕候、
    尤此元荷物之義八嶋村人足
    を以私宅まて為持申候、
    八嶋村、海老江村、練合村領境
    有之候得共、少し之場所ニて
    三十三ケ村肝煎久右衛門指図ニて
    両村之役人中ハ罷出不申候、
 
  一、同廿二日 天気
    三十三ケ村見残し場并八嶋村、
    海老江村人家之有所等下
    絵図、昼前ニ宅ニて相調申候、
    夫より下条様、北野様へ下絵図
    相済申御案内申上候、
 
          乃六  
    右下絵図壱町  五分、十町ヲ
          十間
    五寸ニ相認申候、依之五寸四方ニ
    東西南北ニ系引仕、下絵図
    相調申候、此儀地理第一之
    秘事ニシテ、余人江口外仕
    間鋪事、仮令御手先十村
    下条文左衛門殿、北野村甚作殿
    等タリト云トモ、只東西南北
    之線引ナリト申上テ、外ニ
    巨細ナル事申間敷事、
 
  △、同廿三日 休 宅ニ罷在申候、  
 
  一、同廿四日
    北野甚作殿ゟ罷越、右絵図
    此方宅ニおゐて相調可申旨
    被仰渡ニ御座候、仍之北野村
    甚作殿之御宅ニ而下絵図之
    通、下条組壱枚、北野組壱枚
    今日ゟ相調懸申候、
 
  △、廿五日
    砺波郡柳瀬村へ定検地奉行
    佐久間新左衛門様、木村左助様
    御普請見分ニ御越ニ付、西広上村
    四郎右衛門同道ニ而御見舞申上候、
 
    扨内日角村領絵図相調申  
    ニ付、上可申哉義申上候所、二塚
    村泊り之時分ニ而も上可申義
    御申ニ付、西広上村四郎右衛門ゟ
    絵図三枚御控上ケ申候、尤右
    絵図之儀四郎右衛門相調申候、
 
  一、廿六日
    北野様ニ而右大絵相調申候、
 
  一、廿七日
    右同断
 
  一、廿八日
    右同断、大絵図弐枚四つ
    時迄相仕廻り申候、夫より  
    御改作御奉行様へ上ケ申小絵図
    相調申候、
 
  一、廿九日
    御改作奉行木梨左兵衛様植付
    御見分、小杉新町寄ニ而御用ニ罷出、
    小杉ニ而中飯喰申候、
    昼ゟ北野様へ罷出、砺波郡中田組
    之絵図ヲ小絵図ニ調替ヘ、射水郡
    之小絵図ニ次足、中田、下条、北野
    三組壱枚相仕立調申候、
 
  一、六月朔日
    北野様御控大絵、下条、北野両組
    弐枚并御改作所上り壱枚、
 
    同御控壱枚、都四枚出来  
    仕申候、
 
  一、同二日
    右四枚ノ絵持参仕、下条様へ
    御目ニ懸ケ申候所、此方控
    下条、北野、中田三組下大絵
    図三枚并御改作所へ上り
    絵ノ控、都合四枚共可指出
    旨被仰聞候、右同様ノ絵
    図持帰り、四日ニ北野様へ上ル、
 
  一、同五日ゟ十五日迄之内
    下条様御控、下条組、北野組、
    中田組大絵壱枚宛、上り絵  
    図壱枚、都合四枚并
    此元控右之通四枚、
    惣合八枚絵図書写
    仕候、
    右日数十一日之内二日
    他用ニ罷越、残而九日
    相懸り申候、
    右絵図山田鳥子紙ニ而
    書写申候、下絵図ヲ
    右本絵図之上ニあて
    上よりすき写口伝ニ
    御座候、
 
  一、六月廿二日、右絵図四枚  
              下条村
    文左衛門殿へ指上ケ申候、
   〆 已上、
 
     覚
  一、十六日  五月六日ゟ廿三日迄之内
     右婦負郡御境両組共村々役人中
     ゟ夫々指図を請候而、境目相廻り
     見分之処、右村々之内ニ而止宿仕、下
     絵図相調申候、
  一、六日   五月廿四日ゟ六月一日迄之内
     右下条組分絵図壱枚、北野組
     分絵図壱枚、中田、下条、北野三組
     惣絵図弐枚、都合四枚、北野様  
     御宅ニて相調、北野様へ上ケ申候、
  一、四枚  下条組分絵図 壱枚
        北野組分絵図 壱枚
        中田組分絵図 壱枚
        三組惣絵図  壱枚
     右私宅ニ而相調指上ケ申候、
   右当夏、婦負郡御境目絵
   図相調候時分、日数御尋ニ付
   書上ケ申候、已上、
     未十二月
             高木村
               藤右衛門(花押)
     下条村
       文左衛門様
 
  一、四拾三匁   銀子 
     下条村文左衛門様ゟ料銀
     被仰付候、未十二月十三日
     御渡御座候、
  一、四拾三匁   文丁銀
     北野村甚作様ゟ料銀
     被仰付候、未十二月廿五日
     為持被下候、
    〆八拾六匁 銀弐枚也