川口宮袋村内検地諸事留帳,川口村宮袋村内検地下縄調理帳
表紙 享和二年
川口、宮袋村内検地諸事留帳
戌三月 石黒藤右衛門
1 川口村、宮袋村出勤
一、三月三日 伝兵衛
武兵衛
藤右衛門
四郎右衛門
三之丞
〆
一、同十五日 長兵衛
〆
不参之覚
一、三之丞、三日夕方帰村、四日四つ時
罷越申候、
一、伝兵衛、四日七つ時高岡之方へ罷出、
一、六日朝過、藤右衛門帰宅、翌七日朝
罷越申候、
一、同日武兵衛、七つ時帰宅、翌七日
夕方罷越申候、
一、同八日暮合三之丞帰村、九日ニ罷出候、
一、同十三日武兵衛帰宅、同十七日夕方
一寸罷出、又帰宅、金沢登候事、
一、同十五日三之丞帰宅、病気指発候ニ付、
罷出不申候、
一、同十四日藤右衛門帰宅、十六日朝罷出候、
一、同十三日四郎右衛門帰宅、十六日朝罷出申候、
一、同十五日三之丞帰宅、風邪ニ而罷出
不申候、
2 御扶持人様方金沢旅宿へ、
川口村肝煎源次郎并茂兵衛、
内検地之儀ニ付罷越、御窺申
上候所、当春両村内検地被
仰付候紙面持参仕候、夫之
写を以相達し申候、
下余川村下縄先月廿七日迄
相済候由致承知候、就夫川口
村、宮袋村之儀、当春打立
之処日間無之ニ付、見合可被申候
旨、先達而紙面を以申入置候得共、
3 重而僉儀之上、是非打立可申候
条、各三日ニ彼村へ被相向、急々
下縄張渡可被申候、拙子共帰村
日限も未タ相知不申候得共、罷帰
次第急速下余川村へ指向打立
候条、其節ハ各申談四人下
余川村へハ被相向候而も弁し
可申儀、三人ハ川口村等ニ相残、
下縄張可被申候、且藤右衛門、四郎右衛門
ハ兼而承知之通、放生津潟
廻丁間御しらへも八日金沢
発足ニ而夫々御指向、内分其
心得も可有之、各両人之義申渡
ハ無之候得共、為心得申入候、何分
油断無之様下縄はり可被申候、
且又村方費之義無之様可被
相心得候、以上、
三月朔日 加納村権六
五十里村庄右衛門
縄張人中
右御状、宮袋村茂兵衛添状
4 を以、川口村嘉兵衛并人足、
三月二日罷出申ニ付荷物
相渡申候、
草高 嶋村二郎右衛門組下
一、千八拾五石六斗六升 川口村
同
一、七百五拾九石六斗九升八合 宮袋村
〆 千八百四拾五石三斗五升八合
定免五つ
内壱歩 変地引免付
草高
一、六石壱斗四升六合 川口村
宮袋村領
定免五つ
〆
川口村肝煎 源次郎
宮袋村肝煎才許并川口村
組合頭
川口村源四郎
宮袋村組合頭 甚兵衛
〆
領境村々
石瀬村肝煎 忠次郎
同 平四郎
組合頭 喜十郎
能町村肝煎 忠兵衛
宮中開組合頭 吉左衛門
5 吉久村肝煎 弥兵衛
上牧野村肝煎 孫次郎
組合頭 平右衛門
同 宇右衛門
中曽根村肝煎 弥右衛門
組合頭 徳兵衛
同 三郎兵衛
同 五兵衛
松木村肝煎 清十郎
組合頭 清左衛門
同 市右衛門
同 吉兵衛
沖塚原村肝煎 久右衛門
組合頭 佐次兵衛
同 長右衛門
同 四郎兵衛
寺塚原村肝煎 彦八
組合頭 又次郎
同 宇兵衛
同 助八
若杉村肝煎 久五郎
組合頭 六兵衛
北野村肝煎 弥兵衛
組合頭 理助
同 平次郎
〆拾壱ケ村
6 一、三月三日 快天
藤右衛門、三之丞、四郎右衛門、伝兵衛、
武兵衛罷越申候、
縄張人宿、川口村源四郎、
一、同四日 快天 西風少々吹
伝兵衛、武兵衛、藤右衛門、四郎右衛門、三之丞、
茂兵衛領廻り仕候所、石瀬村
ハ庄川西縁飛地境相分り
かたく所有之ニ付、領廻り
指除申候、
能町村領付宮中開境ニ、
赤川与申まつはわら之
川、長弐拾間余有之所、双方
境目相立かたく申所、両村
百姓中等示談之上、右川
半々ニ相成居申候、
上牧野村境吉久道十間計
宮袋村等ゟハ上牧野村之道
之由申、上牧野村ゟハ川口村
等之道之由申候ニ付、両村
肝煎中示談被致候得共
相分不申候、
7 両塚原村領境、松木村用水
江境目相分り不申候、様子相
尋候所、松木村ゟ壱石一斗
九升、両塚原村へ相立、七斗三升
川口村等へ相立申候由、
是迄両三度も四つ村共
立会、談合候得共、相分り
不申候間、縄張人中様方
何分取計被下候様、双方
村役人中、百姓中等被申
聞候ニ付武兵衛、藤右衛門、
四郎右衛門、三之丞取計申候
ハ、用水取入口ニ而四、五十間
計、両塚原村領中堀申候
ニ付、四ケ村領境之分ハ右
用水江橋之内四分ハ
川口村、宮袋村之領分、六分
ハ寺塚原村、沖塚原村之領分
ニ被致候ハヽ、大体右江代米ニ
相当可申旨申入候所ニ、
双方四ケ村役人中等納
得相済申候、
8 伝兵衛義内用有之、七つ時
北野村等領境見分仕、夫ゟ
高岡之方へ罷越申候、
一、同五日 快天 西風
武兵衛、藤右衛門、茂兵衛西領見分、
四郎右衛門、三之丞東領見分、右両
手合共其夜下絵図仕候、
一、同六日 天気 少し西風
武兵衛、茂兵衛、宮袋村西領
見分、
伝兵衛、四郎右衛門、三之丞、宮袋村
北領等見、
其夜下絵図出来仕候、
此両村下絵図之義ハ領内吉
久道庄川東縁ゟ惣廻り之義、
下絵図村方ニ而墨引茂兵衛、
藤右衛門仕置申ニ付、其中之
江道等見分仕候ニ付、早々
下絵図仕申候、庄川西縁
石瀬村領境之義ハ、境目相
分りかたく事御座候ニ付、
此御所下絵図不仕候、
藤右衛門義、村方引免村々下条様
御見分ニ付帰村仕、領之内夫々
御指図与申上候、
武兵衛七時頃ゟ帰宅仕候、
一、同七日 昼前雨天 昼日和
藤右衛門朝前罷越候、武兵衛夕方
罷帰申候、
9 伝兵衛、藤右衛門、四郎右衛門、三之丞、茂兵衛、
両手合打込、若杉、北野境ゟ下
縄五筋、西領庄川縁能町村境
ニ而三筋張立申候、都合八縄、
一、同八日 快天
昼前両手合打込、領之内
見分、角縄之場所等相談
仕申候而、昼より伝兵衛、四郎右衛門、
三之丞東領角縄しらへ、
武兵衛、茂兵衛、藤右衛門西領角縄
場所相定申候、
三之丞、暮合ゟ帰村仕候、
一、同九日 快天
三之丞、五つ時宅ゟ罷越候、
四郎右衛門、夕方宅ゟ罷越候、
武兵衛、藤右衛門、茂兵衛西領角縄
張申候、伝兵衛、三之丞東領角縄
張申候、
一、同十一日 雨天
武兵衛、茂兵衛西領五縄張申候、
伝兵衛、四郎右衛門東領三縄張申候、
三之丞夕方罷越候、
藤右衛門病気、
嶋親司様ゟ竿取人等御申越、
竿取人 円池新村甚兵衛
同 東広上村長助
麻持人 嶋村和兵衛
同 小泉村清次郎
10 一、同十二日 雨天
武兵衛、三之丞、茂兵衛西領五縄
張申候、
伝兵衛、四郎右衛門東領人家之所等
張申候、
一、十三日 同
武兵衛五つ時ゟ帰宅仕候、
三之丞、茂兵衛、人足七人ニ而西領
二縄張懸申候、昼ゟ茂兵衛病気、
三之丞立ニ而人足四人ニ御座候、
四郎右衛門、伝兵衛、人足六人東領ニ縄
張申候、
七つ時過、四郎右衛門帰宅仕候、病気ニ而
十六日ニ罷越候、
一、同十四日 雨天 西風
伝兵衛、三之丞西領等縄張ニ罷出候、
藤右衛門病気尓々不仕候ニ付、
四つ過帰宅仕候、
一、同十五日 天気
此日伝兵衛はかりニ而、其外之者
ハ病気等ニ而皆々帰宅ニ付
休申候、尤長兵衛罷越申候、
一、同十六日 雨天 北風
藤右衛門、四郎右衛門罷越申候ニ付、
伝兵衛、藤右衛門、四郎右衛門、長兵衛東領人家
之所等縄張申候、
一、同十七日 西風 雨天
11 伝兵衛、藤右衛門、四郎右衛門、長兵衛、
庄川西縁石瀬境下縄四縄
并右下絵図、又牧野用水
南テ壱縄張申候、
金沢両親司様ゟ守山武兵衛へ、
紙面を以申来候趣有之ニ付、
武兵衛も気分悪敷帰宅仕候
之所、右紙面持参ニ而川口村へ
罷越、右紙面之趣申聞候、
此度内検地方仕法相立
申ニ付、川口村等張残り候而も、
各帰宅可仕旨申参候、且又
武兵衛義申談候義有之ニ付、
金沢旅宿まて罷出候様ニ
申参ニ付、明十八日早朝出立、
金沢罷登申候事ニ決意
仕、帰宅仕候事、
一、十八日 天気
伝兵衛、長兵衛、藤右衛門、下縄張残り
四縄張立昼前相済申候、
四郎右衛門、病気少々滞ニ付、内ニ而
下縄等相調、尤昼藤右衛門等
取懸り、両村領縄入絵図
壱枚相調申候、
一、武兵衛義早朝守山宅ゟ金沢
出立、則両村共当十七日まてニ而
下縄張仕廻り、今十八日ニ下絵
図しらへ方相済、帰宅仕申候旨
12 御扶持人様へ御案内申上候
趣ニ御座候、
一、嶋親司様へ十七日迄下縄張
仕、十八日ニ村方ゟ縄張人中
大方被罷帰候旨肝煎源次郎
忰藤左衛門案内仕候所、嶋親司様
金沢へ御越ニ而逗留、手代長右衛門
よろしく挨拶被申聞候、
右絵図等相調しらへ候処、
暮合ニおよひ候ニ付止宿仕候、
一、同十九日 快天
朝飯後伝兵衛、藤右衛門、四郎右衛門、
長兵衛帰宅仕候、
13
表紙 享和二年
川口村
宮袋村 内検地下縄調理帳
壬戌 三月 藤右衛門
14 西領角縄 宮袋村宮ノ
西
壱
一、百六拾間 四方
歩〆 弐万五千六百歩
二
一、弐百弐拾三間 同角縄之東
一、七拾六間 東西 宮袋人家等
〆 壱万六千九百四拾八歩
内 百五拾歩計 宮地引
廿歩計 三昧引
三
一、百五拾間 同所南諏訪野
一、七拾間 南北
〆 壱万五百歩
15 四 画像 翻刻トップ 画面トップ
一、弐百八十一間 同所南
一、百拾三間 南北
〆 三万千七百五拾三歩
五
一、百七十弐間 同西添角縄
一、八拾六間 東西 ノ南、千束かり
〆 壱万四千七百九十弐歩
六
一、百九拾八間 同所南
一、三拾三間 東西
〆 六千五百三拾四歩
七
一、百八十三間 同所西、牧野用水
ノ西庄川縁
一、六十六間
〆 壱万弐千七拾八歩
内 弐百歩 畑
八
一、九拾八間 同所北
一、六拾六間
〆 六千四百六拾八歩
九
一、三十五間 同北野町八間三ケ
ノ東道、牧野用水
縁
一、八間
〆 弐百八十歩
16 十
一、弐百八拾間 西角縄ノ西
牧野用水添
一、七拾七間
〆 弐万千五百六拾歩
十一
一、百弐拾九間 同所牧野用水
西縁、能町村領境下も
一、弐拾壱間
〆 弐千七百九歩
内 六百七十八歩程 畑
十二
一、百七拾六間 同所ノ上
一、四拾三間
〆 七千五百六拾八歩
内 弐千五百歩程 畑
十三
一、百拾五間 柳田宮ノ廻り
古村
一、三拾壱間
〆 三千五百六拾五歩
内 六十歩 宮地引
十四
一、六拾間 同所領開ノ北
能町境
一、四十五間
〆 弐千七百歩
十五
一、九十八間 同所東、赤川跡
一、弐拾壱間
〆 弐千五十八歩
17 十六
一、百弐拾五間 同所北
外出合
一、三十弐間
〆 四千歩
十七
一、百九十五間 同所東
中出合
一、百三間
〆 弐万八十五歩
十八
一、百三拾七間 同所領開ノ南
牧野用東添
一、八十九間
〆 壱万弐千百九十三歩
十九
一、百八十四間 同所東西角縄
ノ北添
三十苅
一、九十九間
〆 壱万八千弐百拾六歩
内 弐百歩 畑
二十
一、六拾壱間 同所北出舟
一、三十六間
〆 弐千百九十六歩
廿一
一、百八十六間 吉久、上牧野境
天神
一、三十九間
〆 七千弐百五十四歩
18 廿二
一、百五十間 同所上領開
添からすわら
一、六拾間
〆 九千歩
廿三
一、弐百四十間 宮袋村中吉
久道ノ東、人家等
長田
一、百拾壱間
〆 弐万六千六百四拾歩
内 五十歩 三昧引
廿四
一、百弐拾間 中曽根境
領開添、七口
一、八十七間五分
〆 壱万五百歩
廿五
一、弐百八十一間 同所上松木境
鴨作り
一、百三拾間
〆 三万六千五百三拾間
内弐百歩 畑
廿六
一、百拾四間 四方 東領角縄
歩ニして 壱万弐千九百九十六歩
廿七
一、弐百七十間 同角縄ノ西
吉久道添、長田
一、百四拾七間
〆 三万九千六百九拾歩
内 七百歩 宮地引
19 廿八
一、百四拾八間 同角縄ノ南
一、九拾四間
〆 壱万三千九百拾弐歩
廿九
一、弐百八間 同所東
松木境
一、六拾五間
〆 壱万三千五百弐拾歩
内 三千七百廿歩 畑
三十
一、百九十四間 同所上、川口村
一、八十弐間 人家塚原境
〆 壱万五千九百八歩
内 百五十歩 宮地引
三十一
一、弐百拾間 同所川口村
人家
一、百四十七間 折
〆 三万八百七十歩
内 弐百歩 宮地引
三十二
一、百六拾八間 同所南新道ノ北
塚原境
一、八拾六間
〆 壱万四千四百四拾八歩
三十三
一、弐百四十八間 同所南、牧野用
水懸テ庄川
迄、亀田
一、五十壱間
〆 壱万弐千六百四十八歩
20 三十四
一、七十九間 畑 塚原川松木与
中曽根用水
中さい
一、七間
〆 五百五十三歩
三十五
一、三十一間七分 畑 同所南
四ケ村橋迄
一、四間
〆 百弐拾七歩
三十六
一、百八間 同所南、牧野用水、
中曽ね用水、松木
用水懸テ
一、弐拾弐間
〆 弐千三百七十六歩
内 九百歩 畑
三十七
一、六拾間 同所南松木捨江
ノ東
一、拾弐間
〆 七百弐拾歩
三十八
一、八十九間 同所南、庄川縁
北野境迄、大法寺
松木用水ノ西添
一、弐拾間三分
〆 千八百七歩
内 千百歩 畑
三十九
一、拾七間 同所南ノ角
若杉領境入込
一、九間
〆 百五十三歩
内 八十歩 畑
21 四十
一、五十七間 庄川西縁飛
石瀬村前次郎兵衛屋
敷等
一、弐拾七間
〆 千五百三十九歩
内 三百歩 畑
四十一
一、弐拾九間 同所北飛
一、拾壱間七分
〆 三百三十九歩
四十二
一、百拾弐間 畑 同所北
下石瀬村前
一、弐拾三間
〆 弐千五百七十六歩
四十三
一、八十弐間 畑 同所北添
一、弐拾九間
〆 弐千三百七十八歩
惣歩 四拾五万六千百弐拾歩
内 壱万六千百拾弐歩 畑
五つ折ニして三千弐百弐拾弐歩弐厘
残テ 四拾四万八歩 田
合 四拾四万三千弐百三拾歩
22 高ニして千八百四拾六石七斗九升
縄数合四十三
右之通下縄も相仕廻り
候得共、此度内検地
縄張様、是迄之仕法
不宜候旨ニ而、御書立
御扶持人様方へ相渡り、
此下縄御用ニ相立不
申候、御打立無御座候、
且又当時障も無之旨ニ
而、当秋稲刈跡ニ而縄張
被仰付候旨ニ相成申候、
附り、下余川村へ是迄之法ニ而
縄張置候得共、縄張替
之上ニ而御打立御座候、以上、