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絵図(広域地図) 富山県

御絵図方御用日記帳

表紙  天保九年戌十月    
   御絵図方御用日記帳
        高木村
         藤右衛門
 
1  一、御本陣ゟ高札迄間数    
  一、往来ゟ村々江入口道并間数調理
   方之儀
             有
  一、神社、仏閣名之事、所之事
  一、所々ニ而山見当
  一、道番、橋番、川越
  一、枝村之事
  一、御鷹野場所
  一、御廻り道
  一、婦負郡ニ而かんとうの宮、赤井川
   歩渡り之事
 
2       覚    
   一、十月十二日 新開発村泊り
   一、同 十三日 打出本江村泊り
   一、同 十四日 願海寺村泊り
    〆
   右私儀砺波郡境ゟ婦負郡境迄、
   御絵図方為御用相廻候間、為手
   伝縄張人壱人御出可被下候、尤村々
   往来筋
   役人中之内壱人、外ニ人足壱人、
   領切罷出候様御談可被下候、以上、
    戌         高木村
     十月七日       藤右衛門 印
      折橋善兵衛様
      寺林瀬一郎様
      斉藤庄五郎様
    後 南善左衛門様
    前 折橋甚助様
 
3    追而縄張人、当十二日朝四つ時迄ニ    
    横田村迄御出可被下候、以上、
 
     但、右之紙面十月七日、小杉御出役所
     年寄中寄合之席ニ指出候所、折
     橋氏ゟ申聞候ハ、縄張人之儀者
     此元ゟ申遣呉候様申聞候、尤四日
     曽根村次郎右衛門ニ而も召連呉様
     申聞ニ御座候、
 
   御絵図方為御用、当御郡横
   田村ゟ打出本江村等迄相廻り候間、縄
   張人手伝として貴殿相同シ申候
   間、十二日弁当持参ニ而、朝五つ時此許宅
   迄可被罷出候、此趣折橋善兵衛殿ゟ
   貴殿召連候様申聞ニ御座候、以上、
     戌         高木村
      十月九日      藤右衛門
       四日曽根村
          次郎右衛門殿
 
4    追而日数二、三日之事ニ御座候、以上、    
     但、村送りニ遣申候、
 
       覚
   一、十月十五日 東岩瀬村泊り
      但、同日富山ゟ帰り
   一、同十六日  滑川村泊り
   一、同十七日  上村木村泊り
   一、同十八日  三日市村泊り
   一、同十九日  舟見村泊り
   一、同廿日   泊り町泊り
    〆
   右私儀御絵図方為御用、其御郡
   往来筋相廻り候間、村々役人之内壱人、
   外ニ人足弐人領切出候様御談可被下候、
   縄張人等入用之ケ所ハ、其場所先ゟ
   御断申上候、且戻り往来相懸り候ケ所ニ
 
5   ケ所ハ追而泊附等御相談可申上候、右之 
   趣御同役中様御相談可被下候、以上、
    戌十月九日     高木村
               藤右衛門
      金山十次郎様
     但、下村ゟ送り、
 
   私儀射水郡、新川郡等御絵図方為御用、
   当十二日相廻申ニ付、為御案内申上候、以上、
              高木村
    天保九年戌十月     藤右衛門 印判
    御郡
     御奉行所
 
     但、御改作方御郡御奉行所ハ右同様之文
     言ニ相調、吉田屋小右衛門方ハ添書仕候而
     壱封ニ認メ、小杉御出役所御届被下
     候様、山本屋新六へ頼置候、
 
6     十月十二日 西風雨降   
   朝五つ半時宅出立、四日曽根村次郎右衛門
   召連、         下人竹次郎
   横田村万九郎方江正九つ時着仕候、
              横田村
           昼    万九郎
   礪波郡境江罷越候得共、風雨高ク
   磁石も立不申、高岡瑞龍寺、繁久
   寺通り往来江罷出候、夕方新開
   発村江着、
              新開発村
         泊り     半四郎
     但、大門新町祐次方江立寄、土合村
     善蔵方祝義之義夫々相談仕候、
     宜敷取計呉候様申□置候、
      但、宅江之紙面壱封認メ、
 
7     十月十三日 雪降   
   朝五つ時新開発村出立、昼七つ時頃
   打出本江村江着仕候、
    但、下村源七郎方江立寄候而暫ク咄居候、
    雪降候故甚難成仕候、
    本江村ゟ海老江村弥三八方江鳥渡
    人被使候、留主之様子ニ申聞候、
    夕方願海寺村役人見舞ニ来ル、
             打出本江村
             泊り   孫三郎
 
     十月十四日 天気
   朝五つ時頃打出本江村出立仕、利波新
   村境ゟ婦負郡八幡村八幡宮之前、
   富山江御廻り道追分迄手分間仕候、
   帰り、
              大手崎村
              昼  庄兵衛休
 
8   願海寺村江七つ時頃着仕候、  
           願海寺村
         昼   太郎兵衛
     但、願海寺村太郎兵衛之先祖者、同村領
     之内古城主  入道之家老職
     草野大学与申者之由、今ニ蔵之
     二階ニ大小有之、大ハ金光、小正逢ニ而
     少々書物も有之由、
 
     十月十五日 雨降
   朝四つ時頃願海寺村出立、福畑村之
   寺江立寄、富山舟橋東爪ニ而中飯
   仕候而、
    婦負郡、新川郡之境ゟ中嶋村
    之前ゟ東岩瀬村江着仕候、
   夜中黒崎屋甚蔵方見舞候処、甚蔵
   留主、金山十次郎殿逢絵図方等之義、
   夫々咄仕候而帰り、
 
9            東岩瀬村下村屋  
             泊り  義兵衛
   東岩瀬村田地方朝四つ時頃出立仕、御
   役所之越ゟ大村通り西水橋舟渡
   場迄直ニ相通り、滑川村江七つ時頃
   着仕候、
              柳はしや
     十六日  泊り      勘兵衛
     但、高月、領家村ゟ役人見舞
     来り、
 
     十七日
   朝四つ時頃滑川村出立、上村木村ハ
   宿家無之ニ付、下村木村江願遣候旨ニ、
              下村木村
            昼泊   九兵衛
 
10    同十八日 天気   
   一、長六寸五分
   一、幅三寸
   朝四つ時頃下村木村出立仕、田家新村ゟ宮
   野御小屋罷越候処、河合清左衛門様御詰
   合ニ付、今般之手絵図等之儀御伺申上候
   処、孰ニも今晩より上月四郎左衛門も此処
   罷越候間、夫迄見合居候様申聞ニ付、御小屋
   ニ休メ居候、神保嘉一郎殿、野嶋久兵衛殿、
   泊り町小一郎、中新村覚右衛門忰嘉六郎
   相詰居候、
     但、夕方上月様御出ニ付、夕五つ時頃ニ
     絵図御伺申上候処、長六寸五分、幅三寸
     ニして紙入之内江入ル候様申聞ニ御座候、
     尤御改作所之分仕度候間、其心得ニ
     而出来呉候様被仰渡、且又河合清左衛門
 
11    壱通入用之旨被仰聞候、    
     分間絵図ニして手本折ニ仕候事、
     壱郡壱冊宛ニして表紙を付申事、
   夜五つ時過宮野御小屋出立仕、神保
   嘉一郎同道ニ而三日市村箱屋方ニ泊り、
         泊り   三日市村
     十八日之昼、宮野御小屋ニ而仕候、
 
       道程
   一、弐里    三日市村ゟ魚津迄
   一、壱里廿七丁 三日市ゟ浦山迄
   一、弐里半   三日市ゟ入膳迄
   一、一里十七丁 浦山ゟ舟見村迄
 
12    十月十九日 天気  
   朝五つ時三日市村出立仕、浦山村ニ昼仕候、
   昼八つ時頃舟見村着仕候、伊東彦四郎殿江
   廻文無之由ニ御座候、
 
13    十月十九日 天気   
   昼八つ時頃舟見村江着仕候、御本陣太郎右衛門
   方見舞候処暫ク咄仕候而、立山之絵図
   壱枚、信州新道之絵図壱枚旅宿迄
   かりよせ見□候、
        境足軽
          江上平七郎
        宮崎茶屋
          清五郎
 
     十月廿日 夕方迄雨降
   朝四つ時頃舟見村全蔵出立、四つ時
   過時泊町茂左衛門方立寄、御用方之義夫々
   申入候処、承知之旨ニ而申訳仕候、
           泊町
        昼    茂左衛門方
   昼八つ時頃宮崎村江着、泊町茂左衛門
   ニ越後方行申事相談仕候処、
 
14  孰ニ茂夕方返事可仕候旨申聞候、  
            境足軽
         夕方   伊上平七郎
              宮崎村
           一向宗 妙光寺
       嘉嶋明神
           大宮司 藤太夫
 
15
15   北極高度三十七度よはし  
 
16 十月廿一日 西風   
   朝六時頃泊り町村人足、宮崎村忠右衛門
   方立寄、夫ゟ同道ニ而境足軽
   伊上平七郎方立寄、暫ク咄仕候所、
   表向与力柴野甚助方江招候テ
   之上ニ而通り、尤伊上氏ゟ御関所江
   人足附ル、
朝五つ時頃境川越瀧戸之茶
   屋ニ而休メ、利波ニ而昼、
   越後国青海江昼七つ時頃着、
            青海油屋
               辰右衛門
 
17  十月廿二日夜 沼保茂左衛門宅ニ而  
   北高三十八ト
   三十八ト計
 
18     四つ時  
   北極高
      三十七度七分
      図
 
     十月廿二日
   朝六つ時頃青海辰右衛門方出立、
   夕方泊町茂左衛門方江着仕候、
 
19    十月廿三日 天気  
   朝五つ時頃茂左衛門方出立、昼九つ
   時頃入膳町江着仕候、
        昼  入膳町
   夕方宮野御小屋着仕、尤下宿
   山田新村次郎助方ニ仕候、
     但、夕方上月様、河合様御両様江
     御伺罷越候処、河合様ゟ内分ニ而
     被仰聞候ハ、高方作徳米之儀ハ
     暫ク見合、御年貢相済候迄見合
     候様被仰聞候、作徳米之儀も
     急度為とら候間、此段親司ニ
     早速申入候様被仰談候ニ付、御乞
     申上候、
     年寄溜りニハ金山、神保等有合
 
20    御乞仕候而、五つ時頃次郎助  
     方江帰り、
           山田新村
          泊り   次郎助
          但、自分泊り也、
 
21  一、十月九日、十日  故藤右衛門野帳写ニ取懸り   
   一、
    十月十二日ゟ同廿四日迄
   一、十三日         竹
    同十二日ゟ十四日迄    四日曽根村
   一、三日             次郎右衛門
 
22  十月九日   
  一、三帖         紙 宅ゟ出ス
     代
   同十一日
  一、壱丈         紙 宅ゟ出ス
     代
 
23              △印 宅ゟ取  
   十月十一日       
    △入 三両也
    △入 六拾目     御印紙
    △入 壱匁也
     入 三匁      藤右衛門分
     入 弐百文     藤右衛門分
   十月十二日
  一、三文         暦壱枚
   同
  一、弐百八拾八文     新開発村飯等計
         但、三人分
   同
  一、百弐拾文       砺波郡境ゟ新
               開発村迄
   同十三日
  一、三拾文        新開発村ゟ
               戸破村迄
   同
  一、八拾文        戸破村北ゟ
               打出本江村迄
 
24  十月十三日夕  
  一、弐百四拾文      酒壱升代
  一、六文         わらんし
  一、拾文         畑草代
   同
  一、弐百八拾八文     打出本江村飯代
    一、拾匁  同十三日
    一、弐百文 同十三日
   同十七日
  一、百八文        人足賃
  一、三拾文        大手崎村、願出寺村
               迄人足賃
     十五日
    一、壱朱       願海寺ニ渡
       代
  一、弐百八拾八文     願海寺村之飯
  一、百文         富山ニ酒代等
  一、弐拾四文       蝋燭代
   十五日
 
25 一、百文         山田紙  
   同
  一、九拾四文       願海寺村ゟ
               富山迄人足
   同
  一、百四文        富山ゟ東岩瀬
               迄人足
   同
  一、拾五文        酒代
   同
  一、百文         煙草代
       同十七日
      一、五匁
  一、弐百拾文       滑川村飯代
  一、拾弐文        滑川ゟ中川原村迄
               人足賃
       同十八日
      一、拾匁  下村木ニ而渡
   同十八日
  一、弐百拾文       下村木村飯代
  一、百八拾文       東岩瀬村ニ而
               酒代落歟
 
26      同十八日  
      一、弐匁     下村木村ニ而竹江渡
   同十九日
  一、弐百拾文       三日市ニ而飯代
  一、百拾文        諸々ニ而人足賃
   同廿二日
  一、壱朱         宮崎飯代等
   同
  一、金壱歩        越後返路銀
     代 壱貫五百文
  一、弐百八十九文     舟見村飯代
  一、拾文         かき
   同廿三日
  一、金壱朱        山田新村次郎助
     代              飯代
   同廿四日
  一、九百五拾七文     三日市村ゟ
               高木村迄人足
   同廿三日
  一、弐百七拾文      泊町ゟ三日市村迄
   同           等
  一、五拾文        小遣銭
  一、弐拾文        同断