海岸巡見御用日記測量方之分幷出府日記御内御用方日記
表 嘉永三年四月
五月十五日ニ出府
六月十一日ヨリ海岸筋出勤、同月廿六日ニ金沢江着
壱
海岸御巡見御用日記
測量方之分并出府日記
御内御用方日記
石黒藤右衛門
1 戌三月十七日
木村権三郎殿荒起為見分御廻村ニ付、御供方
として罷出候所、中老田村
2 戌三月十七日
木村権三郎殿荒起為見分廻村有之ニ付、
私義御供ニ罷出候所、黒河村昼所ニおゐて
被仰渡候者、今度
御廻道被為在候ニ付、新川郡、射水郡之絵図御用
ニ而、新川郡之分役所ニ有合候ニ付、相弁置候得共、
射水郡之分弐、三枚御用之旨ニ而、役所江呼寄
為調候ハヽ可然与申事ニ候得共、彼是邪魔之義
も有之候ニ付、右射水郡之分三枚急速相調
相達候様被仰渡候、
△射水郡壱里壱寸二分之絵図 三枚
壱郡壱枚宛御絵図之内、組分違之分引直
可指上旨ニ而、去ル年御渡之内射水郡之分
奉指上候、外ニ射水郡之分御用ニ御座候ハヽ
被仰渡可被下候様奉願上候、以上、
戌三月廿日 高木村
藤右衛門
御改作
御奉行所
3 戌三月廿四日、右木村権三郎殿新川郡ゟ御帰ニ付、
打出本江村江罷出、夫ゟ直ニ御供仕候所、放生津
ニ而内分被仰渡候者、海岸筋内浦之間、見当
方位并直径見取絵図ニ而調置候様、内々
御談ニ御座候、且射水郡之絵図壱町曲尺
五厘之分壱、弐枚相調、此許迄相達候様
被申聞候、
射水郡道程壱町曲尺五厘之絵図、先達而
御内分申上置候分三枚、今度出来ニ付奉
指上候、右之外ニも御用も御座候ハヽ、早速
被仰渡可被下候様奉願上候、以上、
戌四月四日 高木村
藤右衛門
木村権三郎様
但、封物ニして高岡毎日所ゟ着届之事
△射水郡壱町五厘絵図 三枚
4 薄暑相催申候所、御揃益御勇健被成
御座目出度奉敬賀候、しかれハ今般
御廻道ニ付、頃日木村様江御上之射水
郡一丁五里之絵図与、右同様之新川郡
之分弐枚急々御用之旨御出来御達
御座候様、若弐枚出来兼候ハヽ、先壱枚
ニ而も御拵御座候様、今日河合様、木村様
ゟ被仰渡候、今度右御用ニ付御改作
御奉行所泊御旅館迄御出御座候様
今日被仰渡御座候ニ付、右御両様
御道筋通御指向之筈ニ御座候、依而
当十五日内嶋御泊ニ而、十六日御道筋通
氷見辺迄御越被遊候間、右新川之絵図
并ニ外御心得ニ可相成品も御座候ハヽ、内嶋
御泊所迄御達御座候様、是等之趣私ゟ
申遣候様、御両様御談ニ付如斯ニ御座候、已上、
5 四月十日 平七
藤右衛門様
△此印ハ御返無之分
一、四月十五日 内嶋村小豊次宅ニ河合様
等達物左之通、
△ 新川郡壱町五厘之絵図 壱枚
嘉永三年四月出来
△ 能州内浦海岸略図 弐枚
但、道程十里ヲ以曲尺七寸二分之分
所々ヨリ諸方見当方位道程書記有之、
嘉永三年四月出来
一、越中国海岸略図 壱枚
但、折本ニシテ長七寸程、幅三寸程、道程壱町曲尺
一分ニシテ枝村迄書記有之、
嘉永三年四月出来
△ 加越能三州略図 弐枚
但、極少キ分
〆
外ニ
6 新川郡之絵図壱枚壱町五厘之分
〆四月十六日夜、伏木泊所迄ニ御達上候、
一、四月十六日伏木ニ泊り
夜中河合様ゟ左之通之分、八寸紙
三ツ折ニして相調呉候様御談ニ而、
諸方見当方位大凡
境町西浜ヨリ
能州三崎 亥二十二度 十八里余
小泊 亥二十一度 十四里余
赤崎 亥 八度 十三里余
九十九入 亥 三度 十二里余
小木 亥 一度 十二里余
宇出津ノ崎戌二十五度 十三里余
甲村 戌 十一度 十五里
カトシマ崎戌 二度 十三里
越中
石動山 酉 十五度
脇村 酉 十五度 十三里
7 越後
市振 卯 三度
駒帰端 寅二十七度
名立端 寅二十度
佐渡 丑 十八度程
横山村浜ヨリ
小泊 子 二度 十四里余
赤崎 亥 十八度 十二里余
小木 亥 十二度 十一里余
宇出津ノ崎亥 五度 十二里余
甲村 戌 十八度 十三里
カツヲサキ戌 十四度 十一里半
カトシマ崎戌 七度半 十一里
石動山 酉 十七度
境町 卯 三度
黒部川西芦崎村辺ヨリ
小泊 子 十一度 十五里
赤崎 子 一度 十三里
小木 亥二十五度 十二里
宇出津 亥 十三度 十三里
8 甲村 亥 初度 十二里余
カツヲサキ戌二十七度 十里半
カトシマ崎戌二十一度 九里半
石動山 酉二十六度
氷見町 酉 八度 十里
伏木湊 申二十六度 八里半
放生津 申二十三度 八里
東岩瀬湊 申 四度 六里
脇村 酉二十六度 八里半
魚津町浜ヨリ
小泊 子 十四度 十八里
赤崎 子 五度 十六里
小木 子 一度 十四里
宇出津 亥二十五度 十五里
甲村 亥 九度 十三里
カツヲサキ亥 七度 十二里
カトシマ崎亥 四度 十一里
鋳掛山 戌二十七度
石動山 戌 十度
氷見町 酉二十三度 九里余
9 二上山 酉 十三度 打出本江村婦負郡
伏木湊 酉 十二度 七里余 境ニテ海中深浅
放生津 酉 八度 七里 一、沖之方 一町目 二尋程
東岩瀬湊 申二十五度 四里 一、同 拾町目 十二尋程
水橋 申 十三度 二里半 一、同 三拾町目 百三十尋
芦崎 子二十八度 三里 一、宮サキ 寅十四度
海老江村西浜ヨリ 一、生地端寅 六度
芦崎 寅 九度 七里半 一、能州カトシマ子三ト
小泊 丑 初度 二十里 一、大木端子廿三ト
小木 子二十四度 十五里 一、佐渡 子丑ノ方
宇出津 子 十七度 十五里 一、松前 丑ノ方
カツヲサキ子 七度 十一里 放生津ニテ沖合
カトシマ崎子 六度 九里半 深浅
石動山 亥 十一度 一、沖ノ方一町目十六尋
脇村 亥二十四度 五里半 一、十町目十五尋
阿尾城 亥 初度 四里半 一、三十町目拾八尋
氷見町 戌二十度 四里 一、宮サキ寅廿二ト 十九里
二上山 酉二十九度 一、生地寅十九ト 十一里
10 放生津ヨリ 一、カトシマ子十三ト十二里
芦崎 寅二十三度 九里半 一、大木丑一ト 二十五里
小泊 丑 五度 二十里 一、三崎丑四ト 三十五里
小木 子二十九度 十五里 一、佐渡 子丑ノ方 七十里
カトシマ崎子 九度 九里余 一、松前 丑ノ方 二百里
脇村 子 六度半 五里余 伏木村ニテ
石動山 亥 十七度 四里半 一、沖ノ方一町目 四尋
阿尾城 亥 八度 一、拾町目 八尋
氷見町 戌二十七度 三里余 一、三拾町目 四百四拾三尋
伏木浜ヨリ 一、宮サキ 寅二十五ト 二十り
横山 寅二十二度 一、生地 寅二十三ト 十二り
芦崎 寅二十六度 十一里余 一、カトシマ子十七ト 十一里
宮崎 寅二十五度 十里 一、大木丑三ト 二十五里
小泊 丑 六度 十九里半 一、三崎丑七ト 三十五里
小木 丑 初度 十五里 一、佐渡子丑ノ方 七十里
カトシマ崎子 十八度 八里半 一、松前丑ノ方 二百里
脇村 子 十五度 四里半
11 阿尾城 亥 十二度 二里半
石動山 亥二十二度
氷見町浜ヨリ
石動山 子 十四度
脇村 丑 十三度 四里半
小泊 丑 十三度 十八里半
横山 卯 二度 十二里余
名立ケ端 卯 二度
能州三崎ヨリ
佐渡国下ノ方 寅九度 舟路三十五、六里
名立ケ崎 辰十九度
宮崎 巳九度 海上十八、九里
〆
但、四月十六日夜、於伏木河合様、木村様江書上ル、
右御廻道筋御供仕、婦負郡境打出本江村
迄罷越、御いとま申上候、戻り海老江村ニ泊り、
自身入夜而帰村仕候、
12 今般 御巡見之節、二上山江御登り
可被遊旨被仰出候段申来候、就夫二上山ニ而
能登浦、新川浦等ハ勿論、砺波郡之
方等も 御眺望可有之候間、兼而夫々
支分を見置可然、左候得ハ貴所様婦負郡
御境者振替り、二上山江明日ゟ御越、支分
見定置かれ候事ニ可相成候哉、何■■
井口様直ニ御聞被成置候間、今夜中ニ
御出被成候様、可申進旨只今御談ニ付、
飛脚を以申進候間、此状着次第小杉相談所
江御越可被成候、私義今晩此地ニ罷在候、以上、
四月廿一日暮六時 小豊次
小杉ゟ
藤右衛門様
但、廿一日夜四ツ時頃ニ飛脚至来ニ付、私義小杉相談所
13 罷越、直ニ御奉行所江罷出候所、井口様并石黒様
御同席、小豊次、庄五郎、善左衛門相揃之上、今度
殿様二上山江御登り被遊候間、善左衛門、藤右衛門
早速罷越、右山ゟ諸方見当并道筋等不指
支候様いたし置候様御談ニ御座候、
一、四月廿二日
自身、和右衛門召連二上山江罷越、方位等左之
通り、尤為手伝与三八召連、東海老坂村林左衛門も
指加ニ御座候、
二上山ヨリ諸方見渡
○宮崎 寅二十五度 十四里余
泊 寅二十六度 十三里余
○横山 寅二十四度 十二里余
○芦崎 寅二十八度 九里半
○生地 寅二十九度 九里半
魚津 卯 十一度半 八里半余
滑川 卯二十二度 七里余
○水橋湊 卯二十四度 六里半
○東岩瀬湊 卯二十五度 五里余
14 四方 卯二十八度
富山 辰 十八度半 五里半
下村 辰 十三度
○海老江村 卯二十九度 三里余
○堀岡新村 卯二十七度 二里半
○放生津 卯二十三度 一里半
○伏木湊 卯 九度 一里余
○吉久新村 辰 四度 一里
小杉新町 巳 二度 二里半余
水戸田村 巳二十度 二里半
大門新町 巳二十度 一里半余
犬ケ岳 卯 六度 十六里余
エフリカ岳 卯 十三度 十六里半
○上駒ケ岳 卯二十度半 十七里
後立山 辰 三度 十七里余
針木嶽 辰 十五度 十七里
中嶽 辰二十三度 十七里半余
鷲羽嶽 辰二十八度 十七里半余
鍋嶽 巳 初度 十六里半余
15 寺地山 巳 一度 十四里半
有峯村 巳 二度 十三里余
○シヽハミ山 巳 七度
長棟村 巳 十二度 十二里余
猪谷村 巳 十五度 十里半余
○薬師 辰二十四度 十五里半
○鍬崎山 辰二十一度 十二里半
○浄土山 辰 十三度 十五里半
○立山 辰 十二度 十五里半
○別山 辰 九度 十五里余
○劔ケ嶽 辰 六度 十五里
白兀
赤兀
○フナクラ岳 辰 三度 十四里
○瀧倉岳 卯二十九度 十四里
僧ケ岳 卯二十一度 十二里
風平岳 卯 十五度 十二里
布倉岳 辰二十三度 九里半
釜池山 辰 十二度 十二里半
16 大辻山 辰 十四度 十一里余
曽父岳 午 一度 八里半
八尾 辰二十二度 六里半
○高木村 辰二十七度 二里
○古城 午 四度 一里余
御旅屋
瑞龍寺
二塚 午二十三度 二里余
小泊 丑 九度 二十里余
白丸サキ 丑 十二度 十六里
飯田 丑 三度 十九里
○九十九入 丑 六度 十五里半
○小木 丑 四度 十五里余
宇出津 子二十九度 十五里
鵜川 子二十五度 十三里余
穴水 子 五度
カツヲサキ 子 十二度 十里余
カトシマサキ子二十四度 八里余
○脇村 子二十六度 五里
○氷見町 亥二十八度 二里
17 石動山 子 六度 五里
○碁石峯 亥 六度 四里半
○臼ケ峯 戌 十三度 三里半
末森 戌 初度 五里余
○宝達山 酉 十六度 四里半余
沢川村 酉 十度 三里半余
三国山 申二十八度 四里半余
○クリカラ 申 十度 五里半余
河北潟 申二十五度程
邑知潟 戌二十五度程
宮腰 申 十九度 十一里
金沢 申 七度 十里余
戸室山 未二十七度
○医王山 未二十度 八里半
○大門山 未 十度 十三里
○笈釣劔ケ岳 未 七度 十五里
○白山 未 五度 十八里半
妙法山 未 三度 十六里半
今石動 申 三度半 四里半
18 ○桑山 未 十九度 七里
袴腰 未 五度 十一里
○人形山 午二十六度 十二里半
ソハ角山 午 十五度 十二里
金剛堂 午 十三度 十一里半
大寺山 午二十五度 七里半
八乙女山 午二十三度 七里
○鍬崎山 午 十五度 七里
牛岳 午 十一度 六里半
安居 未 十六度 五里半
福光 未 十五度 六里半余
福野 未 十八度 五里半余
城端 未 五度 八里余
○井波 午二十七度 六里半
増山城 午 五度 四里
六家 未二十一度 二里
戸出 未 三度 三里余
19 ○中村前宮 午二十度 七里半
元取山 申 十三度 五里半
舞谷 申 十四度 五里
稲葉山 申 十二度 七里半
○弁才天 午二十三度
清水 未 十五度 五里半
但、津沢ノ辺也
里山七ケ用水林
池ノ尻御蔵
吉住村宮
芹谷 未 二度
佐渡 丑二十度程
右、二上山本社并ニ城跡ニ而見ル方位、
○印ノ分、正当ノ分
四月廿二日、廿三日両日ニ見、
城跡ニテ神通川、アフカ嶋見ルナリ、
右、二上山登り之義ハ、御指止ニ相成候義、廿四日
七つ時守山駅ニおゐて被仰渡候、
20 一、御改作御奉行所方位等之手帳覚書
別冊八寸紙、三ツ折之分也、
一、御郡御奉行所手帳之義、御扶持人中ゟ
被達候躰、
〆
四月廿五日ニ四つ時ニ、自身宅江帰ル、
一、四月廿七日
御郡御奉行所江恐悦として罷出、昼頃
帰村仕候、
御領国分間絵図三州一枚ニ而、立
壱尺八寸計、横壱尺四、五寸計之略
図、先年遠藤数馬様江御上置
之分御用ニ候間、先三枚急々御認
御改作所江御達可被成、此段安田様
21 上月様御談、私ゟ申遣候様仰ニ付、
如斯御座候、已上、
四月廿四日 測量方御用
平七
高木藤右衛門様
覚
一、壱封 測量方御用
平七殿ゟ
尊前様江
右、飛脚を以為持上申候間、御請取
可被下候、尤受取書御遣シ可被下候、以上、
五月四日 惣代
新七
高木村
藤右衛門様
猶々飛脚ちん四拾文御渡
可被下候、以上、
22 高木村藤右衛門様 測量方御用
指急御用 平七
五月二日出
薄暑之砌ニ御座候所、弥御壮健奉賀候、
然ハ此間御改作所ゟ御談之遠藤様江
先達而御上ケ置与同様之三州壱枚之小
絵図、いまた御取懸りニ而無御座候ハヽ、右之分ゟハ
此間於其表河合様等江弐枚御上之分ハ、右
遠藤様御所持之分ゟ又々小サク、御懐中
便利宜候間、河合様等江御上ケ之小絵図、先
三枚早速御出来御達御座候様可申上旨、
安田様、上月様ゟ被仰渡候、若遠藤様同様
之分御取懸置候ハヽ夫も御達、河合様等
同様之小絵図ハ尤別ニ御達御座候様
23 被仰渡候、
一、三州一枚之中絵図ニ而、越後海辺余程
相調佐渡之小口も相調候分、先年
御達置之よし、右之分御算用場ニ者
有之候得共、御改作所ニハ無御座候間、是又
一枚早速御出来御達可被遊候、
右、両様之趣夫々申遣候様御談ニ付、如斯
御座候、已上、
五月二日 平七
藤右衛門様
覚
△三枚 中絵図
△三枚 小絵図
〆
24 右之通為持進候間、御受取可被下候、以上、
戌五月六日 高木村
藤右衛門
測量方御用
平七様
但、五月七日和右衛門ニ為持遣申候、
益御勇健奉珍重候、然ハ此間御改作所ゟ
御談之三州壱枚之中絵図、越後海辺
相調候分先壱枚与被仰渡候得共、右ハ弐枚御入
用ニ候間、弐枚御出来御達之様重而被仰渡候、
一、三州八寸紙一枚之略絵図、河合様等江
御上置之分同様、今三枚御用之旨、先書ニ
申上置候得共、弐枚相増五枚御達之様、木村様
被仰渡候、
右之趣御談ニ付如斯ニ御座候、以上、
25 戌五月四日 平七
藤右衛門様
貴墨拝見仕候、南温之砌益御安康
奉賀候、しかれハ頃日御改作所ゟ御談
之御絵図中小合六枚、為御登■■之
早速御出来定而御喜悦与奉存候、一覧
仕候所、両様共御好之絵図ニ相当申候、跡
申上候分も追々御出来御達之様ニ
与奉存候、右ハ御答申上度、早々、如斯ニ
御座候、以上、
五月八日 平七
藤右衛門様
26 別封測量方平七殿紙面急御用
之旨ニ而、急々相届申候様被談候ニ付
指上申候、御受取可被下候、尚相届候之段
重便ニ御申越可被下候、以上、
戌 吉田屋
五月十一日 小右衛門
高木藤右衛門様
両三日ハ快晴、暑気相催申候、御揃
益御安康被成御座目出度奉賀候、
然ハ頃日御改作所ゟ御談之越後
路海辺相調候絵図、都合弐枚中折
壱枚之小絵図共御出来之上、御持参
御出府可被成、於此表可被仰付御絵図
27 御絵図(ケシ)有之候間、前段御談置之絵図
出来次第、御出府御座候様可申遣旨、
今日御改作所ゟ被仰渡候、尤於此表
四、五日御逗留御座候得ハ、其余ハ御帰
村之上、御取懸り御座候而も可然御様子
ニ御座候、右申上度如斯ニ御座候、已上、
戌
五月十一日 平七
藤右衛門様
但、五月十三日高岡漆屋忠七ゟ飛
脚を以至来、
自身小杉ニ罷出候所、宅ゟ又候飛脚ニ而
至来、昼頃宅江帰ル、
28 私義、御絵図方為御用出府可仕旨、
御改作所ゟ被仰渡候ニ付、明十四日道泊
ニ而出府可仕与奉存候、依而為御案内申上候、
已上、
戌
五月十三日 高木村
御郡 藤右衛門
御奉行所
但、右之外ニ添書いたし、山本屋新七江
為持遣申候、以上、
出府日記
一、五月十五日 天気
朝六時頃宅出立、伏間江屋立寄候所留主、今石動ニ而
昼仕候、天池之茶屋ニ而甚吉同道、七つ時過ニ
金沢桶町敦賀屋又右衛門方江着仕候、
下人 和右衛門召連
29 一、五月十六日
朝四半時ゟ御役所江出勤、御改作所江罷出左之
絵図相達候所、右同様之外今一枚指出候様
河合様談ニ御座候、
井口様ニ御役所通りニ而懸御目申候、
平七子ゟ今度之絵図ハ海岸筋絵図
之旨内々申聞候、
△弐枚 加越能三州略図少之分
越後海辺余程書記
佐渡之小口迄書記有之
△弐枚 加越後三州略図
但、極少之分中折紙壱枚ニ相調候分
〆四枚
右之通り御達申上候所、弐枚之極少外ニ
壱枚都合三枚御渡ニ而、舳倉嶋并佐渡
書入候様、上月様御談ニ御座候、
30 又
三州略図之中之分ニ而、先達而相達
置候分御渡ニ而附いたし、佐渡之国
書入候様、是又上月様ゟ御談ニ御座候、
河合様等ゟ御談之覚
一、海辺筋壱町壱分之絵図を書抜
折手本ニいたし候所々合紋ニ而引合
候様ニいたし置申度候間、尚更追々
可相談旨被仰渡候ニ付、先達而故藤右衛門
指上置候絵図、明日御かし渡被下候得ハ、
壱部相調其上ニ而指図を請可申与
奉存旨申上候、昼八つ時ニ帰ル、
一、旅宿ニおゐて佐渡書入方ニ取懸り、
夕影遠藤様江罷越候所、御逢被成
金沢之略図壱枚拝領仕候、
一、御場中ニ而宅江之紙面小右衛門ニ相渡、
小林藤四郎忌明御紙面并布施氏
江も紙面認宅江送り申候、
31 御渡絵図之分
一、壱枚 加越能三州略図
中之分十里三寸六分之分
一、三枚 同極少之分
〆
夕影遠藤様江罷越候所、御逢被遊候、暫時御噺申上候、
金沢之絵図壱枚奉出、壱枚ニ相調候分貰申候、
時規用法壱枚、翌日使ニ而至来、壱枚ハ
若栗村宇助方江遣申候様申聞御座候、
一、五月十七日 雨降
暁七半時頃火事有之、
朝四ツ時過迄旅宿ニおゐて小絵図ニ佐渡
国等書入仕候、
四半時頃御役所江罷出候所、御絵図役所
定検地所ニおゐて相始り、
御奉行所
奥村甚三郎様 梅田喜内
矢部唯之助様 高木藤右衛門
〆 越中屋平七
〆
八ツ時頃相済帰宅仕候、
32 夕影、義三郎殿、甚吉相見申候
一、同十八日 時々雨ふり
朝四つ時過ゟ御役所、五十嵐、権正寺相見候、
中
一、三州略絵図先達而上月様御渡之分ニ、
佐渡国書入ル上ル、
八ツ時過ニ役所ゟ帰り
井口孝左衛門様、五十嵐、権正寺旅宿江見舞、
一、同十九日 天気
朝四半時ヨリ御役所江罷出、海岸絵図之義
河合様江窺候所、明日之御役所ニ而夫々
可申談旨被仰渡候、
出勤人々
河合様、木村様、矢部様、奥村様、
〆
梅田喜内、 藤右衛門、平七、
33 八つ時過ニ御役所相済候、
山田重左衛門旅宿、森久、有松屋、
越中屋平七方、梅田喜内氏名札
遣申候、河野氏江見舞候所、留主ニ而
罷帰ル、
小絵図等取調理仕候、
朝之内甚吉来ル、
一、五月廿日 天気
朝四つ時過ゟ御改作所江罷出、此間中御渡
之絵図、上月様等江上ル、
△壱枚 小絵図
此分同席ニ而上月様江上ル、
但、今度之御絵図之儀ハ、三州壱枚ニして
海辺筋書抜、手本絵図ニいたし
能州嶋地内浦之分ハ、別絵図ニ
相調可申事、本道ゟ駅立之所江懸
紙ニ而相調置候ハヽ可然、尤駅之儀色
34 附可申旨御談ニ御座候、
一、五通計御入用之儀被仰渡候、
一、海岸筋巨細絵図、平七、其方
両人ニ而取懸り出来可申旨申聞ニ
御座候ニ奉畏与申上候、
荒木氏旅宿江見舞申候、越中屋平次
長江彦左衛門江見舞申候、
五十嵐氏江見舞候所、留主ニ而罷帰申候、
遠藤様罷越、明後日帰村之上、喜三郎江申置候、
尤、若栗村宇助行今日贈遣候旨申入置候、
河野氏ニ逢申候、明日罷出候様被申聞候、
一、五月廿一日 天気
朝四つ時頃ゟ御屋敷様名札上ル、
安田様、河合様、木村様、
奥村様、矢部様、上月様、
35 高畠様
〆
河野久太郎殿江見舞候所、留主ニ而戻り、
同義三郎殿江見舞候所、勝手出産之様
子ニ而罷帰り、
五十嵐氏江見舞候所、留主ニ而戸出之
長兵衛江名札相渡候而帰ル、
五月廿一日
物頭並 上月四郎左衛門様
勤向是迄之通被仰渡候、
夕影河野氏ニ而暫咄仕、火灯頃罷帰候、
一、五月廿二日 天気
朝四ツ時頃御役所并御郡御奉行所
井口様江御暇申上候、
安田様被仰渡候ハ、右絵図急速出来指出
候様被仰渡候、
泊り 津幡河合屋
理右衛門
36 一、同廿三日 天気
朝六時過津幡出立、八ツ時頃宅江帰ル、
〆
先頃者御出府御苦労千万、梅雨中
蒸暑相催申候、益御勇健ニ
被遊御座目出度奉存候、然ハ三州
一枚之小絵図、八寸紙中折一枚程
之分ニ、越後と佐渡少し細候分、御算用場
等之御入用ニ候間、今四枚急々
御指出之程可申上旨、上月様ゟ被
仰渡候間、御調次第為御登可
被下候、右之処如斯ニ御座候、已上、
37 五月廿九日 平七
藤右衛門様
小 三州
△四枚 中折紙一枚ニ相調候
分
但、六月十日認メ越中屋平七江
遣申候、
中之分
△壱枚 三州小絵図
但、佐渡国小口迄書記候分
小 三州
△壱枚 中折紙一枚ニ相調
〆 候分
但、六月十日夜、於放生津河合様江上ル、
38 一、壱枚 三州小絵図
但、佐渡国小口迄書記候分
〆六月十日夜木村権三郎様江上ル、
但、六月十日昼後ゟ放生津江罷出、入夜而
河合様等江窺申上候、夜九ツ時頃宅江帰り、
暁七つ時小豊次等ゟ紙面至来ニ付、十一日六半時
河合様旅宿江罷越候所、今度海辺しらへ方
之義ニ付召連可申旨被仰渡候ニ付、早々
帰宅之上支度仕、昼七つ時頃ゟ放生津ゟ
舟ニ乗ル、
先刻ハ御苦労ニ御座候、然者海岸御しらへ
方ニ付、急々御談之趣も有之、今晩中
放生津御泊所江御出被成候様、私共ゟ
可申進旨、只今河合様等ゟ御談ニ御座候間、
此状着次第此者御同道ニ而御越
可被成候、為其飛脚を以申進候、以上、
39 戌
六月十日夜 放生津ゟ
五十嵐小豊次
南善左衛門
高木村
藤右衛門様
一、六月十一日 天気
昼八つ時頃宅出立、放生津ゟ舟ニ乗り、
夕影姿村江着仕候、
河合様、木村様旅宿江御窺申上候、
一、五十嵐氏ゟ内々御用之様子聞合、
尤、積図り之下書もかり請申候、
一、私義御供之義ハ小豊次等ゟ吉田村友三郎
江演述有之旨、同人申聞ニ御座候、
姿村
泊り
40 一、六月十二日 天気
朝六半時頃姿村出立、舟ニ乗り、
庵村 庄屋
昼 弥三左衛門
鰀目村
泊 角兵衛
夕影鰀目村江着、
一、六月十三日 快晴
朝七ツ時過旅宿出立、野崎村松ケ端江罷越、夫々
調理方仕、五ツ時過ニ鰀目村江罷帰り、
日出 百二十度割
寅八度也
朝五つ時頃ゟ前田様等御発足ニ付、自身跡ゟ
41 舟ニ而追附申候、夫ゟ直様御供仕候、
鵜川村
昼 弥右衛門
宇出津
泊 富来屋
三左衛門
但、入夜而宇出津江着、拾町計提灯也、
一、六月十四日 天気
小木村
昼 文右衛門
宗玄村
泊 権兵衛
全舟ニ乗り、所々ニ而炮台所、
一、六月十五日
蛸嶋村
昼 新蔵
舟ニ乗り、
42 狼煙村
泊 九郎右衛門
但、新村之内之事也、
全舟ニ乗り、
一、上戸村助兵衛方ニ而書物等見物被遊候、
同人方ニ唐津物出来仕候分、是又
見物被遊候、
一、火灯頃狼煙村江着、
43 一、六月十六日 時々少々雨ふり 西風
朝五つ時頃狼煙村出立、
大谷村
昼 源兵衛
時国村之内曽々木
泊 円右衛門
一、六月十七日 風高雨ふり
朝五つ時頃時国村出立、九つ時頃名舟村江
着、
名舟村肝煎
昼 兵左衛門
一 前田主馬 二 水原清五郎
三 大村□次郎 六 金谷多門
44 四 坂井忠左衛門 五 丹羽権作
七 河合清左衛門 八 木村権三郎
右人々之内、御内御用方ニ付
三州海岸筋見分相廻り候ニ付、於
先々役人呼立候義等可有之ニ付、不
指支様可相心得旨、御用番年寄中
被申聞候条、夫々可被申渡候、以上、
六月八日 御算用場
諸郡
高沢平十郎殿等
於時国村ニ写之、
河合村松木屋
泊 九郎兵衛
45 但、夕影旅宿江着仕候、
一、六月十八日 西風雨ふり
朝五時輪嶋出立、舟ニ乗り輪嶋崎廻り候所、
濤風荒ク光金江着仕陸通仕候、大沢村江
九ツ時過ニ着仕昼後逗留ニ相成、
大沢村
昼、泊 伊右衛門
一、六月十九日 天気西風
朝六半時頃大沢村出立、皆月村ニ而小昼仕、
七ツ時頃道下村江着、日暮提灯ニ而一里計
行歩いたし、劔地村江着、
道下村
昼 嘉左衛門
劔地村
泊
46 一、去 黒嶋村江異国船沖合江
罷越候由相尋候所、千代村ゟ申聞之趣、
私共沖合大キ成船相通候哉与、見物いたし
居候内、黒嶋村之浜之崎岩崎之土居
候所江着仕候与奉存候内、半時計之内
ニ申之方江退申候、夫ゟ段々ほう形も
相見へ不申候、
一、六月廿日 曇天
朝五ツ時劔地村出立、火灯頃地頭町江
着いたし候、
赤崎村
昼 弥右衛門
地頭町川原屋
泊 三右衛門
47 一、六月廿一日 天気
朝五つ時頃富来村出立、福浦ニ而
昼仕、夕影大念寺村江着仕候、
福浦村
昼 長兵衛
大念寺新村
泊 与四兵衛
一、六月廿二日
朝五ツ時頃大念寺新村出立、九ツ時頃一宮村江着、
一宮村肝煎
昼 茂助
今浜村
泊 与三右衛門
48 一、六月廿三日 雨ふり
木津村
昼 喜右衛門
粟崎村
泊 伊右衛門
一、六月廿四日 曇天
相川新村
泊 彦四郎
本吉小坂屋
泊 六兵衛
49 一、六月廿五日
安宅大門屋
昼 亀吉
小松野田屋
泊り 与右衛門
但、前田様於旅宿ニおゐて御いとま願上候所
宿江罷帰申候、
一、大野、宮腰之絵図、於小松金谷多門様江弐枚
上ル、
一、六月廿六日
松任町茶屋
昼 三右衛門
〆
敦賀屋
泊 又右衛門
金沢江九ツ時過ニ着仕候、
木村様等手帳相調申候、
50 一、六月廿七日
朝六半時過木村様江罷越、懸御目手帳等
指上暫時噺仕申候、
金谷様、河合様名札上ル、
〆
一、同廿八日 天気
御役所罷出候所、今二、三日逗留可致旨御談
ニ御座候ニ付、夕影河合様御屋敷ニおゐて
被仰渡候ハ、炮台ケ所、八寸紙壱枚ニ絵図
相調可指出旨被仰談候、
前田主馬様江名札上ル、
一、同廿九日
右、下絵図仕候、夕影迄ニ相済申候、
51 一、六月晦日 天気
但、壱通り相調申候、河合様罷越候所、留主
ニ御座候、
越中屋平七来ル、北方村指除、右代り
鰀目村飛地吉浦入用之旨申聞候、
七月
一、七月朔日 時々雨ふり
但、上り之分壱通相調候ニ付、河合様
江罷越候所、留主ニ御座候、
木村様江罷越候所、是又留主ニ御座候、
六月廿八日遣平七子、
一、壱枚 三州略図 木村様江上ル、
但、嘉永三年六月出来之分
内分ニ而、
52 一、七月二日 雨ふり
但、御改作所江出勤仕、御内御用之所々
炮台之絵図、三拾五枚宛、都合弐通り
河合様江上ル、尤八寸紙壱枚ニ壱ケ所宛
書調候分也、
御内御用之分、弐通り、
一、七拾枚 河合様
〆 但、三拾五ケ所
八ツ時過御役所ゟ罷帰ル、
一、大野村、宮腰町論所之義、附札いたし
相達候事、
五十嵐、南、権正寺、吉田屋江見舞、
〆
一、七月三日 曇天
自身、宅ニ而控イ壱通相調申候、
53 夕影甚吉并宇之助来ル、
一、七月四日 天気
朝四ツ時頃ゟ御役所江出勤、河合様并ニ
木村様御両人様、御役所御見合ニ而
役所ゟ直様木村江罷越候所、御取込ニ而明日
罷出候様被申聞候、
河野氏江罷越暫時噺仕、夕影ゟ義三郎殿
相見へ申候、
一、七月五日 天気夜中雨ふり
朝六半時頃木村様江罷越、御暇之義御内分
申上候所、今暫之所自定いたしかたく候得共
大躰相済居候様之者ニ候得共、猶更今日
河合様江申上候様被仰聞候、
一、木村様御手帳御渡ニ而、鰀目村飛地吉浦
書加候様被仰渡候ニ付、則附札いたし指上
申候、以上、河野両家ゟりんこう貰申候、
54 先触之留
覚
一、人足壱人
右、射水郡新田才許高木村藤右衛門儀、
測量方御用ニ付致出府、右御用
相済、当日金沢発足致、帰村
候之条、宿々人足不指支様可相
心得者也、
戌七月 木村権三郎
平野安左衛門
津幡ゟ宿々
役人
55 一、七月六日 天気
朝七ツ時頃、和右衛門宅江りんこう等為持遣申候、
越中屋平七方江罷越、甚吉申聞之義内々
聞合、木村様之御手帳相直し、封物ニいたし
越中屋平七江相渡、
御役所江出勤不仕候、
旅宿ニおゐて舶砲新編之内少々読
而終ル、甚吉来ル、
一、七月七日 天気夕影雨ニ成
河野久太郎殿相見候、吉田村友三郎来ル、昼後
自身河野氏江見舞候所、イスホリヒコ之読方
有之、
一、舶砲新編 十ノ上 潟(写)相済、
一、七月八日 天気
御役所江出勤仕候所、河合様、木村様御両様
とも御見合ニ付、河合様御宅江罷出、御暇
56 願上候所、今暫之所逗留いたし居候様
被仰聞候ニ付、旅宿江帰ル、和右衛門宅ゟ
来ル、
一、弐百目也 保銀 宅ゟ至来、
内
一、七月九日 天気
旅宿ニ休メ居、河野久太郎殿等江和右衛門ニいなた為持遣候、
自身夕影罷越候得共、取込候躰ニ而罷帰申候、
一、七月十日 天気
御役所江出勤不仕候、
八尾屋喜兵衛方ニ而、拾弐匁ニ而本弐冊
買求ム、
57 一、七月十一日 天気
御役所江罷出、木村様江御暇願上候之所、
明日迄見合呉候様被仰聞候、尤御先触
之印形等願請申候、九ツ半時頃役所ゟ
帰ル、
嘉永三年七月八日
一、能州口奥御郡御奉行所
岡田源三郎様
岩田眷蔵様
外ニ
高沢平十郎様
河合某様
〆四人
所口在住
思召被為在
前田主馬様
58 同所町奉行
本保
〆
大袋組才許小嶋村
白銀五枚 紬弐端 与右衛門
上庄組才許加納村
白銀三枚 紬弐端 権六
白銀三枚宛 五十嵐小豊次
斉藤庄五郎
南善左衛門
折橋甚助
嶋村理三郎
二口村十郎兵衛
作道村甚兵衛
59 橋下条村弥四郎
以上
但、八代組当分才許斉藤庄五郎被仰付候
処、拝領方無之ニ付御伺申上候、御扶持
人等者自組ニ而拝領方有之故ニ当分
才許有之時ハ拝領銀無之、併壱番
皆済致候得ハ拝領可被仰付、新田才許
ニ而当分才許有之時ハ弐枚宛被下候事、
一、七月十二日 天気朝之内西風
但、御役所江罷出、昼八ツ時過ニ呼ニ来ル
候ニ付罷出候処、
木村権三郎ゟ御目録御渡ニ而被
仰聞候、海防方ニ召連品々御用申渡
為骨折
御次ゟ御内々被下之候旨被仰渡候、
請書可指出旨御談ニ御座候
60 二百疋
新田才許高木村
藤右衛門
以上
并ニ金子弐歩相添、木村様ゟ御改作所
ニおゐて御渡被下候、難有奉頂戴候、
右ニ付御請
今度海辺御内御用ニ御召連ニ付、為骨折
金二百疋拝領被仰付、難有奉頂戴候、
依而御請上之申候、以上、
嘉永三年七月十二日 高木村
藤右衛門 判
河合清左衛門様
木村権三郎様
但、立紙ニ相調、木村様江上ル、
御役所ニ而御暇願上候、則上月様被仰渡候ハ
61 右、御請二、三日中ニ御次江相達旨被申聞候、
廻勤袴ニ而御礼申上候而名札上ル、
前田主馬様、河合清左衛門様、
金谷多門様、木村権三郎様、
〆
但、河合様江罷越、金子拝領之義申上候所、
御逢被遊候、先一段之義与被仰候、
五十嵐、南、折橋江も暇ニ罷越、留主ニ而
名札相渡帰ル、
河野氏江見舞暇仕候、
一、七月十三日 時々雨ふり
朝七ツ時金沢発足、夕方宅江着仕候、
尤人足之義宿継ニ仕候、