絵図(広域地図) 射水市
稲積村東津幡江村用水申分之絵図
文政元年(1818)東津幡江村と稲積村との間で用水をめぐる争論が起こり、同8年(1825)決着しました。その際、石黒信由の息子信易と川口村源次郎によりこの測量図が作られ定書も記されました。稲積村の肝煎・組合頭が押印しており、欠失部には東津幡江村の村役人の名前と印があったと推測されます。国指定重要文化財 着彩
文政元年(1818)東津幡江村と稲積村との間で用水をめぐる争論が起こり、同8年(1825)決着しました。その際、石黒信由の息子信易と川口村源次郎によりこの測量図が作られ定書も記されました。稲積村の肝煎・組合頭が押印しており、欠失部には東津幡江村の村役人の名前と印があったと推測されます。国指定重要文化財 着彩