三十三ケ村与練合村与申分場所御立会ニ付分間方ニ出申日記覚帳
表紙 文政二年卯八月
三十三ケ村与
練合村与 申分場所御立会ニ付
分間方ニ出申
日記覚帳
石黒藤助
1 射水郡三十三ケ村与
練合村与申分場所
御立会御人々
御郡奉行
小堀八十太夫
御改作奉行
富永権左衛門
同
賀古八郎太夫
富山御郡奉行
佐々木百助
同
当病ニ而 佐々半兵衛
御出役無之
〆
2 御郡方頭取
渡辺曽守
小目付
藤田数右衛門
〆
中川善左衛門 宮森庄兵衛
谷井佐次兵衛 内山次左衛門
舟木半右衛門
分間人 加州浅野安右衛門
等弐人
高木藤助
石丸六右衛門
〆
一、八月十七日 天気
宅昼九つ時罷出、宮森へ立寄、
夫ゟ海老江村宿弥三八方へ
泊り、但浅野安右衛門此元宿迄
見舞ニ被罷出、尤夜五つ頃
安右衛門方へ藤助、六右衛門罷出
石磁拝見仕申候、
一、十八日 天気
小堀様宿安右衛門方へ、御改作
御奉行御出、及富山佐々木百助等
御立会ニ御座候、就夫同日
夜中、中川等ゟ被申聞候ハ、明日此元
共右場所先仮杭立ニ罷出候間、
藤助、安右衛門并竿取壱人召連
3 申候与御申談御座候、
一、十九日 天気
朝五つ半時申分場所へ双方
御扶持人中并手代、縄張
人御召つれ、御立合御境筋
杭仮打并変地所之内御印渡し
等仕申候、
〆
一、廿日 雨
七軒之茶屋ニ而双方御扶持人中
御立合、則縄張人等御召つれニ而、
七つ半時頃ゟ海老江村与三十三ケ村
領境杭壱本、双方見聞之上打立
申候而宿へ帰り、
一、廿一日 天気
申分場所双方御奉行中様等
御立合、境筋御見分ニ而、則
分間支分等御覧被遊候ニ而、七つ時
御立わかれ被遊候、夫ゟ御扶持人中
等本杭打立、且分間人中忠三郎
近辺分間仕申候、
一、廿二日 雨
御扶持人中双方ゟ御立合之上、境
松植申、且藤助、石丸、安兵衛并
富山方ゟ三人罷出、申分場所
近辺分間仕申候、昼八つ時迄
相済、宿迄帰り申候、八つ過ゟ
下図仕懸申候、
4 一、廿三日 天気
朝五つ時迄下図相済、夫ゟ
御奉行所へ御覧ニ入申候、夫々
加筆請、其上昼八つ時御場ニ而
壱枚相調申候、
〆
一、廿四日 天気
申分場所御奉行所并双方
御扶持人等境筋出来見分
之上、富山方ゟ絵図与此地之
絵図御引合御座候所、富山方ニ
之絵図間違有之、此地之
絵図ニ而先二枚相調可申旨
被仰渡、夫ゟ昼八つ時ゟ本
絵図調ニ相懸り申候、
一、廿五日 同
朝ゟ取懸り九つ時迄二枚出来
仕申候ニ而小堀様へ上ケ申候、
尤富山方番代理右衛門手伝ニ
罷出、書入等仕申候、
但、御改作奉行廿五日朝五つ時
御立被遊候、小堀様昼八つ時御立、
中川様等并浅野安右衛門等両人、
放生津泊りニ而御出立仕申候、
藤助、六右衛門跡ニ而弥三八方へ
絵図相調可申旨被仰渡候、
一、廿六日 同
弥三八方ニ而絵図相調申候、
六右衛門
藤助 両人シテ
一、廿七日 同
右同断、
5 一、廿八日 天気 画像 翻刻トップ 画面トップ
絵図等相済申候、
但、廿七日、廿八日両日ハ久々湊村
長蔵裏打ニ罷出居有之、
一、廿九日 雨
弥三八方出立、宮森様へ
石丸同道ニ而罷出、絵図四枚
指上ケ申候、且品々御咄シ申上候、
昼八つ時帰宅仕申候、
一、十一枚 惣絵図
内 壱枚 富山様へ 八月廿五日
壱枚 賀か様へ 同
壱枚 御改作所分
壱枚 御郡所分
壱枚 中川様分
外ニ小絵図
壱枚 三十三ケ村分
壱枚 海老江村分
壱枚 石丸
弐枚 下絵図共 藤助
〆
6 八月十五日
一、拾六枚 地仕置申鳥子紙
忠三郎へ相渡ス
同十九日
一、五拾枚 美農紙裏打
長蔵へ
同
一、拾九枚 両面山田紙
但、下敷共
一、八十六枚 美農
内 村方一 中川一 石丸 浅野分
海老江へ内分ニ而壱枚、小遣、紙共
但、壱枚ニ付紙数十四枚
同廿六日
一、十八枚 笠紙出ス
一、惣絵具 絵図十一枚代
藤助ゟ出し申候
但、朱ハ三十三ケゟ出ス申候、
九月十五日
一、野帳弐冊 中川分
宮森
藤助ゟ相調指上申候、
一、拾弐枚 城端八寸紙
7 三十三ケ村領
練合 浜