射水郡青井谷村等四ヶ村領附字引面野水矯并々分間方等日記帳
表紙 天保九年戊六月廿二日
同廿五日迄
射水郡青井谷村等四ケ村領附字引面野
水矯并ニ分間方等日記帳
高木村
藤右衛門
1 一、六月廿二日 天気
朝五ツ時宅出立仕、円池新村仁右衛門方江着仕
候所、飯久保村弥三兵衛、手代豊四郎各待合、
夫 仁右衛門同道ニ而野末迄分間仕、御坊谷
之北ノ方ニ而御小屋ニ而中飯仕、
昼 御小屋
竿取人 高木村
与三左衛門
下人
竹次郎
縄張手伝
飯久保村
弥三兵衛
手代
豊四郎
引面野主附円池新村
仁右衛門
2 但、宅江迄円池新村人足弐人向ニ来ル、
串田新村 大工 武右衛門
昼後水矯方ニ取懸り、御坊谷堤之下 字
さかさま谷迄相済、
泊り 御小屋
一、廿三日 天気
朝四つ時 水矯残り之分相済、昼上り
仕候、
昼 御小屋
昼後四郎兵衛竿取人ニ来ル、与三左衛門義ハ
堤之縄手等之方、豊四郎方江行、
3 藤右衛門、弥三兵衛、四郎兵衛、六寸勾配之図を以
水矯ニ取懸り、
円池新村之内字嶋新村
大工権兵衛
御坊谷之奥新堤、
御坊谷之堤縄手盛上之事、
むしな谷堤盛上之事、
赤坂谷堤縄手追出土盛上之事、
但、此分相知不申堤ニ御座候、
菅山谷堤之奥、新堤出来之事、
御坊谷堤之奥ニ新堤出来之事、
一、坂様谷ニ新堤出来之事、
少キ清水道、
一、蔵多野新堤出来之事
但、少キ道堤有、
4 一、引面野ニ大凡四万歩計有之様ニ相見江申候
得共、御坊谷堤 用水取入申候、凡間数
計ニ相成申候、左候得ハ引面野之初口ニ而水
無之様ニ相成申候哉与存候、
水引と
但、用水水矯仕候義ハ、引面野申ハ名目ニ而、
実串田村、黒河新村畑直し江水相懸ケ
申度図りニ御座候与申聞候、
用水取入 下引面野之上江水引入候迄ニハ
山々之谷間等ニ而田畑弐拾石新出等之
躰ニ相見へ申候、
下ノ引面野与申候ハ、西縁ハ串田村之山、東縁ハ
青井谷村、浄土寺、上野〆三ケ山也、
5 泊り 御小屋
一、廿四日 天気
朝四つ時 分間水矯ニ取懸り、
但、寺林瀬一郎引面野見分として相見へ
申候、
昼 御小屋
昼後分間仕直し、夕方上り、
6 一、廿五日 天気
朝五つ時 水矯方ニ取懸り、
昼 御小屋
昼引面野西縁并東之縁字下野と申処
清蔵林之堤迄間数相改及分間
も仕、七つ半時頃御小屋上り、夫 夕飯
仕、藤右衛門、四郎兵衛、竹次郎召連帰宅
仕、弥三兵衛、与三左衛門残り居、清蔵林
菅谷山之堤迄分并水矯仕候様
申談候、
但、与三左衛門廿六日夕五つ時頃帰宅仕、
并ニ藤右衛門同道ニ円池新村人足ニ
為持来り、
但、藤右衛門并四郎兵衛、与三左衞門、竹次郎
都而飯代等払不申候、
7 一、六月廿二日 与三左衛門
一、同廿三日 四郎兵衛、与三左衛門
一、同廿三日 四郎兵衛、与三左衛門
一、同廿四日 与三左衛門
一、同廿五日 与三左衛門、四郎兵衛
一、同廿六日 与三左衛門
〆三日 四郎兵衛勤
六日 与三左衛門勤