庄川筋砺波郡金屋岩黒村領端より弁才天迄絵図定検地御奉行木村左助様より至テ内密ニ而相調申ニ付諸事留帳,分間絵図野帳
表紙
寛政十一年
庄川筋砺波郡金屋岩黒村領渦
ゟ弁才天迄絵図、定検地御奉行
木村左助様ゟ至テ内密ニ而相調
申ニ付、諸事留帳
未六月廿二日 高木村藤右衛門
西広上村四郎右衛門
1 庄川筋砺波郡金屋岩黒村領
渦(マキ)ゟ弁才天前迄庄川、千保川
絵図可相調可申、至テ御内分
ニ而木村左助様ゟ被仰渡ニ付、
諸事覚
一、六月廿二日 天気
庄川筋金屋岩黒村領渦ヨリ弁才天
前迄絵図可相調儀ニ付、相談申
度与鍋屋五郎右衛門ゟ紙面到来仕候、
一、同廿三日 天気 金沢
鶴屋平吉方泊り
両人共金沢へ罷越、鶴屋平吉
方ニ止宿仕、夕方鍋屋五郎右衛門方罷
2 越候所、木村左助様ゟ右川筋
庄川、千保川、四分六分取分度、
御内談有之ニ付、右川筋堀分候
時ハ、右場所絵図御入用ニ付、至テ
内密之事ニ御座候、明日七つ時頃
木村様へ罷越、逐一可承り由申
聞候、
一、廿四日 天気 鶴屋平吉方泊り
昼七つ時過、五郎右衛門同道ニ而木村様へ
罷越候所、右場所絵図砺波郡ゟ
取置申候所、此元見分仕候ニ間違之
ケ所有之候間、其方共右場所見分
仕、大抵之所密々ニ而見分仕、絵図
相調可申由御内談御座候、仍而
右場所之義ハ遠路之所、殊ニ未タ高
3 地之様子も相知れ不申候間、金屋村
平助与申者之方、内分紙面申遣候
間、此者ニ案内為致可申由、鍋屋
五郎右衛門申聞候、則平助方へ之紙面、
翌廿五日ノ朝両人へ相渡申候、
扨又、木村様御宅ニて御馳走ニ預り
申候、
一、同廿五日 天気 西広上村四郎右衛門方ニ止宿
朝五つ前金沢出立仕候、
一、同廿六日 雨降 同人方泊り
此日藤右衛門義嶋、中川、横田へ土用
見舞ニ罷越申候、四郎右衛門右場所
絵図木村様御渡有之候ニ付、写取
申候、
4 井波三日町
一、同廿七日 雨降 能美屋喜市郎ニ泊り
朝五つ時頃、金屋岩黒村平助方へ
罷越候、則鍋屋五郎右衛門方ゟ之紙面
相渡申候、右場所平助同道ニ而川
筋見分仕申候而、井波能美屋喜一郎
方ニ泊り申候、
一、同廿八日 時々雨降 同人方ニ泊り
昨廿七日見分之所、下絵図仕候、
六月小
一、同廿九日 天気 同人方ニ泊り
川筋并岡段高低ヲ再見仕候、
并野尻用水江ノ北ノ方川除等ヲ
見分仕候、
5 一、七月一日 天気
喜一郎方朝五つ時出立仕、庄川
東縁舟渡場ゟ弁才天宮迄見分
仕、両人共夫ゟ中野村へ川越仕候、
太田村通りニ而帰村仕、宅々ニ
泊り申候、
一、同二日 高木藤右衛門方泊り
一、同三日 同
一、同四日 同
一、同五日 西広上村四郎右衛門方泊り
右四ケ日之間、高木村藤右衛門方
ニおゐて絵図出来仕候、
6 津幡
一、同六日 雨降 浜屋権七方泊り
五日之夕四郎右衛門方罷越止宿仕候、
夜半頃出立、六日之朝明六つ時、
金屋岩黒村平助方へ罷越、
先達而見分之場所高低之所、
平助同道ニ而再見仕候、
四つ半時頃右村出立仕候、
暮六つ時頃津幡へ着仕、浜屋
権七方泊り、
一、同七日 天気 金沢
鶴屋平吉方泊り
四つ時金沢へ罷越、末寺等
参詣仕候而、七つ時頃鍋屋五郎右衛門
7 方へ罷越、右絵図夫々咄申候
所、朝五つ時頃木村様罷越候
様申談候、
一、同八日 天気 同人方泊り
朝五つ時、木村左助様御宅へ
罷出、右絵図大小二枚上ケ申候
而、夫々御指図申上候、且又、
先達而御渡之絵図も上ケ申候、
夫ゟ定検地御奉行様方へ
御見舞申上候、
一、同九日 昼前村雨
8 朝六つ時金沢出立、今石動ゟ
舟ニ而和田へ上り、夕方村帰仕候、
尤、四郎右衛門義中川様御見舞申上候、
百間
右絵図分間四寸也相調申候、
外ニ小絵図相調申候、是ハ百間
壱寸六分ニ相調申候、
9 藤右衛門
四郎右衛門遣銭
六月廿三日、廿四日
一、八百文 金沢
鶴や平吉宿賃
同廿七日、廿八日、廿九日
一、壱貫弐百文 井波
能美や喜一郎方宿賃
七月六日
一、四百文 津幡浜屋権七方宿賃
同七日、八日
一、八百文 金沢鶴や平吉方宿賃
一、壱貫七百六十九文 絵図之絵野具
代等、其外諸事
小遣入用
〆四貫九百六十九文
内
弐貫四百八十四文 四郎右衛門当り
弐貫四百八十五文 藤右衛門当り