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絵図(広域地図) 富山県・石川県

御内御用方金沢出府御用方覚帳

(表紙)  
「 文政五年壬午二月
 御内御用方
 金沢出府御用方覚帳
      石黒藤右衛門 」
 
   金沢出府御用日記   
一、午二月廿三日  天気西風
 早朝宅出府、福岡町茶屋ニ而
 中飯喰、夫ゟ矢部村、西宮森村、
 水落村等ゟ芹川村往還道迄、
 七つ時迄相廻り申候ニ而、今石動
 へ着、但嶋村吉兵衛早朝罷出候
 ニ付召連申候、
    今石動町斉藤屋
         久兵衛方泊り
一、同廿四日  天気
 早朝今石動出立、九つ半時頃
 金沢へ着、
 一、千羽彦大夫様へ罷上り、高岡
  古御城外湶分領境絵図等
  上り申候、
 一、田辺吉兵衛様御宅へ罷上り、
  御案内申上候、絵図之義ハ逗留    
  中指上可申旨申上候、罷帰申候、
    金沢十間町和泉屋
          猪右衛門方泊り
一、同廿五日  天気
 御役所へ出府御案内罷出申候、
 但御用番浅加伊織様、長谷
 川三右衛門様御宅へ御見舞ニ罷上り、
 名札上り申候、
 金谷様御宅へ御見舞申上候、
 則御会被成、来月十日頃
 小杉御出役へ御交代等之義
 御咄被遊候、
 遠藤数馬様御宅へ御見舞ニ
 罷上り申候、明廿六日朝ゟ昼前迄
 罷出候様御申聞ニ御座候、
 西村太冲殿宅へも見舞申候、    
一、同廿六日  天気
 朝五つ時頃日下氏旅宿へ
 相見、同道ニ而遠藤様御宅へ
 罷上り申候、今度金沢町御
 絵図遠藤様御主附被仰付、
 昨廿五日御城外廻り分間下
 役人中被致候、右下絵図等
 引被申候ニ付、此元義何角
 相談御座候、且又磁石台之
 かんとう輪鉄ニ而拵候ニ付、
 磁石方位七、八度程宛間
 違申候所見出申候、尤右
 下絵図も合不申候、
 右台ニ而遠藤殿屋根ニ而諸方
 見申候処、台東西南北与置
 直し候毎ニ支分違申候、
 かんとう輪赤銅ニ而拵申台    
 ニ而諸方見申候処、何レも
 違不申候、昨廿五日見申場
 所之義ハ、重而其辺見申
 時分見直し申事ニ下
 役人中相談被致候、昼
 八つ時頃旅宿へ帰り、
 一、砺波能美江沼三郡下
  絵図、田辺殿へ内覧ニ入申候
  而預ケ申候、
 一、夕方ゟ日下氏宅へ見舞、
  夜五つ半時迄ニ咄合申候、
  旅宿へ帰申候、
一、同廿七日  天気   
 一、朝五つ半時頃ゟ沢田義門様
  御宅へ御見舞申上候、暫ク御咄御座候、
  尤鏡面ノ算法壱枚上ケ申候、
 一、昼後ゟ絵具并天具定
  紙等買ニ町へ出申候、
 一、夕方ゟ河野久太郎殿方へ
  罷出申候、真数八線表
  写請取申候、且金子壱歩
  写料として中勘預ケ申候、
一、同廿八日  大雨ふり
 早朝千羽彦大夫様御宅へ
 罷上り、湶分出役入用書上
 方之義御尋申候所、湶分
 宿壱泊り三匁五分宛書出シ
 可申旨被仰候、則手附棟取   
 小右衛門ゟ請取書指出次第、
 御渡被成旨御申聞ニ御座候、
 一、田辺様へ罷出、此間上ケ置申
  絵図御渡御座候ニ付、御暇
  申上候、
 一、四つ半時頃御役所へ罷出、
  御暇申上候、
 一、河北、石川両郡金沢廻り
  村之内、金沢付之村無家ニ
  候哉与所々田井村次郎吉等へ
  相尋申候、
 一、遠藤様へ御暇乞ニ罷出候
  所、御逗留ニ御座候ニ付、手塚
  甚五右衛門へ暇乞之義御序    
  被申上呉候様申談候、
 一、嶋村折橋善兵衛金沢出府、
  太田村ニ出会申候、
 一、昼八つ半時頃金沢旅宿
  和泉屋猪右衛門方出立、
  七つ半時過津幡へ着、
      河合屋
         理右衛門方泊り
一、同廿九日  雨風烈し
 早朝津幡出立、高岡横田端茶屋
 ニ而中飯、七つ時過帰宅いたし、
 嶋村吉兵衛義宅へ戻り申候、
 高岡錺屋清六方へ立寄、    
 大小磁石針早速拵金沢
 遠藤様へ上ケ申候様申談候、
 高岡大工源五郎方立寄候所、
 源五郎有合不申ニ付、内所へ
 十間鎖縄并棒弐本早速拵
 申様申談置候、
  〆
   但、午二月廿三日ゟ同
   廿九日迄、数日七ケ日
   〆
  
    金沢出府入用    
二月廿三日
一、六百文    鳫壱羽 高岡ニ而
一、拾五文    福岡茶屋
一、五文     芹川茶屋
一、弐百五拾文  鰹ふし九本 目百四拾目
               一八かへ
一、六拾七文   立野ゟ今石動迄 
         人足壱人 酒代共
一、五百文    今石動斉藤や
           久兵衛宿賃
一、三百七拾文  今石動ゟ津幡迄
             かこ 酒代共
一、六拾六文   今石動ゟ竹橋迄
              人足
一、三拾文    くりから茶や
一、拾文     津幡茶屋    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、六文     わらんし壱足
一、十六文    金沢ニ而そり
一、拾弐文    風呂ちん
一、三拾壱文   八寸紙壱帖
一、三百拾文   笠弐かへ
一、百七拾六文  胡麻弐升
一、百廿文    小くわし
一、百八拾文   ひんつけ三十
一、壱貫百文   天具定紙八折
一、九文     蝋燭壱丁
一、拾四文    わらんし弐足   
一、五拾文    丸印并肉共
一、壱貫百五拾文 胸当せつたへ
一、金壱歩弐朱    筆并 
  代弐貫四百九拾文 絵具品々
            墨屋次助
廿四日ゟ廿七日夕迄
一、弐貫文    和泉屋猪右衛門
          四泊り宿賃
一、五百文    茶代
一、百文     下女
同廿九日
一、拾弐文    わらし弐束
一、五百文    河合屋理右衛門方宿料   
一、三百五拾文  かこ賃
一、七拾四文   人足ちん
一、三拾文    右かこ并人足三人
            酒代
一、弐拾文    くりから茶屋
一、七文     竹橋前坂茶屋
一、廿文     今石動茶屋
一、六文     わらんし壱足
一、拾弐文    同   弐足
一、三拾五文   横田端茶屋
一、四拾四文   上之ろうそく
         今石動ニ而壱包
 〆拾壱貫弐百八拾七文
   内   
    壱貫文   銭
    五百文   手形高岡分
   同廿三日
    八百三拾文 南鐐壱片 今石動
   同廿七日
    壱歩弐朱  金壱歩弐朱
     代弐貫四百九拾文  墨屋次助
   同
    壱歩金   金沢ニ而買
     代壱貫六百五拾文
   同廿八日      
    金弐歩弐朱     同
     代四貫百五拾文
   同廿八日夕
    南鐐壱片  津幡
     代八百拾七文
   〆拾壱貫四百三拾七文
 指引〆
   百五拾文  過
  
一、六月廿九日宅出立、和田新町ゟ   
 北嶋村、石塚村等ゟ本保村出、夫ゟ
 荒又往還へ出、
    今石動斉藤屋久兵衛方
    泊り
 同晦日金沢へ出府、新開方
 免願并道程しらへ方御用
 等相仕廻り、七月五日金沢出立、
 今石動斉藤屋ニ泊り、翌
 六日帰村仕候、
     家来ハ
      嶋村吉兵衛召連、
 右金沢逗留中日記、新開  
 免附見分日記帳ニ書記置
 申候、
 
一、壱貫文   銭   
一、五百文   手形
一、弐朱    壱つ 今石動
   代八百三拾文
二月廿七日
一、壱歩弐朱     墨屋次助

一、壱歩
   代壱貫六百五拾文
同廿八日
一、金弐歩弐朱
   代四貫百五拾文
 
一、日下氏ゟあつらいノ   
  くさり早速被致申事、
一、遠藤様磁石ノ目鏡、
 かさりやゟ早速上ケ申事、
一、同磁石針かけかい、錺屋ゟ
 被致上ケ申事、
一、暦象考成表写本之義、
 日下氏等ヘ頼ミ為写可申旨
 相談いたし候、  

金沢出府御用日記
一、午二月二十三日  天気 西風
 早朝家を出立し、福岡町の茶屋で
 昼飯を食べ、それより矢部村、西宮森村、
 水落村等より芹川村の往還道(北陸道)まで
 四時までに廻り、今石動
 に到着。ただし、嶋村吉兵衛が早朝から来た
 ので召し連れました。
   今石動町の斉藤屋久兵衛方に宿泊。
一、同二十四日  天気
 早朝今石動を出立し、一時ごろ
 金沢に到着。
 一、千羽彦大夫様をお訪ねし、高岡
 古城外の湶分領境絵図等を
 提出しました。
 一、田辺吉兵衛様宅に参り、
  到着のご案内を申し上げました。絵図については金沢滞在
  中に差し上げると申し上げました。帰りました。
    金沢十間町の和泉屋猪右衛門方に宿泊。
一、同二十五日  天気
 役所へ出府をお知らせするため参りました。
 それで、御用番の浅加伊織様、長谷
 川三右衛門様宅に参り
 名札を上げました。
 金谷様宅をお訪ねしたところ、
 お会いになられ、来月十日ごろ
 小杉新町の出役を交代することなどについて
 お話しになられました。
 遠藤数馬様宅に参り
 ました。明二十六日朝より昼前まで
 出て来るようお話になられました。
 西村太冲殿宅も訪ねました。
一、同二十六日  天気
 朝八時ごろ日下氏が旅宿に
 お越しになり、一緒に遠藤様宅に
 参りました。このたび金沢町の御
 絵図事業の主附に遠藤様が仰せ付けられ、
 昨二十五日金沢城の外廻りの測量が下
 役人たちによって行われました。この下絵図等の
 作製に当たり、私にいろいろと
 ご相談なされました。また、磁石台の
 強盗の輪が鉄で作られていたので、
 磁石の方位が七、八度程ずつ異
 なっているところを見付けました。もっとも、この
 下絵図も合致しません。
 この台を使って遠藤殿の家の屋根であちこちの方位を
 調べたところ、台を東西南北と置き
 直すごとに方位が異なりました。
 強盗の輪を赤銅で作った台
 で方位を調べたところ、いずれも
 異なることはありませんでした。昨二十五日測量した場
 所については、もう一度そのあたりを調べる
 ときに見直すことにすると下
 役人たちが相談されました。昼
 二時ごろ旅宿へ帰りました。
 一、砺波・能美・江沼三郡の下
  絵図を田辺殿へ内々にご覧に入れ、
  預けました。
 一、夕方より日下氏宅を訪ね、
  夜九時まで話し合い、
  旅宿へ帰りました。
一、同二十七日  天気
 一、朝九時ごろより沢田義門様
  宅にお伺いしました。しばらくお話をなされました。
  そして鏡面の算法一枚を差し上げました。
 一、昼過ぎから絵の具と天狗状
  紙等を買いに町へ出ました。
 一、夕方より河野久太郎殿方を
  訪問しました。『真数八線表』の
  写しを請け取りました。とりあえず、金子一歩を
  写し料の一部として預けました。
一、同二十八日  大雨降り
 早朝千羽彦大夫様宅に
 参り、湶分への出役経費の書き上げ
 についてお尋ねしたところ、湶分の
 宿料は一泊につき三匁五分ずつ書き出す
 よう仰せられました。手附棟取
 小右衛門より請取書が出され次第、
 すぐにお渡しになられるとのことでした。
 一、田辺様を訪ね、この間提出した
  絵図をお渡しになられたので、お暇
  申し上げました。
 一、十一時ごろ役所へ参り、
  お暇申し上げました。
 一、河北、石川両郡の金沢周辺の
  村のうち、金沢近隣の村は家がない村
  ですかと、あちこちの村について田井村次郎吉等へ
  尋ねました。
 一、遠藤様へお暇乞いに参上した
  ところ、お留守なので、手塚
  甚五右衛門へ暇乞いをついでのときに
  申し上げてほしいと伝えました。
 一、嶋村の折橋善兵衛が金沢に出府。
  太田村の者に出会いました。
 一、昼二時半ごろ金沢の旅宿
  和泉屋猪右衛門方を出立、
  四時過ぎに津幡へ到着。
    河合屋理右衛門方に宿泊。
一、同二十九日  雨風烈し
 早朝津幡を出立、高岡横田端の茶屋
 で昼飯、三時過ぎ帰宅しました。
 嶋村吉兵衛は家に戻りました。
 高岡の錺屋清六方へ立ち寄り、
 大小の磁石針を早速作って、金沢の
 遠藤様へ差し上げるように言いました。
 高岡の大工源五郎方に立ち寄ったところ、
 源五郎はその場に居合わせなかったので、妻に
 十間の鎖縄と棒二本を早速作る
 ように申し置きました。
  〆
  但し、午二月二十三日より同
  二十九日まで日数七か日
  〆

金沢出府の経費
二月二十三日
一、六〇〇文   雁一羽 高岡で
一、一五文    福岡茶屋
一、五文     芹川茶屋
一、二五〇文   かつおぶし九本 目一四〇目
                  一八替え
一、六七文    立野より今石動まで 
         人足一人、酒代とも
一、五〇〇文   今石動斉藤屋久兵衛宿賃
一、三七〇文   今石動より津幡まで
                  駕籠、酒代とも
一、六六文    今石動より竹橋まで人足
一、三〇文    倶利伽羅茶屋
一、一〇文    津幡茶屋
一、六文     わらじ一足
一、一六文    金沢で、ぞうり
一、一二文    風呂賃
一、三一文    八寸紙一帖
一、三一〇文   笠二蓋      
一、一七六文   胡麻二升
一、一二〇文   焦粉
一、一八〇文   鬢付け油三〇
一、一貫一〇〇文 天狗状紙八折
一、九文     蝋燭一丁
一、一四文    わらじ二足
一、五〇文    丸印と印肉とも
一、一貫一五〇文 胸当せつたへ
一、金一歩二朱  筆と絵の具品々 
  代二貫四九〇文 墨屋次助
二十四日より二十七日夕まで
一、二貫文    和泉屋猪右衛門
          四泊り宿賃
一、五〇〇文   茶代
一、一〇〇文   下女       
同二十九日
一、一二文    わらじ二束
一、五〇〇文   河合屋理右衛門方宿料
一、三五〇文   駕籠賃
一、七四文    人足賃
一、三〇文    右駕籠と人足三人、酒代
一、二〇文    倶利伽羅茶屋
一、七文     竹橋前坂茶屋
一、二〇文    今石動茶屋
一、六文     わらじ一足
一、一二文    同  二足
一、三五文    横田端茶屋
一、四四文    上の蝋燭
今石動で一包
 〆一一貫二八七文
   内
    一貫文   銭
    五〇〇文  手形高岡分
   同二十三日
    八三〇文  南鐐一片 今石動
   同二十七日
    一歩二朱  金一歩二朱
     代二貫四九〇文  墨屋次助
   同
    一歩金   金沢で両替
     代一貫六五〇文
   同二十八日
    金二歩二朱 同
     代四貫一五〇文
   同二十八日夕
    南鐐一片  津幡
     代八一七文
   〆一一貫四三七文
 差引〆
   一五〇文  過
 
一、六月二十九日に家を出立し、和田新町より
 北嶋村、石塚村等より本保村に出て、それより
 荒又往還に出ました。
   今石動町の斉藤屋久兵衛方に
   宿泊。
 同晦日に金沢へ出府し、新開方の
 免願いと測量方の御用
 等を終え、七月五日に金沢を出立し
 今石動の斉藤屋で泊り、翌
 六日に帰村しました。
       家来は
        嶋村吉兵衛を召し連れました。
 右の金沢逗留中の日記は、『新開
 免附見分日記帳』に書き記しておき
 ました。

一、一貫文   銭
一、五〇〇文  手形
一、二朱    一つ 今石動
   代八三〇文
二月二十七日
一、一歩二朱  墨屋次助

一、一歩
   代一貫六五〇文
同二十八日
一、金二歩二朱
   代四貫一五〇文

一、日下氏よりご注文の
 鎖を早速作らせること。
一、遠藤様の磁石の目鏡を
 錺屋より早速差し上げること。
一、同じく磁石針の掛け替えを錺屋より
 作らせ差し上げること。
一、『暦象考成表』の写本について
 日下氏等ヘ頼んで写させるよう
 相談しました。